序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
ライフログ
twitter
最新のトラックバック
以前の記事
2022年 02月 2020年 07月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 09月 2018年 07月 2018年 04月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 05月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 01月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 05月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 10月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 検索
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2022年 02月 27日
昨日より、何度トライしてもnoteへの投稿ができないため、久しぶりにこちらから。 2022年2月23日の朝、その日の未明にロシア軍がウクライナに攻撃をした、というニュースに触れた。その二時間後、今度はスイスの友人Tが「妻子を救い出すために、急遽、ポーランドへ飛ぶ。その後はレンタカーして陸路、国境を超え、キエフに滞在している妻と5歳の娘を連れ帰る」というメッセージを残して、すでに出発したことを知った。 Tと、その妻、そして娘も含め、その家族とは、家族ぐるみの付き合いだった。「だった」と過去形で書いたのは、夫のTが、とあるパーソナルな出来事をきっかけに、陰謀主義的なものへの共感に突如、目覚め、ここ三年ほどですっかり人が変わってしまったために、当惑した私は、T、そして彼らと少し距離を置くようになってしまったからだ。Tはスウェーデンとベルギーの国籍を持つが、人が変わってしまったその同じ頃、スイス国籍も取得した。妻はウクライナ出身だ。 これから綴る出来事は、今、ウクライナで起きている戦争と直結するだけでなく、すべての狂信的なものがもたらす悲劇を暗示する側面もあり、ウクライナと地続きの土地に住み、ウクライナの人々との縁もそれなりにある自分がここに書き留めておくことは一つの義務。そんなふうに思っている。 ポーランドのクラコフ行きのチケットを取り、取るものも取り敢えず旅立ったT。一家とは疎遠になりがちなここ数年とはいえ、共有した楽しい時間はたくさんあったし、妻のナターシャ(加盟)から聞くソ連時代からウクライナ独立時代への移行(当時ナターシャは小学生)の話、どんな「西洋文化の断片」が冷戦時代のウクライナには流入していたか、といった話はどれもとても興味深かった。何しろ「冷戦時代だからアメリカものはほぼ皆無、その代わり、タンタン(ベルギーの漫画)とか、ジョー・ダサン(アメリカ出身ながらフランスで活躍したポップス歌手)の歌はウクライナの子供なら誰でも知ってた」なんてことを言うのだ。「トムとジェリー」や「ゆかいなブレディ一家」で育った自分の子供時代と比べ、輸入文化フィルターとしての「鉄のカーテン」が、急に自分と直結するリアルなものとして感じられたことなど、よく覚えている。それに彼女が作るウクライナの伝統料理はどれも不思議と懐かしい美味しさだった。 そんなT一家のことが心配にならないはずはない。戦争が勃発したその日、Tが妻子の救出に向けて出発したその日は一日中、移動の車中でもラジオを聞き、気もそぞろだった。爆音の聞こえない遠い距離のところにいながら、けれど、陸続きでのところで起きているこの戦争を、私は自分に近いこととして実感していた。 なんとか無事でいてほしい。なんとか家族揃って、スイスに戻ってきてほしい。 普段はチューリッヒに住む一家だが、ナターシャが五歳の娘を連れてキエフに里帰りしたのは、わずか10日前のこと。そもそもなぜ、「もしかしてもうじき戦争が」というタイミングでそんな危険なことをしたのか。 子供の時からナターシャをとても可愛がってくれていたお爺さんが病床にあり、もう先は長くないという知らせを受けたこと。コロナでずっとキエフに行けていなかったこと。そして、「まさかいくら何でも戦争なんて」という正常化バイアスというものもあったかもしれない。 それに加え、ここしばらく、Tのデフォルトとなっていた世界観・・・。つまり、これは全てバイデンが仕組んだ茶番なのだ。人気低下を挽回するための、演出なのだ。ロシアがそんなバカなことするはずがないじゃないか、などなど。FOXニュースや、それに類似した欧州の情報ソースをちらりとでも覗けば、普段、自分が目にしているのとは正反対の、というかあまりに荒唐無稽と思われる地政学や政治や外交の言説がメインストリームを跋扈していることがわかる。そしてソーシャルメディアの常で、一旦そういうものに触れるようになると、次から次へと、そこで展開される言説を裏付ける学説やら、証言やら、解説やら、ドキュメンタリーやらが、爆弾のように降ってくる。Tもおそらくはそのようにして、信念の牙城を築いていった。だから妻のキエフ里帰りを、Tが止めることはなかった。 何かに取り憑かれたようにして彼が口にする自説や思い込みに、私はほとほと嫌気がさしていたけれど、もともと彼と近しいスキー友達、飲み食い友達だった私の夫は、「主義主張が自分と異なるからといって、友達をやめるっていうのは違うかなあ。いいところもあるんだし」といって、Tが転送してくる記事やらメッセージらに呆れながらも、それ以外のところでは以前のように交流を続けていた。しかも今、キエフで足止めされている彼らの娘の、彼はゴットファーザーでもあるのだ。 「ナターシャたちをキエフに行かせるのはやめろ」——夫は何度もそう口にしかけながら、結局、Tに向けてその思いを声にすることはなかった。 失意のリターン その夫は夫で、実はここ数年、仕事で何度もキエフを訪れ、かの地に大変フレンドリーで勤勉で、国を作っていく意欲にあふれる人との交流がたくさんある上、実はこの3月にはキエフで講義をする予定もあったのだ。すでに飛行機の切符も宿も手配済みだった。そんなわけで、リアルタイムでキエフの仲間とのコンタクトをし続けている中で、彼なりの「直視せねばならぬ現実の予想」というものがあり、それに基づいた心配。けれど、Tはどのみち聞く耳を持たない。狂信的になっている友への助言を断念したことを、今では大いに悔いているけれど、これまた仕方のないことだった。 結局、Tはレンタカーでウクライナとの国境近くまで進んだ。けれど、その間、カーラジオで耳にする非常に厳しい現況を伝えるニュース、友人たちから次々に入る「行くな、今、行ったら、お前も死ぬかもしれないんだ」という警告は、大いに説得力があった。国境で構える警察や軍隊も、おそらくは彼の入国を許すまい。さすがのTも国境間近で断念し、Uターンせざるを得なかった。その足で再び、飛行機のチケットを取り、一人きりで失意とともにチューリッヒに戻った。出発から36時間後のことだった。 「迎えに行ってくる」 傷心の帰国をするTを攻めて一人ぼっちで暗い部屋に帰らせたくはない。そんな思いでTを空港まで迎えに行った夫は、結局、その晩、彼と二人でどこかで食事をし、夜遅くに帰宅した。迎えに行ってあげてよかった。私も心からそう思った。 今のところ、ナターシャと娘、そして病床のお爺さんやお母さんは生きている。幸いにして、キエフ市内ではなく、少し離れた郊外のダッチャ(ロシア風の山小屋)に来ていたところで戦争勃発。攻撃対象になりそうな重要な施設などが近くにないことで爆撃を免れ、とりあえずネット環境や電気はまだ無事、ということで、寒さに凍えるような事態にも陥っていないそうだが、「二晩、一睡もしていない」という彼女の疲れた顔写真を、私は夫経由で目にした。隣には、小さなお嬢さんの姿も。彼ら家族と友人数人とで祝った彼女の一歳のお誕生日、二歳のお誕生日、三歳のお誕生日を思い出す。どれほど怖いだろうか、どれほど不安だろうか、と、涙が出てくる。 そんな中、今朝は夫の元へキエフの仕事仲間からメールが届いた。「拡散してほしい」というお願い付きで英語で綴られた頼り。最後に、「今のキエフ」を伝える直視に耐えない動画も。 ロシアの攻撃により、この戦争は始まった。そこには何ら正当化の余地はない。ロシア国内でも、このことに怒り、悲しみ、そして抗議の意を表明する人たちがたくさんいることを私たちは知っている。強権政治のもと、この状況下で声を上げることがどれほど身の危険と隣り合わせで、どれほどの勇気を要することかも知っている。この戦争は、多くの悲しみを生み、後の世代にまで引き継がれる恥辱や悔恨や敵意を残すことだろう。 T一家が、無事に再会できることを心から祈っている。1日も早く(そしてそれがウクライナがロシアの支配下に入るという形でなく)この、無意味で愚かな戦争が終わることを、失われる命が一つでも少ないことをひたすら祈っている。そして夫が、またキエフに出かけ、意欲溢れる学生さんたちや主催者たちとの時間を過ごせる日が戻るように、とも。 キエフからのメッセージ 最後に、夫に宛てて送られたキエフからのメール(筆者抄訳)をここに記しておく。さまざまなニュースが飛び交い、何を信じてよいかわからない時、私は人として信頼できる人間がニュースソースであることを一つの判断基準にしている。夫を通じて、私はこのメールの差出人とその仕事ぶり、人や世界に対する態度を知っている。その上でこれをシェアするのである。 「世界の仕事仲間の皆さんへ みなさんからたくさんのメッセージをいただきました。心配してくださり、親切なサポートを申し出てくださり、本当にありがとうございます。 しかし、今現在、我々にとり、唯一の実効的なサポートは、我々の軍隊、そして敵国ロシアから祖国を守ろうと立ち上がるウクライナ市民なのです。自信にあふれ、恐れを知らず、覚悟を持ち、怒りに満ちたウクライナ国は、我々を攻撃した敵から、我らの国を守ります。 わずか数日前まで、私たちは、ウクライナをよりよい国へと作り変えていく野心に支えられて、仕事に励んでいました。それが今、「銃撃だ」「空爆警報だ」「どこにいる?」「生きてるか?」「すぐに爆弾シェルターに逃げろ」といったメッセージをやりとりしています。我々の街や村で起きていることにゾッとしています。シェルターの中から互いにメッセージをやりとりしていること、ミサイルの音がするたびに身を震わせていること、本当に恐ろしいです。目にするニュースは信じ難く、これは悪夢に過ぎないとどれほど願うことでしょう。 敵意に加え、ロシアは今、「ウクライナ市民は、国内のナチスやテロリストから解放されねばならない」というプロパガンダを放出しています。我々と長年、仕事をしてきた貴兄、ウクライナ市民が学び、成長し、より頼もしくなるためのご助力をくださってきた貴兄にはお分かり頂けるでしょう、それが本当でないことを。 ウクライナは絶望的な痛みの時を経験しています。しかし同時に、我々は、今、祖国と自由のために信じられないくらい一体となっています。どうか、我々とともに、真実のもとで団結してください。どうかぜひ、沈黙するのではなく、貴兄の学生、同僚、仕事仲間の皆さんたちと、以下のことを分かち合ってくださいますよう、お願い致します。 ・我々はナチスではありません。ジェノサイドなど、ありません。 ・我々がロシアに来たのではありません、ロシアが我々の方にやって来たのです。 ・我々は攻撃されています。我々の街は爆撃され、破壊されています。学校や病院も襲撃されています。市民の家にミサイルが飛んで来ます。 ・我々は国と市民を守ります。 ・我々は、どんな死も戦争も望みません。 ・我々は平和で自由でありたいのです。 どうか、真実を、周囲に、世界にお伝えください。キエフで平和のもとで再会できることを心から望んでいます。その時までには、我々は、より一層、強く、自由になっていることでしょう。」 #
by michikonagasaka
| 2022-02-27 02:14
| 考えずにはいられない
2020年 07月 11日
長年にわたり、当ブログをお読みくださり、ありがとうございました。 こちらの過去記事はそのまま残した上で、今後はnoteの方で続けていくことにしました。 スイスから、そしてパリからの「ときどき日記」、時事、日々の些事、音楽、文学、美味しいものなどについて、また、たまに記事翻訳などをアップしていく予定です。 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 まだまだ一向に収束の兆しが見えてこないコロナ禍でで迎える夏休み。どうぞご自愛くださいますよう。
長坂道子 #
by michikonagasaka
| 2020-07-11 21:12
| お知らせ
2020年 04月 30日
スイスに限らず、ここ2週間ほど、欧州の多くの国が次々と「出口政策」「緩和政策」を発表している。スイスの地理的な位置もあり、どうしても隣国の様子が気になる。国境を接するオーストリア、ドイツ、フランス、イタリア、リヒテンシュタインの様子、ちょっと離れた英国や北欧諸国の様子をそんなわけであれこれ観察するのだが、この緩和政策、国によって随分と違うのである。そしてその違いは、各国の産業構造やコロナ感染拡大の仕方に基づく部分はもちろんのこと、その国が「何を大切と考えるのか」といった価値観の違い、文化的な差異をも結構反映しているのだな、ということをつくづく思う。 というわけで今回は「何からオープンにしていくか」のヨーロッパ一周(一部)。全部網羅できていないし、随時、変更も入ってくるので事実とずれている点があればご容赦を。 スイス 第一段階(4月27日) 美容院、エステサロン、マッサージなどのサービス ガーデンセンター、花屋、ホームセンター 病院、医院、フィジオセラピー(理学療法)、歯医者等の(入院を伴わない)治療 葬儀 ※このサービスの中には、他にネイルサロンやタトゥー屋さんなどもちゃんと名指しで入っていて、タトゥーというのも結構、必需品扱いなのだな、という驚きがあった。 第二段階(5月11日) 義務教育の学校(州が独自で決めて良い) 全ての小売店 飲食店(一つのテーブルに4人まで) 美術館と図書館 ※当初のプランでは省かれていた飲食店がここに加わったのは、やはり驚き。「大丈夫なのか?」という不安も。一方で、美術館や図書館などの「閉じた空間」がオッケーなのに、動物園や植物園はなぜダメなのか、という動植物園協会からのクレームが入ったそうだが、無理もないな、と。 ちなみに冒頭の必殺仕置き人的な写真は、コロナ対策で大きく知名度と株を上げた二人、保健大臣のベルセ氏と、保険証感染症対策班の班長、コッホ氏。前者は800m走の選手として鳴らしたり、ピアノがなかなかうまかったりと、多面な顔を持つなかなか素敵な人。フランス語とドイツ語のバイリンガルの州(フリブール)出身で、記者会見で二つの言葉の間を自在に行き来する姿もいい感じ。後者はジョンホプキンズ大で学び、長らく赤十字で世界の感染症対策のフィールドで働いてきたキャリアを持つ人。冷静な分析、落ち着いた受け答えに好感が持てます。ドイツ語圏の人だけれど、もちろん英語でもフランス語でも完璧に対応可能。 フランス スイスと異なり、全ての外出に「許可証」携行が義務付けられたり、ジョギングも夜一時間だけ、など、随分と厳しい内容のロックダウン続行中のフランスでも、この度、フィリップ首相が国会にはかった「解除プラン」が可決され、今後の予定が確定(ただし、状況によっては変更)。そうか、スイスは政府が発表するだけだけれど、フランスは国会にはかるのか。非常事態宣言や感染症関連法のどれを使っているかによって、手続きに違いが出てくることが可視化され、これもまた興味深いところ。 で、そのフランス版解除ブランの大まかなところは 第一段階(5月11日より) 幼稚園と小学校の再開(ただし、登校させるかさせないかは各家庭で決めてよい) 保育園(子供の数10人以下に限り)の再開。 小売店やマルシェの営業再開。 小規模の美術館、図書館の再開 公共の場におけるマスク着用の義務。 墓地の再オープン 第二段階(5月18日より) 中学校の再開。 ※レストランやカフェの再オープンは未定。高校の授業は6月まで再開されない。県や地方をまたいでの移動は緊急と認められない限り引き続き禁止。仕事は引き続き、リーモートできるところはリモートで。 オーストリア 他の国に先駆け、ヨーロッパで緩和策に一番に踏み込んだのがオーストリア。早めの厳しい封じ込め対策が功を奏し、収束(感染カーブのフラット化)を早くに成し遂げたため、他国から「すごいな」と思われている。 第一段階 (4月14日より) 400平米以下の小売店、ホームセンター、園芸店が営業再開。 第二段階(5月1日) 上記に当てはまらない全ての小売店(飲食、ホテルを除く)の営業再開。 第三段階(5月15日) 飲食店、ホテルの営業再開。 ※公共の場所でのマスク着用は義務 イタリア
#
by michikonagasaka
| 2020-04-30 21:32
| 身辺雑記
2020年 04月 15日
昨日まで「まさかそんなこと」と思っていたことが、今日から「現実」になる。そしてその「まさか」と「現実」は、日々刻々、姿を変えていく。それがこの一ヶ月だった。 2020年一月半ば以降からしばらくの間は ⑴「遠いアジアでの出来事」のフェーズ。 この段階で、欧米各国では「アジア人差別」的な行動パターンが一部で発生。 その一ヶ月後には ⑵「隣国イタリアでの出来事」のフェーズ。 この段階で、スイスはまだまだ余裕で、「国境封鎖すべき」との声も軽くかわし、やはり隣国オーストリアが入国制限など早々と対策に踏み込んだのを「なんだか大袈裟」という気持ちで眺めていた感があったと思う。スキー休暇でイタリアから帰国した学生たちが最初のクラスターだったと記憶しているが、そんなニュースを見聞きしながら「まだ」私たちは、レストランで食事をし、別れ際にほっぺのキスをしそうになるところを「おっとっと、いけないんだったね」と肩をすくめていた。そんな程度。 そこから急転直下、 ⑶「自分ごと」になったフェーズ。 備蓄は大丈夫か? ヨガもバレエも合唱もキャンセル。ズームに挑戦し、スイス政府の毎日の記者会見をフォローするようになる第1週はあたふたしているうちにあっという間に終了。 2週目を過ぎたあたりから、周りで(自分を含め)「なんだか具合悪くなる人々」が増えてくる。「まさか、コロナ?」の疑心暗鬼と完全無縁だった人はこの時期、少ないだろう。最初は緊張感で乗り切っていた引きこもりに疲れが出てくる頃。家族との雰囲気が険悪になったり、やけ酒に走ったり。あるいは急に涙もろくなったりする人も少なくなかったと思う。 そしてさらに ⑷「人類ごと」になったフェーズ。 イタリアやスペインの悲鳴が鳴り止まない中、NYからの悲鳴がそこに重なり、エクアドルからの壮絶な映像にショックを受ける。もはやこれは人類全体のおおごとだということを無視すること、気づかないふりをすることは到底、不可能になってきた。人類、どうする? 地球、どうなる? そんな大きな枠組みで物事を考え始めるのとシンクロするようにして、自分自身の心は再び落ち着きを取り戻す。俯瞰的な思考が、個人の窮地を救うこと、世の中には結構多いのだろう、などと思う。 さて、この4段階に加え、例えば私のように、日本を外から眺める立場がそこに混じると、自分の現実と、あちらの現実との間の乖離や時差に気を揉んだり心配になったり、ということも同時進行で起きる。さらには、家族や親しい人が世界あちこちに散らばっていると、各地の状況も気になるし、いざという時に駆けつけることもできない(スイスからは飛行機も飛んでいない)という認識は、これはそれなりに覚悟を強いられるしんどい状況である。 たった一ヶ月の間に、心理状態も世界の感染者数グラフもこうして忙しく変遷し続けるのだが、その反面、私自身は、あらゆる分野やレベルにおける人間の力というものを見せつけられもした。 幾人かの高潔にして理性的、共感力に優れた世界のリーダーたちの言葉と具体的政策を耳にしたこと。無数の医療従事者たちの懸命な救命努力や「命を選ぶ」ことを強いられる辛苦を知ったこと。高齢者やリスクグループの隣人の買い物を進んで代行する人たち、窓から、あるいはオンラインで歌声や詩やパフォーマンスを届ける人たち、弱者のためのプラットフィームや署名活動を立ち上げる人たちの姿をここかしこで目にし、耳にしたこと。聡明にして思慮深い作家や研究者たちの書くもの、語る声に接し得たこと。科学の最先端で奮闘する人たちの様子に、こんな時にも笑いを提供し続けたコメディアンたちの声に触れたこと。医療従事者への感謝を表すため、無数の窓から一斉に放たれた拍手の渦の中に身を置き、一緒に手を叩いたこと。そして、無人のサン・ピエトロ広場からの復活祭ミサにヴァーチャルに隣席し、ライプツィヒ教会からのヨハネの受難曲ライブと一緒に歌ったこと。 そうしたインテンシブな体験のことを、私は一生忘れないだろう。 忘れない。それは3.11の時に、あるいは太平洋戦争の後に、多くの人が自らに誓ったことだと思う。けれど、人の記憶はおぼろげになり、風化する。そうさせないための踏ん張りが一人一人に課されている。そういう覚悟や決意へとたどり着く一ヶ月だった。 多少の時差を含みつつも、多くの人にとってこのコロナが「人類ごと」のフェーズに入った今、やはり多くの人が「その後」を夢想するのだろう。無理もない自然なことだと思う。なぜなら未来形のないところにそうそう頑張りは効かないものだから。 「その後」を夢想するにはまだ全くの時期尚早だけれど、今のうちから言っておこう。「その後」は、決して「これまで通り」であってはいけないと思う。「普通がどれだけありがたいことか」といった紋切り口調のレベルに止まっていてはいけない、いや、それじゃ立ち行かなくなると思う。今度こそ、本当に。 人はもうこれ以上、貪欲であり続け、オールマイティー感に酔いしれたまま、呑気な消費者として「かつてのように」進み続けることはできない。今、まさに最後通牒を突きつけられているのだ。誰から、突きつけられているのか? 神から、かもしれないし、自然から、かもしれない。あるいは何らかの理(ことわり)というようなものかもしれない。グローバリゼーション神話の綻びは、もう10年ほど前から随分と可視化されてきたけれど、どんな鈍感な人の目にも、それは今、かなり明らかになったのではないだろうか。環境問題も、貧困問題も、難民問題も、またしかり。いやこれらは皆、互いに繋がりあった一つの大きな円のようなイシューだ。 ※ ※ ※ 一ヶ月前、家のテラスの鉢の枯れ木から、小さな芽が一つ、二つと吹き始めた。わあ、生きててくれたんだ、ありがとう! ちょうど一年前のこの時期、日本からこっそり持ち帰った山椒の苗が、無事に冬を越したらしかった。 外出禁止の一ヶ月を経て、小さな芽からは次々と可愛らしい葉っぱが育ち、枝ぶりも一回り大きくなった。葉っぱを一枚ちぎり、丸くくぼみを作った両の手の平の間でポンと叩いてやれば、幼少期にむせかえった(のみならず咳き込みすらした)「あの香り」が立ち上り、目の前にはその姿の見えないゴージャスな「アゲハ蝶」が脳内にひらひらと舞っていたるする。 そして一ヶ月後の今、4月の柔らかい日の光を受けて、我が山椒ちゃん、なんと小さな実をつけ始めているではありませんか! そう、この一ヶ月は、人間が何をどう大騒ぎしようと、山椒も花粉も日照時間も、淡々と時計の針を進め続けてきた一ヶ月でもあったのだった。第二次世界大戦以降最低の二酸化炭素ガスのレベルだというが、なるほど、飛行機も飛ばぬ、人も動かぬこの一ヶ月で空はめっきり青くなり、空気は数段、美味しくなった。 今、ヨーロッパ各国では少しずつ「出口」の話がされ始めている。とはいえ、コロナの波には第二波、第三波があるかもしれない。そのことを私たちはなんとなく認識し、出口を待ちわびつつも、それなりの心構えをしつつある。 フランスでは昨晩、マクロン大統領が国民に向け、「外出禁止令は5月11日まで延長」される旨を告げた。同時にその5月11日以降、「まずは幼稚園、小学校、中学校、高校と段階的に学校を再開」し、それまでには「マスク装着を義務付ける、それに必要なだけのマスクを全員に配る用意」をし、さらに「症状のあるすべての人が検査を受けられるような体制を整える」「ただし、レストランやカフェの営業再開は、さらにその先まで延長することになる」という、相当具体的に踏み込んだ政策を発表した。それなりの裏付けや根拠がなければとても発表できない内容だ。 スイスでは4月末辺りをめどに、やはり少しずつ外出規制を緩めていくことが発表されている。ただし、その具体的な中身については「今、詰めているところ」という慎重な立場を崩さない。「マスクの着用」が推奨されたり義務付けられたりしつつある世界の趨勢の中、マスクの効用について、これまでスイス当局がなんとなく曖昧だったのは、「供給が確保される目処がたっていなかったからだ」ということがここ数日で言われ始めている。スイスのマスクはその多くを輸入に頼ってきたところを、この騒ぎで輸入元のドイツなどから、一時、輸入をストップされてしまった。多国籍企業の製薬会社がひしめく製薬立国なのに、マスクはおろか、薬品の生産拠点は結構中国だったりして、突如、供給量の不足に慌てふためいてしまったスイス。 どこの国にも、どこの地域にも弱点がある。「それなりにうまくいってるっぽい」スイスですら、例外ではない。金融大国、武器輸出大国、そしてヨーロッパ内では、例外的に医療が「市場原理」に委ねられている国、スイス(国民皆保険だけれど、それはとっても高い保険料を国ではなくて保険会社にみんなが払い続けることによって成り立っている)もまた、このコロナ危機に際し、自らのありようについて当然、自問せざるを得ないのである。 私のような者でも、コロナ前とコロナ後に書くものには何らかの明らかな変化があるはずである。そのことを予感しながら、蟄居中の部屋の中でこのひと月の来し方を振り返ったりしていると、ただでさえ、ぼんやりしっぱなしの曜日や日夜の感覚がますます曖昧になっていく。 そんな人間様の事情にはお構いなし、頓着なしの山椒のたくましい成長ぶりが、例年の何十倍も頼もしく、愛おしい。 追記) 人間様の事情にはお構いなし、というのはもちろんまったく正確でないどころか、完全なる誤謬であることを私はもちろん承知しています。人間がこれ以上裸の王様のように振る舞い続けるわけにはいかない。自然の中に行き場所を失ったウイルスは、遅かれ早かれ、人間という住みかを見つけ、何度も来訪するに違いないのですから。 #
by michikonagasaka
| 2020-04-15 01:04
| 身辺雑記
2020年 03月 25日
↓こちら、ロックダウンのチューリッヒの街の様子。ドローン撮影だそう。 #
by michikonagasaka
| 2020-03-25 21:50
| 身辺雑記
|
ファン申請 |
||