序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2012年 10月 02日
二日前、ここにアレッポのスークのことを書いた。何百年と続いた活気あふれるスークが、一夜にして炎上、消失。そのショックは私の潜在意識のどこかでまだ渦巻いているけれど、今朝は心機一転、風邪を押して「チューリッヒのスーク」に出かけてみることにした。背中がぞくぞくするからちょっと厚着をして、そしてスーク仕様のカゴをぶら下げて、秋晴れの空のもと、ビュルクリ広場の市へと向かった。 中近東のスークとは似ても似つかぬ整然としたお行儀のいいチューリッヒ版だが、それでも店番をする農家のおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さんたちは、総じて愛想がよくて生き生きしていて、スーパー勤務の蝋人形のような面々とはそのチャーミングさにおいて雲泥の差。自分たちの手でものをつくっている人たちが発散する「精」みたいなものでそこいら中の空気が満たされているこの感じ、私はいつも大好きなのだ。 市内の番号だけど、私のアドレス帳に乗ってないものだから、また変なセールスとかだったらやだな、と一瞬躊躇しつつ、結局電話に出ることに。 「ハロー、ミチコ?」 それだけ聞いてすぐにわかった。声の主はタイ人の友だち、P。でも彼女は夏前にチューリッヒからチェンマイに引っ越したはずなのに、あれ、なぜ? 「で、大丈夫なの?」 「うん。なんとか大丈夫そう。お医者さんも飛行機に乗っていいっていったし、やっぱり戻ることにした」 「会う時間は、じゃあ、なさそうだね」 「そうだね。でも私に会いにチェンマイにおいで。毎日マッサージして美味しいもの食べてプールでぼーっとして、いろいろおしゃべりしようよ」 行きますとも、行きますとも、近いうちに必ず、ね。 そこで私は思い切ってもう一つの質問をした。 「で、息子さんはどう? 連絡ついた?」 24歳になる彼女の息子は、薬物中毒である。リハビリのクリニックに入所してはそこからの脱走を試みること(私が知ってるだけで)すでに三回。その彼がすごくハンサムで繊細そうで、そして心根の優しい青年であることを私は知っている。高校生の頃、ちょっとワルになってすったもんだした挙げ句、彼は寄宿制の学校に転校したが、そこからも脱走(これが脱走歴の第一回目)。その後は仕事をしたりしなかったり、別の学校に行きかけてはまたやめてしまったり、という人生展開になり、そうこうするうちに最初はお薬として処方されていた睡眠薬の依存症になってしまったのだ。 その息子がこともあろうに「何か悪いこと」をしでかして、少し前から牢屋に入っているのだという。私も長い時間を生きてきたけれど、親しい人の家族が「牢屋暮らし」というのは初めての経験である。 「こっちに戻ってきてから、身体はしんどかったけど息子に面会しに行ったわよ、ほぼ毎日」 Pはため息まじりにそういった。返す言葉が見つからず、私も電話を握りしめて市場のど真ん中に突っ立ったまま、眉間にしわでも寄せていたのだろう。ふと、前方から知人が歩いてくる姿が目にとまった。向こうも私に気がついて「ハロー」と明るく手を振ってきたが、私の固い表情から「おや」と思ったのだろう、「じゃね」と口の先で挨拶して手を小さく振るなり、いそいそと立ち去っていってしまった。 息子は7ヶ月後に牢屋から出たあとは、強制的にクリニック送りになり、そこで心理療法と依存症克服セラピーを受けることになっている、と彼女は続けた。 「このほうがいいのよ。牢屋じゃまさか脱走はできないし、うん、閉じた空間に入ってるほうが、きっと彼にはいいに違いない」 最近はタイ語ばかりしゃべっているから英語を忘れちゃった、という彼女の話は、なるほど以前よりずっととつとつとして時に要領を得ないのだが、それでも壮絶な状況や暗い思いは痛いほどクリアーに伝わってくる。 「あなたと、あなたの息子さんのために祈ってるよ」 陳腐な台詞だけれど、本当にそのくらいのことしかいえなかった。鮮やかな赤とピンクの大輪のダリアのブーケをぶら下げ、野菜の入った買い物かごをひじにかけ、空いた手で今しがた切ったばかりの電話を握りしめながら、ああ、平和そうにみえるチューリッヒのスークにもやっぱりドラマはあった、と、虚ろな思いでそこにしばし立ちすくんでいた。 さて、明日はちょっとは元気になれるだろうか・・・。
by michikonagasaka
| 2012-10-02 22:54
| 身辺雑記
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