序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 01月 11日
久しぶりにフェイスブックを覗いたら、友人の一人が自らの「カラオケ嫌い」を宣言していた。思わず反応して、「わ〜嬉しい。同志の人に出会うのはこれで2人目です!」とコメントしてしまった。 80年代のニッポンでそのカラオケに火がついて、当時、東京の出版社で働いていた私も、誘われるまま何度かそういう場に出かけたことはある。そして思った。 これの何が楽しいのか? フェイスブックのコメント欄に「2人目」と書いたが、1人目というのは実は(ご存知の方がどれほどいらっしゃるかは不明だが)、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いでご活躍だったデザイナー&クチュリエの渡辺雪三郎さん。私にとっては「雪さん」という名前の大切にして心より敬愛する友人なのだが、その彼と昔、食事をしていたとき、なにかのきっかけで「昨今の風潮」というような話になった。雪さん、まるで「ここだけの話だけど」とでもいうように声をひそめ、「風潮といえばさ、あのカラオケっていうの、僕は苦手だなあ」とおっしゃる。 我が意を得たりで嬉しくて、「私もあれ、大の苦手」と身を乗り出して賛同したのを今でも昨日のことのようにはっきり覚えている。 その後、時はうつり、日本を離れて久しい私は「カラオケでも行くか」と誘われる機会も(幸いにして)消滅し、やれやれと安心しているのだけれど、そうはいっても「実は私、カラオケって嫌い」とはなかなか言い出せないものである(なぜなら世の中にはカラオケ大好きという人がたくさんいることを私は十分承知しているから)。けれど本日、冒頭のフェイスブックの彼に背中を押される形で、堂々とそのことをカミングアウトしようと決めたのだ。 テーマを決めた飲み会というのも、実は同じ理由で苦手だ。 美味しいお酒を飲むのにテーマはいらないし、カラオケという場つなぎ的な余興もいらない。必要なのは、①美味しいお酒 ②向き合う大切な人、 その二つで十分だ。 私はその向き合う人(人々)と、視線を合わせて向き合って、馬鹿話でもいいし、真面目な話でもいいし、ときには愛を語り合うなんていうのでもいいけれど、とにかく全部の気持ちを相手に注ぎたい。笑いもしんみりもうっとりも、100パーセント、パーソナルに共有しなくちゃ、ちっとも楽しくない。 カラオケなんて最初の数分を除けば盛り上がっているのは歌っている本人だけ。周りは誰も真剣に聞いちゃいないし、おざなりの拍手とか、適当なコメントがあったところで、それは歌った当人だって大して真面目に受け止めちゃいない。 そんな希薄な人間関係のどこが楽しいのか、偏屈で古風な私には本当にちっともわからない。 話が飛躍するけれど、そんなわけで友人はたくさんいなくたって構わない。カラオケ友だち100人よりは、しんみり友だち5人のほうがどれだけ豊かで幸せか、と、またまた偏屈に古風に思っている。 幸いなことに、今、私が住んでいる土地には、そうしたしんみり友だちが何人かいて、そんな彼らと過ごすのに、私はなんの小道具も必要としない。これまでに住んだ世界の町々にも、数は多くないけれどそれぞれに、小道具要らずの友だちがいる。そのことを端的にありがたいと思う。生まれてきてよかった、とさえ思う。 さて、カラオケ友だち100人に相通じるものとして、たとえばの話、フェイスブック友だち100人というものがある。カラオケ友だち100人は私の人生には存在しないけれど、フェイスブック友だち◯◯人というのは、一応そこに存在している。そして、あれもどんなもんなのかなあということを、実はこのところ、とみに思うのだ。 親しさの度合いが激しく異なる100人全員に向けて発する言葉や画像というのは、それなりに「無難」なものでなければならない。発せられた言葉や画像に対するコメントにしたところで、やはりそれは「無難」なものにとどまる他はない。ヒマつぶしとして悪くないとは思うし、それをきっかけに大昔の友人や知人と旧交暖めの機会を得ることも、まあ悪くはない。 けれど冒頭の「雪さん」をはじめとして、私自身の本当に親しい友人の半数以上はフェイスブックなんてやってやしないのである。もっとも大切な人の多くが抜け落ちた「お友だちリスト」とは、はて、いかほどのものか。 カラオケ嫌いをカミングアウトしたついでに、フェイスブックも封印しちゃおうか、とふと思ったけれど、まあそこまで教条主義的に白黒つけなくてもいいかな、と、当面、それは思いとどまることに。「無難」とはいえ、そこにはまがいなりにもカラオケ以上のコミュニケーションはあるし、希薄な人間関係の気楽さを時に欲することだってあるかな、とも思うから。 またまた話が飛躍するけれど、私が昔から大好きだったフランス語にlégertéというものがある。「軽さ」という意味だけれど、それは生き方とか、存在の仕方の「軽さ」という意味ももつ。ただ、軽さといっても、それは「軽薄」というニュアンスではなく、どちらかというと「軽やかさ」「とらわれのなさ」といった意味合いで、そういう意味におけるlegertéを、私はその言葉を覚えた時以来、いや、その言葉のいかにもフランス的に肯定的な用いられ方を知って以来、ずっと自分の生き方の柱のひとつとして大切に抱き続けてきた。 ミラン・クンデラの有名な小説、「存在の耐えられない軽さ Insoutenable Légerté de l'Etre」の「軽さ」は、日本語的にはむしろ「うたかた的なはかなさ」に近いものだけれど、いずれにせよ、軽さは、しなやかで自由で都会的な、そして、どこかさらりと潔い諦念にも通じる生のコンセプトには違いない。 ・・・と話がやや哲学的な流れに行ってしまいそうになるところをここでぐっとこらえ、要するに、フェイスブックにいちいち目くじらたてたり、これを本気になってどうのこうのと論じることは、ここでいう「軽さ」に反する心の態度ということがいいたかったのだ、というあたりで止めにしておこう。 ひらひらとうたかたのようにフェイスブックはオッケーとし、けれどカラオケはやっぱりいただけない。そんなあたりが今回の軽やかな結論。 というわけで、私をお誘いいただくときは、シンプルなお食事とかお茶とか、お酒を飲むとか、もうただそれだけで十分なのです! ほかにはホント、なにもいりませんから。 ※オーストリア女、マリー・アントワネット(写真)はフレンチ的な「軽さ」の美学の最高峰的存在。
by michikonagasaka
| 2013-01-11 05:58
| 身辺雑記
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