序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2014年 01月 13日
今日1月13日は、日本に住む37年来(!)の友人Tの誕生日だった。スイスと日本との時差があるので、少々出遅れてしまったが、それでも朝いちばんにバースデーメッセージを送った。同じ高校の同じ学年だったから、今日、Tがいくつになったのかはよく知っている。頭の中でささっと計算して、ああ、そうか、もう37年にもなるのか、と改めてその時間の長さに圧倒された。 人と人の「気が合う」というのは一体どういうところで起こるケミストリーなのだろう。Tと私は、最初からなんとなく気が合って、けれどそれぞれのクラスの友人たちはまた別にいて、とうとう一度も同じクラスにならなかったけれど、Tとはずっと仲良しだった。 大人になってからの人付き合いは「◯◯(たとえば、職業名)の◯◯さん」「◯◯国出身の◯◯さん」ということを100パーセント抜きにしてスタートするということは、なかなか難しい。そして、そういうある種の目安みたいなものは一概に悪いことではない、と思う。なぜなら、ある職業を選び、その道で長い時間歩んできたということは、間違いなくその人の「人となり」の大きな部分を占め、その人の人間としての「傾向」みたいなものを多少は見せてくれるからである。 けれど子ども時代の友だちづくりは、ただ何となく気が合う、ウマが合うという点が限りなく肥大していて、それ以外の要素は、ほぼ関係ない。少なくとも私が生まれ育った環境においてはそういうものだった。そうして私は、ただなんとなく気が合うから、という理由だけでTと友だちになった。あるいは「気が合う」のもう一歩先、互いが互いにとって「魅力的」という要素もそこには働いていたことだろう。 高校を卒業して私は京都の大学に、Tは東京の大学に進み、それぞれの新しい世界でそれぞれの新しい友だちをつくった。進学して1年ほどたった頃だったろうか。Tが京都に遊びに来た。狭苦しい私の下宿に泊まって、一緒に銭湯に行ったりもした。東京の私大でスキー同好会に所属して、華やかな女子大生活をしているTと、京都の下宿街での銭湯通いの日常をシェアすることを、私はあの頃、恥ずかしいと思ったりしたのだろうか。 いろいろな記憶が曖昧だけれど、そのときTとはお互いの恋愛についてたくさん話をした。せっかくだから、と、好きなお寺に案内してあげたり、おばんざいを食べにいこうと誘ったりもした。 それから瞬く間に10年以上の月日が過ぎ、私とTはたまたま同時期にアメリカ大陸で暮らしていた。ペンシルヴァニアの田舎町で悶々としていた私のもとへ、カリフォルニアからTは訪ねてきてくれた。まだ赤ちゃんだった下の坊やを胸に抱き、幼稚園生だった上の坊やの手を引いて、他になんの観光要素もないこんな田舎町に、ただ私に会いに訪ねてきてくれた。 以前、パリに住んでいたとき、私のもとへは日本からの来客が途絶えることがなかったが、そこはなんといってもパリなのである。たとえ私がいなくとも、人はパリにやってくることだろう。このときTがしたことは、旅行のついでにちょっと顏を見に立ち寄る、というのとは、まったく意味の違う訪問だったのである。ろくな食材も手に入らない土地ではあったが、当然のことながら私は張り切っていっぱいごちそうをつくった。子どもを寝かしつけてから、連日夜中過ぎまで、さて、何を話したのだったか。 あの訪問からほどなく、Tは、駐在妻から一念発起してアメリカの大学で修士をとり、日本帰国後はずっと大学で若い人たちを教えている。そしてあのとき、モンテッソーリの幼稚園に通っていたお兄ちゃんが、昨年大学を卒業し、今は社会人一年生。かつてTは私の住む町へあちこち訪ねてきてくれたが、今は私が日本に帰ってTに会う。互いの人生で、把握していないことは山ほどあるし、シェアしない、あるいはできない事柄だってたくさんあるに違いない。 そうではあるけれど、なんとなく気が合う、という若い直感が、こんなふうにして息長く続くことがとても嬉しい。悲しかったら一緒に泣いてくれて慰めてくれるという絶対的安心感をどこかで互いに持っている関係といったらいいだろうか。 昨日の新聞の読書欄で、「ユーミンの罪」(酒井順子)という本が話題になっていることを知った。私やTとほぼ同世代の酒井順子氏が紐解く「ユーミン的世界と共に大人になった私たち」「私たちの人生の節目節目にユーミンがあった」というような内容なのであろうと推察するが、ユーミンといえば、私がいっとう好きなのは、はからずも「ガールフレンズ」という歌なのである。どこかにCDもあるはずだが、探すのが面倒なので、今日、久しぶりにYouTubeで聞いてしまった。 37年前が、昨日のことになった。 「ガールフレンズ」 松任谷由実 そうみんなが云ったとおり 先は見えてたの あの恋はついに こわれたわ 想い出のせいじゃなく 悲しかったのは けなげだったあの 自分のせい 用事をすませて 信号を抜けて ひさしぶりに集った ふられた私に みんなは陽気な ガールフレンド うしろのシートで ふさぎ込んでたら 窓から夜風を送って ふられた私に つけこむ誰かを 今日はけちらして 女だけでくり出せば 暮れてゆく街に あざやかな光 踊りだすよ おしえて これから危なく生きたらだめなの そうみんなが同じよに 昔の笑顔はもう幼なすぎて 作れない 想い出のせいじゃなく 悲しかったのは やさしすぎるから あなたたちが
by michikonagasaka
| 2014-01-13 22:12
| 考えずにはいられない
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