序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2014年 12月 12日
昨日(2014年12月10日)、特定秘密保護法が施行された。 対岸の火事などとはもちろん思っていなかったけれど、それにしても、ここまで自分のところの火事であったのかということを、このところ痛感することしきりで、そして、それがまさか、祖国・日本に起きている現実とは信じがたく、もともとどちらかといえばノンポリ系だった私は、今や、ひどく打ちのめされているのである。 ことの起こりは、数週間前、フェイスブック上で、ある投稿に対し、写真(上)のような文字列を含むコメントを書き込もうとしていたところ、にわかにこのような赤いアンダーラインが入ってきたことだった。最初、これは、校正ツールが反応したのだろうと思ったのだが、どう考えても誤字脱字、文法の誤り等が見当たらない。不可解なまま、そのコメントをアップした途端にアンダーラインはこつ然と消えた。次いで、細かい箇所の訂正をする必要があり、同コメントを編集しようとしたところ、再び、アンダーラインが登場。編集作業を終えて再びアップした段階で、またもやこのアンダーラインは消えた。 それを不審に思った私は、あえて同じポストのところで、上記の事態が発生したことを暴露した。それを読んだ友人の一人が実験的に似通った文章を自分のスマホで打ち始めたところ、やはり、不可解なアンダーラインが飛び出してきたという。 ある種の単語の組み合わせ(この場合は「NHK」「朝日新聞」「時の政権」「チェック」など)に自動的に反応するチェック機能が作動しているとしか思えない。そしてそのチェック機能は、このようにして、友だち限定公開に設定してある私のFB内にも侵入しているのに違いない、ということを、その日、私ははっきりと理解した。 さて、本日、ある友人の投稿により、福島原発の放射能量を公開し続けてきたブログが、何の前触れもなく、ブログ運営者の一切知るところなく、12月10日にこつ然と姿を消したことを知った。その運営者が、どうやら早急に別のサイトを立ち上げ、この事実を発表したものと思われる。私には、その元のブログの発表情報の信憑性について判断する力はない、というか、そもそも、もうブロックされているわけだから、内容を吟味することも不可能なわけだけれど、それにしても、玉石混淆のネット上の「あるサイト」を誰かが強制的にブロックするということは、これは大いに由々しき問題ではある。たとえ、その放射能サイトがデマで塗固められたものであったとしても(たぶん、そういうわけではなかったのだろうが)、それは普通の民主主義社会では表現の自由の権利の侵害に他ならない。 少し前のトルコで、また最近のハンガリーで、こうした事態によく似たセンサーシップが起きたとき、私は明らかにそれを対岸の火事として眺めていた。民主主義がまだ十分育っていない社会では、こういうあり得ないことがいまだに起こってしまうんだ、という思いで、その火事を(一応、眉をひそめつつも)淡々と眺めていた者の一人であった。ところが今、その対岸の火事が、私が生まれ育った国、まあまあ成熟した民主主義の国、自由の国と思っていた祖国で、火種をくすぶらせ、そしてあちこちで発火の兆しが見える状態になっている。 対岸の火事が、こちら側に飛び火して、驚くほどの勢いで火勢を伸ばしている。そういう景色が、いやがおうでも見えてくるのである。 ところで、間もなく衆院選。なんでも安倍首相率いる自民党が300議席を上回る大勝という予測がされているらしい。 特定秘密法案の強引な法制化。憲法の定める集団的自衛権に関する、無理強い的な解釈変更。アベノミクスの明らかな失敗。その他、目に余る失政にも関わらず、国民のマジョリティが現政権を支持し続けるこの仕組みの背景には、ソーシャルメディア・リテラシーの問題がある、ということを私は痛感している。 ソーシャルメディア(フェイスブックやツイッターなど)上で見る限り、安倍現政権は実に不評である。上記の失政諸件に加え、ヘイトスピーチ、A級戦犯の英雄視、特定メディアへのパッシング(そのことによる、メディア側の信じがたい腰砕けぶり)、外交上の失策、奇妙な教育改革などなど、私の目に入る情報の大半は、現政権や、その支持層の立ち位置、態度に批判的なものである。選挙を棄権してはいけないと呼びかけ、原発の問題を声高に訴え、円安の弊害を語り、そして、今日、私がここで書いているような「言論統制の動きへの危機感」を喧伝しているものは枚挙にいとまがない。 どんなノンポリであっても、そのような情報(その多くが、第一ソースを無視したコピペの垂れ流しである点は潔く差し引くとしても)に日常的に触れていれば、さすがに、あれ、ちょっとまずいんじゃないか、という気分になってくるはずである。実際、私の身近なところで、◯◯さんは自民党に投票するかもなあ、という顏を思い浮かべようとしても、これは相当、困難である。 けれど、蓋を開ければ自民圧勝という結果に、たぶん、なる。前回の参院選のとき、その前の統一選のとき、いずれも私はこの「身近なところでの民意の実感」と「選挙結果に現れる民意」との激しい乖離に驚いた。 けれど、たとえばの話、上で引き合いに出した「あるブログが言論統制でいきなりブロックされた」というようなニュースは、おそらくは、メインストリームのメディアにはまず、取り上げられることはないのであろう。ソーシャルメディアで日常的に触れている情報の多くは、メインストリーム・メディアでは完全にスルーされ、したがって、ソーシャルメディアに親しんでいない層には、まったく届かない、ノンアクセスのインフォメーションのまま、消えていくのである。 そしてその「ソーシャルメディアに親しんでいない層」というのは、実は、驚くほど、多いのであろうということを痛感し始めている。貧富の格差に加え、情報格差がここまで肥大した現代の日本。それはまた、世界からの孤立、鎖国的状態をも意味する。ソーシャルメディアに親しんでいる層の、ほんの、ほんのごくわずかな層を覗いては、事実上はオープンな世界の情報ソースへのアクセスから、ピタリと遮断され、日本語に翻訳(意訳、それもセレクトされたもの限定)されたものでのみ、かろうじて外の世界とつながっているに過ぎないからである。 加えて、文句の声、不満の声を高らかに上げ、抗議運動を起こすことに関しては、まったく控えめな国民性。やばいのでは、とうすうす感じていながらも、それを表現することをしない大人しさというものがある。 さらにさらに加えるならば、やはり人はどこか恐怖と背中合わせに生きているものなのだ。現在の仕事、家族、かかえているローン、社会におけるポジション、子どもの教育現場や社会生活上のポジション、などなど、人にはそれぞれ「失っては困るもの」がいろいろある。たとえ腹に一物あったとしても、それを表現することのリスクということに、どうしたって思い至らずにはいられない。だから発言を控える。コメントを控える。コミットメントを控える。 私は、失って困るものというものがさほどない人間なので、その点、いくぶん気が楽である。こんなふうにして、ささやかに私見を発表した結果、もしも仕事をほされるというようなことになったとしたならば、それはもちろん不快で腹立たしいことには違いないけれど、だからといって、表現する手段をたまたま手中にしている一人の物書きが、言いたいことも言えないでどうする、という思いの方が、そうした不快さへの怖れを大いに凌ぐものであるからこそ、やっぱり言いたいことを言うのである。 一時は、日本に帰国して、再び日本に住むのもまたありかな、と夢想したこともあったが、今、その思いは急速にしぼんでいる。日本を見限りそうになっている自分が、そうはいっても、やはり哀しく、切ないのである。 ※上記に貼ったリンクが、いつなんどき消されるかわからないので、念のため、下にスナップショットを貼付けておきます。
by michikonagasaka
| 2014-12-12 06:35
| 考えずにはいられない
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