序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2015年 08月 19日
8月前半、駆け足帰国の真ん中あたり、裁判官をしている友人と一年ぶりに再会した。他の仲間たちと共に夜中過ぎまでお酒を飲みながら、ふとした弾みで安保法案のことが話題にのぼったとき。 「仮に、というかおそらくそうなるだろうけれど、この法案が参院でも通ってしまった場合、それに対して司法に違憲判決を出してもらうという手段だってあるわけだよね?」 法律素人の私の素朴な疑問に対し、彼の答えは次のようなものだった。 「抽象的なことではなかなか難しいけれど、憲法前文にある平和的生存権が具体的に侵害された、ということで裁判を起こすことができる。たとえば、息子さんが自衛隊員である母親が、息子が戦争に巻き込まれる、どこか遠い国で人を殺すようなことになる。それは、母親である私の平和的生存権を脅かす、堪え難い苦痛を強いるものである、というような形で」 職業人として、また人間として大いに尊敬しているその友人のいうことなんだから、間違いはなかろう、そうしたものなのだろう、と感心して聞いていたが、別れ際、彼が小さな本を一冊、そっと手渡してくれた。 「さっきの話に関連したものだから、もしよかったら」 といって。 最初から私にくれる心づもりで持ってきてくれたのか、それともたまたまこの本が一冊、カバンの中に入っていたのか。ともかくも、ありがたく頂戴し、いずれスイスに戻ったらゆっくり読ませていただくつもりだった。ところが、2〜3日後、まえがきを読み始めてしまったら、これがあまりに面白い。慌ただしい滞在後半の間に、とうとう最後まで読んでしまった。 それはイラク戦争(2003年〜2010年)当時に行なわれた「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」に際して、名古屋高裁が言い渡した歴史的な「違憲判決」(2008年)について書かれた単行本『「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』(2009年)の文庫版で、出版は今年の5月とある。著者はこの裁判の原告側を代表する川口創弁護士と、評論家でやはり本裁判に関わった大塚英志氏。文庫本化にあたってあらたに前書きと後書きを書き下ろし、判決文を全文掲載した上で、二人の間の質疑応答という形で、この判決文を読み解き、その意味や今後の可能性を問う、というつくりになっている。 この裁判のことは聞き知っていたけれど、法律に暗い私は、その意味するところをきちんと理解していたわけではないし、ましてや判決当時を含め、長い外国暮らしの身であり、イラク戦争時の日本国内の空気や報道のされ方、政府のとった一連の動きについての理解もきわめて薄っぺらなものでしかない。その私が、この書物を憑かれたようにして読み終え、そして大きな感銘を受けた。 そうだ、まだ、この手があるじゃないの。 7年前、一地方都市の高等裁判所で言い渡された判決文。だがそれは、あたかも現在の日本が置かれている状況を先読みしたかのような判決文であること、先取りして重要な布石を敷いておいてくれたかのような判決文であることに、まずは驚いた。そして、判決文というジャンルに慣れていない私のような素人にも非常に分かりやすく、また無味乾燥ではない心に響く文章、原告への共感を伴った文章であることに感動した。 裁判自体は、原告の敗訴ということになっているが(そしてそれは、勝訴した側=国が、最高裁に上訴して違憲判決を覆す可能性を奪ったという意味で、実は、決して悪くないことでもあった)、判決文は、当時の自衛隊が「後方支援」としていたことを「多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援」であり、「自らも武力の行使を行なったと評価を受けざるを得ない行動である」、したがって「現在イラクにおいて行なわれている航空自衛隊の空輸活動は・・・・・武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、かつ、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と明言。 さらに、憲法前文にある「平和のうちに生存する権利」(平和的生存権)について、それが「すべての基本的人権の基礎」にある「基本的権利であるということができる」と定め、「憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には・・・裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる」と保証してくれている。 つまりこれは、あのイラク戦争当時の国内の政情、日米関係、世界の地政学的状況等を十分鑑みた上で、すでにイラク戦争への自衛隊の関わり自体を戦闘行為である(したがって違憲)と判定するのみならず、将来的に、さらなる戦争加担の可能性がでてきた場合を危惧・想定し、その際に、今判決が一つの前例となる形で、違憲裁判の道筋を開いておいてくれた。そのような素晴らしい判決だった、というふうに私は思うし、本書の中でもそのことが再三再四、述べられている。 東京と地方とのメディアにおける温度差 その上で、さらに確認しておきたい点は、この判決当時のメディアの反応について。そして、それから7年後の現在のそれについて。 この判決、および、イラク戦争そのものについて、東京の大手メディアと地方のメディアとの間に横たわる歴然とした温度差、取り扱いの違いについて本書はかなり手厳しい。 「東京と東京以外の場所での世論の違いや、九条に対する温度の違いには驚きます」(大塚) 「中日新聞、同系列の東京新聞や、他の地方紙には、イラクのこと、自衛隊のことがけっこうのったりするのですが、在京大手新聞には、イラクから自衛隊が撤退することが決定したという記事などもあまり出ない」(川口) とあるように、どうやら、この判決やそれをとりまく一連の出来事・状況を、朝日をはじめとする在京大手メディアは、それをほぼスルーしたのみならず、ミスリーディングな捉え方(この判決は「傍論」である、という政府見解を、その「傍論」ということ自体が日本の法体系ではあり得ない議論であるにもかかわらず、勉強不足のままそのまま垂れ流した、など)で紹介したようなことも多々あった。他方、地元名古屋の中日新聞をはじめとする地方紙は、かなり丁寧に取り上げ続けたということらしいのである。 東京と地方との温度差については現在もおそらく状況はそのままであろう。また(大手)メディアにおける、他律自律双方のセンサーシップについては、当ブログでも幾度か触れてきたが、これはメディアの側にささやかに身を置く人間として見た時に、間違いのない事実であると思う。この本の「まえがき」によると、著者は「底本の版元の角川書店に文庫化ないし復刊を打診したが叶わなかった」そうであるが、これもまた、角川という出版社の一つの「政治的判断」であったのかもしれない。 現在、法制化が着々と進んでいる安保関連法案の行く先は、アメリカが中心となって進める「テロとの闘い」に日本も自衛隊を派遣し、後方支援という名の下の戦闘行為に加わることであり、「ボランティア」という名の下に「強制力のない」徴兵制が敷かれ、そして強制力がないにもかかわらず、結果的には貧富の差、社会的格差をそのまま浮き彫りにしたような形での志願兵が(たとえば、志願することで大学の学費を出してもらえるといった交換条件つきだったり、定職につけない若者の就職先候補になったり、という形で)存在する社会になる、ということであろう。 「国際貢献」といえば、それなりに聞こえはいいかもしれないけれど、ここでいわれる「国際」は、直訳すれば「対アメリカ」ということ。世界地図をぼんやり眺めていれば、そんなことはすぐにわかる。政府が本音のところで想定している脅威とは「我々をとりまく近隣諸国」にあるのではなく、中東のテロ組織であり、そしてそのテロ組織(ISIS)の温床をつくった大きな原因として、イラク戦争そのものがあった、そのイラク戦争で、既に日本は軍事行動をとってそれに加担していた、ということを忘れてはいけない。 安保法案が衆院を通過したときのニューヨークタイムズの記事は、それが戦後の日本にとって「特筆すべき大きな変化」であるというニュートラルな形で紹介していたが、そこに寄せられた読者のコメントの多くは「とうとうこれで、日本も軍事活動ができるようになる。長年の不公平がやっと是正される」といったトーンのものであることに、正直、私は驚いた。リベラルなニューヨークタイムズの読者ですら、戦争を必要悪として是認し、「僕らだけが税金つかって、兵士の血を流してそれをするんじゃあ不公平だ。日本もいい加減、参加してくれないと」という意見なのである。アメリカは日本の「集団的自衛権」を心から望んでいる。武器産業も、政府も、国防省も、そしてニューヨークタイムズの読者でさえも、それは同じなのである。 誰でも裁判を起こすことができる、応援してくれる弁護士はきっとたくさんいる 冒頭でご紹介した友人の言葉の意味が、この貴重な読書のあとで、すとんと理解できるようになった気がする。著書の一人である川口氏のあとがきから一部を引用させていただく。 「法案が作られた、という段階では、残念ながら裁判所は門前払いする可能性は高いと思います。ただ、安倍政権のこれまでのスピードからすると、多数の法案を作った後、すみやかに自衛隊を海外に送り出す具体的な行動に移してくる可能性があります。法案は多岐にわたるのですから、法案が成立した後には、自衛隊はその法律に基づいて行動することになり、多くの具体的な行動が起こされることが想定できます。自衛隊の活動以外にも、多くの面で、憲法違反の法律に基づいた具体的な行動が起こされて行くことになるでしょう。……しかし裁判所はあくまで受け身の機関であって、勝手に憲法判断をすることはありえません。市民が提訴しなければ、裁判所が違憲判断をすることは絶対にないのです。……安易に裁判を促すつもりは全くありませんが、しかし、真剣に、覚悟を持って立ち上がろうという市民が多数生まれてくれば、それに応ずる弁護士も全国各地に必ずいると思います。」 現行法では自衛隊員の戦闘参加が「任意」になっているけれど、安保法案が成立した暁にはそれが「強制」になる可能性は強いという。その際、息子さんが、ご主人が、意に反して集団的自衛権の名の下に戦闘地域に派遣されるようになったとき、民事という形で裁判を起こすことができるのですよ、そしてその裁判で、この新しい法律に違憲審判が下される可能性は非常に高いのですよ、力の限り支援したいと思っている弁護士はたくさんいるのですよ、ということをこの本は示唆しているのである。 時の政権とのしがらみが強い最高裁はともかくとして、全国各地の地裁、高裁には、きっとイラク派兵差止訴訟当時の名古屋高裁の裁判官たちのような人がたくさんいる。また、この訴訟で違憲判決が出た後、同年10月に富山で開かれた日本弁護士連合会の人権擁護大会で、「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」というものが採択されたことからもわかるように、この違憲判決は、「弁護士の中でも、思想的な右も左も関係なく評価されている」のだという。 ここ数年、さまざまな分野(ヘイトスピーチ、原発再稼働など)で、司法がなかなかナイス、というふうに感じることが実は多かった。日本の司法には、どうか勇気をもって、人間の尊厳を重んじる良識ある仕事をしていただきたい。この小さな書物を読んで、そこのところへの期待がふくらんだ。 憲法を教条化する必要はないけれど(なぜならそれは思考停止という怠慢だから)、現行の憲法のよい部分を私たち市民はよく理解して、それを賢く運用しなくちゃいけない、そう思わせてくれる読書だった。私の拙い紹介文ではいかにも役不足なので、どうか、ご自身で手にとってお読みいただければと思う。 ※自衛隊員には女性もいらっしゃいます。タイトル、よほど「配偶者の方たちへ」とでもしようと思いましたが、敢えてこのままでいきます。 Photo credit: Thomas Rowlandson (1756-1827) and Augustus Charles Pugin (1762-1832) (after) John Bluck (fl. 1791-1819), Joseph Constantine Stadler (fl. 1780-1812), Thomas Sutherland (1785-1838), J. Hill, and Harraden (aquatint engravers) / Foter / Public Domain Mark 1.0
by michikonagasaka
| 2015-08-19 13:36
| 考えずにはいられない
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