序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2008年 03月 29日
太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に「集団自決」を命じたというのは本当か、それとも「根拠のないでっちあげ」かという点で争われた「沖縄ノート訴訟」。その判決が大阪地裁であった。判決は「元戦隊長の命令があったとは断定できないが、関与は充分推認できる」とし、原告の主張を斥け、被告である大江健三郎氏と岩波書店に勝訴をもたらす結果となった。
発端は70年代に大江氏が執筆した岩波新書の「沖縄ノート」という書物。その中に、集団自決への旧陸軍の関与を示唆する箇所があり、それによって「名誉を傷つけられた」として元戦隊長とその遺族が05年に大江氏と岩波書店を相手取って提訴。この影響を受け、昨春の教科書検定で「軍の強制」を示す記述が削除されたが、今度はその削除に対し沖縄県で反発が強まり、「軍の関与」を示す表現を復活させた教科書6社の訂正申請が昨年末までに承認された。 ちょうど、教科書検定をめぐるごたごたが新聞紙上をにぎわせていた時期、縁あってスイスで映画「ひめゆり」を観た。日本でも数々の賞を受賞するなど話題になったのでご存知の方も多いと思うが、これは2006年に完成した長編ドキュメンタリーで、監督は柴田昌平氏。13年間かけてひめゆり学徒隊の生存者への聞き取り取材を続け、膨大な録画フィルムを編集する段階ではあえて恣意的なメッセージとか解釈といったものを介在させず、淡々と証言者の言葉を連ねる形でつくられた力作だ。初上映は昨年3月24日の沖縄。5月10日に天声人語で紹介された後の東中野での東京公開も反響が大きく、その後全国で劇場上映、自主上映が行われている。 たまたま私のお友達のSさんは、柴田監督の昔からの友だちで、その縁もあっておととしの映画完成から、「映画“ひめゆり”を観る会事務局」の上映展開の手伝いをしている。「この作品をひとりでも多くの方に紹介してゆくことを、私のライフワークとした」と言い切るほどのほれ込みようなのだが、劇場上映に先立ち、まずは「ホームシアター形式で上映会を開くから、是非観に来て!」と、声をかけてもらい、先月、早速、およばれしたところ。ちなみに著作権等諸事情があり、今のところ海外での上映、ホームシアター形式はSさんが窓口になっているスイスのみとのこと。 映画そのものの詳細や論評にはここでは触れないが、ともかく大変によくできたドキュメンタリーで、語ることのできない人の沈黙、そして語らずにはいられない人の饒舌ということを、鑑賞後、私は思わずにはいられなかった。映画の中に登場する女性たちは、いずれもひめゆり学徒隊の生存者で、そのうち「語ること」を選び取った人たちだ。しかしそんな彼女たちも「語り始められるようになる」までには、何十年という時を必要とした。生き残ったことへの後ろめたさ、あるいはこの世の地獄を生きたこと自体のトラウマ、そうした思いを自分だけの胸の内に閉じ込めて何十年も口を閉ざしてきた人が、ひとたび「語る」ことを選び取るやいなや、あふれる言葉はとどまることを知らず、そして今度はおそらく、そんなふうに突き動かされるようにして語ること自体が自らのヒーリングにもなり、そして後世のために語っておかねばという強い責任と義務の意識につながっていく。 なぜ、「ひめゆり」のことを長々と書いたかというと、今朝の新聞で見た沖縄戦・集団自決の裁判の判決に触れ、私の中の良心、いやこれは良心ではない、むしろ理性だが、その理性が、「火のないところに煙は立たない」という、古い叡知のことを思い起こさせたから。 だって、「ひめゆり」のスクリーンで、あれほど言葉をかみしめながら、あれほど言葉の洪水におぼれそうになりながら、しかしどこか超人的なほどに毅然と、意を決した人の覚悟をみなぎらせて語った人たちの言葉が、全部でっちあげなんて、そんな馬鹿なこと、あるはずがない。彼女たちの多くが語った「手榴弾」の逸話。そして「捕虜になることは恥であり、罪である」と教わってきた、だから捕虜になるくらいなら自決せねばならないと思いつめていた、というくだり。それがみんな「口裏合わせたでっちあげ」などということは、どう考えても不可能。 自決への関与が、具体的な軍の命令によるものであろうが、単なる「関与」であろうが、いずれにせよ、あの時代を生きた人たちが「捕虜よりは自決を」と教えられ、それを信じていたことだけは間違いない。それはひょっとしたら上意下達の組織だった「軍令」ではなかったかもしれないが、だからといって、幼い子供たちの脳裏にまで浸透していた「国を裏切るくらいならば潔く自決を」という思想の存在そのものを否定することなど、到底できるものではない。 あの大戦にまつわるこうした議論が巻き起こるたびに、「いや、日本はそんな悪いことやってない」という線をなんとか死守しようとする人たちの詭弁ぶりに私は苛立つ。 南京大虐殺しかり。慰安婦問題しかり。そして沖縄問題しかり。 ことは「数」の問題じゃない。「戦争という特殊な条件下では、やむをえなかった」と開き直って相対化してお終いにできるものでもない。それは罪、あるいは悪の「質」の問題なのであって、「量」あるいは「記述の相対化」の問題ではない。 私は別に「サヨク」でもないし、「自虐史観の持ち主」でもないけれど、こと「太平洋戦争問題」に対する祖国の向き合い方に関しては、とても歯がゆい思いをしている人間だ。「ドイツ式」を無条件に礼賛しているわけでもないけれど、いや、逆に、ドイツくらいの「徹底謝罪・徹底自己批判」は、むしろ「そんなの当然の大前提でしょ」と思うくらいだから、「まあ、ちょっとは悪かったけど、それほど悪くはなかった。それどころか犠牲者の側面もあった」という議論の不毛さには、どうしたって苛立たずにはいられないのだ。
by michikonagasaka
| 2008-03-29 20:23
| 考えずにはいられない
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