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2012年 01月 09日
子どものとき、親によくいわれたものだった。
「あんたは器用貧乏だから、そのまんまじゃ大成しないよ」 確かに、どっちかっていうとなんでも器用にささっと出来ちゃうタイプの子どもだったかもしれない。特にピアノは、ほとんど練習しなくても初見でけっこういけるので、大胆不敵にも、一週間、楽譜をカバンから一度も出さずして次のレッスンに臨み、さすがにちゃんとした曲のほうはさぼりが完全にばれるものの、練習曲(ハノンとかチェルニーとか、そういうもの)は、どれどれ、とぶっつけ本番で弾いて「じゃあ、来週は次のやってきてください」といわれることもしょっちゅう。少々罪の意識はあったものの、「ラッキー」という思いの方が圧倒的にまさっていて、なんだかそれでごまかし続けてきたようなところがある。 暗譜も簡単に出来たし、聴音なんかもなんだか簡単で、聞いた曲を楽器でそのまま再現できない人のことを「音痴だなあ」などと、これまた不遜なことを思ったりしていたものだった。ことはピアノに限らず、一事が万事、やや「ことを甘く見る」傾向をだらだらと引きずりながら、いつの間にか大人の年齢になっていた。唯一の例外といえば大学受験で、高2までの低迷した成績からの奇跡的挽回を果たすため、それはもう「二度とあり得ない」ほどたくさん勉強し、なかなかうまくいかなくて辛かったり苦しかったりしたことくらいだろうか。 親の予言は見事に的中し、どの分野においても私は大成するどころか、低空飛行で早や何十年。いつしか、「そのうちきっと」などという思いも消え、正真正銘のその日暮らしの人になってしまった。 そしてそんなその日暮らしの中で何十年ぶりかで再開したピアノのお稽古。そこで実は私は愕然としているのである。 器用貧乏? 器用? なんですか、それ??? 子どものころ「簡単」と思っていたのは、あれは単なる幻想だったのか。あるいは、曲自体があまりに簡単だったので、たいして練習せずともなんとかなっていただけだったのか。 譜読みの段階で弾きづらいところが山ほどある。それはまあ当然なので仕方がない。で、そこを集中的に練習する(ここが子ども時代と大いに異なるところ)。たとえば一つのパッセージを、20回とか30回くらい練習するとする。最後のほうには、さすがにだんだん弾けるようになってくる。よっし、このへんでオッケーとするか、と、次の弾きづらいところにとりかかる。そんなことを繰り返し、その日は時間切れになる。翌日、または翌々日(翌日に時間が全然取れないときなど、間に数日空いてしまうこともある)、前回、だいたい弾けるようになったところに「さてもう一度」と挑戦する。と、非常に失望することに、あらやだ、完全に振り出しに戻っていたりするのである。 えっ、きのうのあの練習の成果は一体どこへ??? ひょっとして脳細胞のどこかには、わずかながらの変化が刻み込まれているのかもしれないけれど、少なくとも表面上は「相変わらず、全然、弾けないじゃん」という状態で、それはもうがっくりくるのなんの。 先生は「1000回くらい、いや1万回くらい練習したら、きっと完全に自分のものになりますよ」とおっしゃるが、さて、その「1000回」というのは、白髪三千丈的な数字なのか、それともliterally soなのか。いずれにしても、私には1000回も練習する根性も根気もなければ、時間もない。だから一週間たっても二週間たっても、相変わらず、弾けないところだらけで、それはもう地団駄踏む思いなのだ。 年のせいだろうか(あるだろう、それはもちろん)。 自分の実力と曲の難易度がかけ離れているせいだろうか(それも、やっぱりあるだろう)。 いずれにせよ、なかなか辛い状況で、なんだか子どもみたいにふてくされたり、すねたりしたくなってくる。 ふと思い出した。子ども、といえば、器用貧乏といわれていた幼少時、それでもたまに、そんなに簡単には弾けない箇所というものはもちろんあった。そんなときの私はたちまち忍耐切れでかんしゃくを起こし「これはもう絶対に永遠に出来ない。不可能」と親に当たり散らしたりしていた(記憶がかすかに、けれどはっきりとある)。そんなとき、クールな母は、 「前回もそうやってかんしゃく起こしてたけど、そのうち出来るようになったじゃない。だからきっと今回も弾けるようになるわよ」 「いや、今回こそは絶対無理。無理ったら無理」 私の対極、「不器用な努力家」である妹は、幼稚園の器楽合奏で太鼓の役をもらったはいいけど、「た、たーん、た」というシンコペーション系リズムがどうしてもできない。私がつきっきりで、「だから、た、たーん、たって、ほら、こうやって」 と手を一緒にもってやったり、手拍子してやったり、足踏みでみせたり、一生懸命教えるのだけど、彼女、本当にできないのである。そのうち、こっちがいやんなってきて、「もう、なんでこんな簡単なのできないの」と、匙を投げたわけだが、そのあとも妹は何度も何度も「た、たーん、た」「た、たーん、た」と文句一ついわずに、でも目に涙など浮かべながら、もくもくと練習する。そして、三日経ち、一週間たち、10日たって、とうとう彼女は「た、たーん、た」をマスターした。涙をいっぱい流しながら、けれど、決してあきらめることなく、人の何倍も時間をかけて、とうとう彼女はマスターしたのだ。 「す、す、すごい」 子どもながらに、私は妹の示したこういう静かなたゆまぬ努力というものの輝きに端的に感銘を受けたものだった。 あ〜それにしても、器用貧乏から「器用」がなくなっちゃって、そして「1000回練習する根性」ははなからないとなれば、それはもう絶望的な状況である。 母の予言はどこまでも正しくて、ピアノを前にした私を非情に打ちのめすのだ。 2011年 10月 16日
![]() 新しい曲の譜読みをはじめるとき、私は断固としてCDとかユーチューブといったソースを遮断するタイプ。理由はたった一つ。先入観なしでいってみたいから。 もちろん、有名な曲もたくさんあるので、どこかで聞いたことがある、という状況は避けられないわけだが、それを除けば、ファーストコンタクトは楽譜から、というのが、生意気な私のポリシーなのである。 一番最近さらった曲は、ブラームスのOp.118のインテルメッツォで、ようやく暗譜にもこぎ着けた今になってやっと、どれどれ、と、巨匠の演奏を聞いてみたりする。 あ〜、こうくるわけか。 すごい、美しすぎ。 え、そう行きますか? などなど、フレーズアフターフレーズに、感想がわき起こってくる。楽譜のあのページのあのあたり、という感覚を併せ持った状態で、巨匠の演奏に触れるとき、当然、私はお腹のなかで歌いながら聞いているから、自分の歌と巨匠の歌がシンクロしたり激しくズレたりするのも全部、お腹で感じ、そして「え」とか「う」とか「ふ〜む」とか「絶句」などと反応するのである。 でも、こんなふうに「禁欲的に」巨匠の解釈に触れることをシャットアウトするやり方って、もしかして今どきはマイノリティなのかな、と疑問に思ったりもする。娘はチェロを、息子はバイオリンをそれぞれ習っているが、彼らは(先生のおすすめにしたがって)ユーチューブでチェックするなんてことをよくやっているし、時には先生自らCDを貸してくれたりもしているようだ。彼らの流儀に母親の私はいちいち口出しはしないけれど、「それじゃ発見の楽しみがなくなっちゃうじゃん」ということをひそかに思っている。 実際、楽譜をじ〜っと眺め、どれどれと鍵盤上でそれを音声化していくプロセスが、私はかなり好きだ。もちろん、たどたどしく、ミスタッチだらけでスタートするわけだから、「こんな感じ」というのをイメージするのは譜読み段階の初期の頃にはなかなか難しいのだが、それでもまるでパズルを解いていくように少しずつ「見えてくる感覚」というのが楽しいのだ。 さて、なんとか譜読みレベルはオッケーになった状態で先生のところに行くとする。自分なりのイメージなんかもおぼろげにあったりするわけだが、そこで次々と解き明かされる、私自身は全然気づいていなかった事柄。同じ楽譜を眺めていて、こうも自分は節穴だったか、ということを思い知らされる瞬間なのだが、これまた、実は、かなり楽しい。 「ほぼ同じフレーズだけど、一回目と、ここに再び登場する二回目とでは、ほら、最初の音符の長さが違っていますよね。それ、どういう意味かわかりますか?」 なんてことをいわれ、きゃ〜っ、それって全然、気づいてなかったわ、わたし、と、びっくりする。先生の指摘を受けて、もう一回楽譜をみると、あら、本当にそう書いてあるじゃない。ブラームスさん、ここで、敢えて変えて書いたわけだから、それなりの意図があったわけだよね、やっぱ、などと考える。こういう作業がなかなか楽しいのである。 手探りでトンネルの中を歩いていくような、そして、真っ暗なところに自分の絵を描いていくような、そういうプロセスの楽しさが、ユーチューブに最初にいっちゃうと絶対、半減、いや壊滅するように思うのは、私が旧世代に属する人間だからだろうか。それとも、巨匠の色に染まりたくないもんね、とどこかで思ってる、つまり「巨匠の向こうを張る」、みたいな、信じられないほどに不遜で身の程知らずの人間だからだろうか(いや、そうではないと思う、いくらなんでも)。 来月、ベルンでロシア人ピアニスト、ソコロフのコンサートがある。ソコロフといえば、今、私の心にもっともピンとくるピアニストの一人。プログラムにはブラームスのインテルメッツォ(Op.117のほう)も入っているみたいだ。この曲を練習したのはもう半年以上前だから、今なら心置きなく巨匠の演奏に耳を傾けることができる。チケットとってみようかしら。 2011年 02月 25日
実は来週からピアノのお稽古を再開することになった。
以前、ジュネーブに住んでいたときに二年間、お稽古に通ったことが、私にはとても幸せで楽しい経験だったことが忘れられず、また是非、と思いつつも、毎度のことながら、引っ越しのあと、しばらくは、まずは生活の基盤を立てる事が優先順位の一番。それに加え、フェアリーテールの立ち上げという、とんでもないオマケの事体が発生してしまい、まさに ピアノどころじゃない 状況であっという間にに三年の月日が流れてしまった。 これ以上の先延ばしは、だが、いかんとも堪え難く、よし、ここは強引に再開しよう、と決意。時間は与えられるものではない、自ら作るものだ、と自分に暗示をかけ、ならばまずはこの地で先生探しから、と、昨年末より友人知人にあちこち尋ね回りはじめたのだった。 そしてめでたく見つかったS先生。演奏活動をされると共に、チューリッヒのコンセルヴァトワールで教えておられる(おそらくはほぼ同世代と思われる)ニッポン男児である。 さて、いよいよ来週からレッスンがスタートする運びとなり、そのスケジュールなどのメールをやり取りする中、今日、いただいたメールに次のような一文があった。 「スイスはこのところ数日の例外を除いてどんよりした天候が続き、ブラームス晩年の哀愁に満ちた音楽を勉強するには最適です。」 ここで、当然ながら私は 「どっひぇ〜。降参なり」 とぶっとぶ。 う〜む、そう来たか、と、頭を垂れる。 はからずも、レッスン初日にお持ちする曲というのは、そのブラームスのインテルメッツォという曲なのであった。これは、ジュネーブ時代に「かろうじて譜読み」のところで「引っ越し、時間切れ」となり、その後、ほったらかしになっていた「わたし的・超・未完の曲」。3つ(だと思う)あるインテルメッツォの中、ジュネーブ時代の先生に「どれを弾きたい?」ときかれ、迷わずこれ、と選んだ一曲だっただけあって、こんな未完状態で永遠にさよならするのはあまりに勿体ない。S先生は、「曲はとりあえず、好きなの、なんでもいいですよ」とおっしゃってくださっていたので、ならばこれを少し勉強するか、と、再度、楽譜を引っ張りだしてきたものだ。 さてこの曲、はたしてブラームスの人生のどのへんに作曲されたものなのかしらん、と、S先生のメールを拝読しつつ、突如、がぜん興味がわいてきた。で、早速ぐぐってみたところ 1892年。ブラームス晩年の真髄である夢想的な情感が特にあらわな小曲集。(ヤマハのサイトより) とあるではないか!!! 私はS先生にはレッスン初日にお持ちするのは「何の曲」とは一言もお知らせしていない。それを、まるで霊感みたいにしてこんな形で「示唆」するなんて、あまりにすごすぎる! ちなみに私が「これ」と選んだのは、その中の二曲め。同じヤマハのサイトの説明によれば 胸をうつような冒頭主題が美しい。 とのこと。そう、そうなんです、冒頭主題、めちゃ美しいのです。でも、この曲、フラットが5つもついてて、しかもしょっちゅうダブルフラット(というのだろうか? ♭♭と書いてあるやつだけど)とかが登場して(「だったら、一音、下の音で書いてよね、ヨハネス」と、音楽的にはきっとかなり間違っている反応をしてしまう私)、やっぱりとっても難しいのだ(私には)。せいぜい、この暗〜い天気を武器にして、一生懸命勉強させてもらうこととしよう! < 前のページ次のページ >
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