序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2010年 12月 21日
敬愛する佐野洋子さんの訃報に触れたのは、日本からスイスに戻った直後、機内で読みふけったエッセイ集「ふつうがいい」の余韻もさめやらぬ11月初旬のことだった。
「100万回生きたねこ」は、ぼろぼろになってセロテープで補強されたまま、今も実家の和室に大事にとってある。スイスに持ってこようと思いつつ、帰省するたびに、その和室にねっころがっては幼かった息子や娘に読んで聞かせ、いっしょにげらげら笑い転げたり、エンディングにしみじみしたりということを、何度繰り返したか知れない。 「シズコさん」 「神も仏もありませぬ」 「がんばりません」 「覚えていない」 「ほんの豚ですが」 この人を食ったようなタイトル。そしてタイトルをさらにせせら笑うような濃厚でシュールで忍び笑いをそそる中身。そこには私の感覚が異常な共感をおぼえるスタイルというか美意識というか、そういうものがあふれていて、手放しで絶賛するしかない。 そして冒頭の「ふつうがいい」。この中に収録されているモディリアーニについてのミニエッセイが、私の宝だ。 あんまり素晴らしいので、以下、一部を引用しておこう。 …むさぼり読んだモディリアーニの生涯は、完璧であった。その悲惨さに於いて。私は芸術家は悲惨で貧しくなくてはならないと思っていたのである。その酒びたり、その貧しさ(何とも寒そうであった)、そのみとめられない天才、道ばたにすっころがって汚れたゴミのように死んだ最期。その死によって恋人が、アパートから身を投げて死んだクライマックス。もう文句のつけようがないのである。 その本で私は彼の仲間たち、ピカソやマックス・ジャコブその他大勢を知ったが、ピカソの金ののべ棒を部屋いっぱいにため込んだ成功よりも、アル中でゴミのようにパリのみぞにころがって死んだモディリアーニにじりじりと身を寄せたのである。そしてパリは私にとって、モディリアーニのパリであった。モディリアーニのパリは何故かモノクロームで、寒いのである。石だたみが、雨にぬれて光るのだる。 ・・・・・中略・・・・・・ 私は芸術家の私生活にことの外興味を持つミーハーであるが、いまだかつて、モディリアー二の私生活ほど非のうちどころがなく私を満足させた芸術家は居ない。今でも私はモディリアーニの絵を見ると胸がドキドキする。そして誰も見ていないかどうか、あたりをうかがうのである。 私自身が、ひそかにシューベルト君に対して抱いている、人にあんまりいいたくない思いと、これがあんまりそっくりなので、ぶったまげたものだった。 佐野洋子さんみたいに超おもしろくて、誰にも真似できない観察眼をもち、(そしてどうやら一人息子の弦くんを、なんだかんだいって溺愛していたらしい)そういう、濃厚な情にあふれる女の人と、一緒にお茶でも飲んでしゃべくりまくったら、ほんとどれほど楽しいことだろうか。 あの世では、ぜひ、パーソナルなお知り合いになりたいな、と、ミーハー的な妄想とともに、私は佐野洋子さんを、この世から敬愛し続けている。 #
by michikonagasaka
| 2010-12-21 23:28
| 本
2010年 12月 20日
パテック・フィリップの時計のストラップが、東京のど真ん中で突然切れてしまった。東京ではどこでパテック・フィリップのケアをしてもらえるのかわからなかったので、とりあえず銀座の和光へ。
地下一階の時計サロンは、制服をきちんと身につけた店員さんのたたずまいや商品のディスプレーや照明の仕方など、ま、いってみれば時代を超越したような厳かな雰囲気。思わず私までがなんとなくしずしずと歩いてしまいそうな、そんな場の力をびんびん感じながら、とりあえず、お修理のカウンターへ。 最初はストラップだけを替えてもらうつもりだったのだが、なんでもストラップを止めているところのゴールドの細いスティック部分がわずかに曲がっているそうで、ストラップがするりとはずせないとのことだった。 「少々お時間をいただければ、私どもの職人のほうでお直しをさせていただきますが」 そういわれたので、時計を係の人に預けたまま、私はヤマノ楽器でCDなどを見ていた。 15分くらいたったころだろうか。携帯が鳴った。さきほどの和光の係の人だった。 「先ほどお預かりした時計ですが、やはりスティックが曲がっておりまして、それを無理に直そうとして破損するようなことになってはいけないので、大変申し訳ありませんが、やはりこちらはパテックさんのほうでお直しされたほうがよろしいかと存じます。詳しいご説明をさせていただきますので、ご足労ですが、店までお運びいただけますでしょうか」 なんだかよくわからないが、ともかくまた、和光の地下一階へ取って返した。 白い手袋をはめた担当の方が、ベルベットのトレイの上に私のパテックをうやうやしく置き、そして問題部分をさしながら状況を詳しく説明してくださった。時計はきれいに磨かれており、そして丁寧に袋に入れていただいて私の手元に無事、戻って来た。 そのまま、慌ただしく日々は過ぎ、あっという間に今年もあと数日。あ、そうだ、いくら何でも年明けまでにはパテックを直さなくっちゃ、と突如思い立ち、チューリッヒのバーンホフシュトラッセにあるバイヤーという時計屋さんに出かけた。 高級時計を扱う店ににしては、店内はなんだかざわついた雰囲気で、これじゃまるで免税店のノリじゃん、とあっけにとられていたら、アジア顔の女性店員が「メイアイヘルプユー?」と近づいて来た。 ドアの前に立ち往生したまま、私はパテックの時計のストラップを新調したい、それからそれを固定しているスティック部分を修理してもらいたい旨を告げた。なんだか妙にがさつな身のこなしのそのお姉さん、 「あ、だったら時計職人のとこですね、その階段の下ですから」 と、指差しただけで、あとは知らん顔。 スーパーマーケットでトイレはどこかと尋ねたわけじゃないんだから、それはないだろうと思いつつ、しぶしぶ、階段を下りて、半地下にある職人のカウンターへ。カウンターにはすでに先客がおり、係の人はその人の対応をしているため、私はただただそこに突っ立って、忍耐強く待つのみ。傍らにはもう一人、店員がいたが、きっと自分の分野外なのだろう、客が待っていると気づきつつ、完全無視を決め込んでいる。 やっと私の番が回って来た。事情を説明すると、そのおばさん係員、まずは私の壊れたストラップを一瞥。 「ずいぶん、ぼろくなってますね」 まるで、私の扱いが悪い、あるいは、ケチって長らくストラップを替えてない、みたいなことを暗に表そうとしているような非難めいた口調でなんだか不愉快だ。 やがておばさん、よっこらしょと席を立ち、傍らの引き出しの中からストラップが詰まっているビニール袋をつかんだかと思うと、それをカウンターの上にドサリと置く。なんだか動作の一つ一つが粗忽で、やっぱりこりゃ、免税店のノリ以外のなにものでもないと憮然としていると、おばさん、ビニール袋の中からストラップをたった一つ出してきて 「あなたの時計に合うタイプは、これきりです」 というではないか。 そんなあなた、革のタイプとか色とか、いろいろあるでしょうが。前回、ジュネーブの本店でストラップを買い替えたときは、ちゃんとテーブルに案内され、トレイの上にたくさんの見本を出して見せてもらったことを思い出し、ずいぶん雰囲気も品揃えも違うんじゃないの、と、さらに憮然となる。 「新しいのを注文することはできますけどね、三ヶ月くらいかかりますから、もしお急ぎだったら向かいの店に行かれたら? あちらもパテックフィリップを扱ってますから」 まるで厄介払いでもされるみたいにして、私は店をあとにし、おばさんがいうところの向かいの店Gübelinへ。 ドアマンこそいたものの、やはりこちらも雰囲気は免税店。調度品は安普請だし、店員は、これまたケバい感じのアジア人女性。立ちんぼ状態でさんざん待たされた挙げ句、こちらでも結局皮ストラップのチョイスは、クロコ型押しの黒か茶の二点のみとのこと。 「え、2つしかないんですか」 「あなたの時計は、ほら、ここが小さいタイプでしょ。こういうのには合うストラップがそもそも少ないんですよ」 「でも、以前にジュネーブの本店ではいろいろ見せていただきましたが」 「ずいぶん昔のことなんじゃないですか」 「いえ、一年ほど前のことですけど」 「ふーん」 「・・・・・・・!」 高級品を扱う店であるならば、接客についてそれなりの店員教育をするとか、もともと躾の行き届いた人材を採用するとか、なんとかならないものだろうか。あまりの態度の悪さに私も辟易として、結局パテックのお直しもかなわず、次回、ジュネーブに行くときまでのお預け、ということになってしまった。 バーンホフシュトラッセというのは、平米あたりの売り上げ金額が世界一という、そういう金のなる木が林立しているような通り。世界一ということは、フォーブルサントノーレもフィフスアベニューもボンドストリートも、そしてドバイとか上海あたりのなんとか通りよりもさらにたくさん売り上げてる道ということなわけだから、それはなるほどたいしたもんである。しかしそれだけ売り上げていながら、このお粗末な接客レベルはないだろう。 銀座は今や、中国とか韓国からの観光客でにぎわう町になったときく。デパートや高級店が軒並み苦戦する中、平方あたりの売り上げは、きっとバーンホフシュトラッセには遠く及ばぬことだろう。だが、そんな環境の激変や景気の低迷にもかかわらず、和光のような店がなんとか頑張っていることを思うと、私はなんだか涙が出ちゃいそうである。 頑張れ、和光、頑張れ、帝国ホテル! 古めかしくてもよろしい。態度がよろしければ。 慇懃無礼でインパーソナルな外資系ホテル(たとえば、マンダリンとか、コンラッドなどを例にあげておこう)に比べ、帝国ホテルのあのきめ細かく繊細なサービスは(たとえ、それが少々ぎこちなかったりすることもあるとはいえ)、グローバリゼーションの世の中における一服の清涼剤みたいなレアで貴重な存在だ。 バイヤーとギュベリン、まるで量販店みたいなサービス、そして中国人観光客対策なんだか、やけにがさつではすっぱなアジア人店員を無節操に雇うの、なんとかなんないもんですかね(80年代のアンカレッジ、あるいはパリのオペラ座界隈あたりの免税店の日本人店員に通じるものがあるところが、世界の様変わりを感じさせて興味深くはあったが)! 大きなお買い物を一回限りしていってくれる観光客には椅子もすすめれば、愛想の一つもいいながら、片や、お直しに訪れた古くからの客は「どうせ、その日にはお金を落としていかないから重要度低い」という考えを露骨にあらわしちゃったりして、それって、「次のジェネレーションをサポートします」「継続こそが私たちの財産なのです」みたいな、スイスお得意のプライベートバンクの広告のキャッチのニュアンスを、完全に裏切ってる、と思うんですけど。それとも、あれかい、プライベートバンクも、ああいうノリは、新規(新興富裕層)顧客開拓のための美辞麗句にすぎないということだろうか。 #
by michikonagasaka
| 2010-12-20 23:21
| 身辺雑記
2010年 12月 16日
#
by michikonagasaka
| 2010-12-16 19:26
| お知らせ
2010年 12月 09日
昨晩、息子の通うインターでウインターコンサートというイベントがあった。息子はオーケストラ部門とソロ部門で出演。楽器はバイオリン。風邪で熱があったところを薬でなんとかおさえつけての参加だった。
そのソロ部門で私、畏れ多くもピアノの伴奏を担当。ピアノといえば数年前、ジュネーブに住んでいた頃、二年間だけ発作みたいにしてピアノのレッスンを受けていたが、その後、またぴたりとやめてしまったので、当然のように指はなまり、もつれる、もたつく、ああ、いらつく。 「伴奏がいるんなら、誰かピアニストに頼もうか」 この話が持ち上がった数週間前、息子にそうすすめてみたが、 「ママでいい」 という。 「そんなあなた、ママでいいっつったって、ママのせいでせっかくの演奏が栄えなかったらどうすんの。ちゃんとした人に弾いてもらった方がいいんじゃない?」 「いや、ママは僕のことをよく知ってるから、一緒に弾く人としてはパーフェクトなんだよ」 と譲らない。う〜ん、困った、非常に困惑した。 大昔のスズキの時代ならともかく、今どきの彼は、ちゃんとした一人前の曲を弾くわけで、ピアノの伴奏もそれなりに難しいのだ。ちょこちょこっと初見で、というわけには絶対にいかない。しかも、大学受験におおいにひびく国際バカロレアの登録科目として音楽をとっている彼にとっては、こうしたパフォーマンスのひとつひとつが点数に結びつくんだそうで、一応、ちゃんとやらないとまずいらしい。 不承不承、とにかく引き受けたが、あ〜やだな、という気持ちを最後まで引きずったまま、いざ、舞台へ。 で、結果はというと、ま、ともはあれ、たいした失敗もなく、終わるには終わったが・・・・・。そしてなぜか、音楽に限らず、演劇でもプレゼンでも、舞台という場でカリスマを発揮するタイプの息子は、本日もまた、病を押しての好演で、終了後は拍手喝采を浴びて嬉しそうではあったが。 「またよろしくね」 演奏後、息子にそう微笑まれて私は凍り付いた。 え、またやれって??? そりゃ私だって、息子の伴奏くらい気持ちよく引き受けてやりたい。さらさらっと、お邪魔にならず、それでいて主役を引き立てるように弾いてやりたい。しかし、それには鍛錬をつまなくてはいけないこと、十分にわかっている。いや、それを再認識させられる舞台ではあった、実のところ。そして、そのせいで衝動的に一大決心をした。 そうだ、もう一回、お稽古をはじめよう! で、先生探しである。 たいした生徒でもないくせに、しかも先生にとって楽しみであろう「将来」というものも、もちろんないくせに、やっぱり相性がよくて尊敬できて、たくさんの発見と啓発を与えてくれるような、そういう先生じゃなくっちゃお話にならないわよね、もちろん人間としてもおもしろい人でなくっちゃね、と、やけに高望み、高飛車なのである。しかもこの多忙な日々である。練習時間がたっぷりとれるとは到底思えない。なのに先生の器だけは、果てしなく高望みをするこの厚かましさ。 ピアノのレッスンといったって、人生半ばを過ぎた素人のためのレッスンである。その目指すところは、実はいたって控えめだ。要は、毎度のレッスンで「ああ、そうか、なるほど」という「学びの喜びのしずく」を得ることができ、そして、かたつむりのようにゆっくりではあっても、やっぱり進歩をしていくこと。前できなかったことが、できるようになること。前、弾けなかったことが、弾けるようになること。表現できなかったことが、できるようになること。 ちなみに「学びの喜び」といっても、当然のことながら、それはピアノの奏法に関してだけでなく、曲の成り立ちとか時代背景、解釈法の所以・・・みたいなところにまで踏み込んでもらいたいんだよね、というのが生徒側からしてみれば非常な重要ポイント。 というわけで、このように我がままで高望み、そしてあんまり練習できそうにない生徒を教えてくれる、しかもそういう教え方を楽しんでくれるような先生、どなたかいないでしょうか? #
by michikonagasaka
| 2010-12-09 06:51
| 身辺雑記
2010年 12月 08日
絶賛! とてもとても楽しい読み物だった。 いつだったか、著者の中島京子さんと池澤夏樹氏との対談(たしか、文学全集ということについての対談)を新聞で読んで、なんとなくピンとくるものがあり、前回の帰国時に迷わず購入したら、これが、本当に存外おもしろく、久しぶりに小説(いや物語といったほうがいいかな)の楽しさを堪能。 女中小説というのは、古今東西、すっかり使い古されたモチーフではあるけれど、そして、「観察力にすぐれた賢い女中」を語り手&主人公としている点では、これまた完全に古典的なのだけれど、そこに描かれる時代、生活、そして「東京山の手」というコンセプトが一般人(=東京山の手に無縁な人々がその大多数を占める)の中にかきたてる「身の焦がれるような郷愁」・・・・そういったものが見事にブレンドされて、「う〜ん、巧みだ」と、このシニカルリーダーの私をしてうならせた作品なのであった。 「小さいおうち」でなくて「ちいさいおうち」のほうを、そういえば昔、二人の子供達に何度も読んできかせたっけ、と、今では私の背丈をとうに越した息子、フランス語で生意気なへらず口をたたくおしゃまな娘の姿と、彼らの幼児時代がだぶってみえてくる。 そうかと思えば、昨秋、20年ぶり(いやもっとか)で訪れた私の生家も、かつては丘の上で林に囲まれ、二階の窓からははるかかなたまで見張らせていたのに、今では四方を高層マンションに囲まれ、隣近所の数軒とともにけなげにひっそりとそこにたち続けているそのたたずまいは、まさに「ちいさなおうち」そのものだった。 そんなかんなのノスタルジックな思いが重なったことも、この読書が楽しかった理由のひとつだが、こうした思いを鮮やかに喚起させるのもまた、作品の持つ力ではある。シャポー!※ ※シャポーはフランス語で帽子という意味だけど、これが日本語の脱帽と、ほんと、うり二つの意味であることを最初に知ったときの驚きと感激をいまだに忘れることができない。 #
by michikonagasaka
| 2010-12-08 21:26
| 本
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