序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分くらいになりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお洒落とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「神話 フランス女」 近著 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」(角川書店) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2019年 02月 12日
ショックだ。愛するパリがこんな場所になっているということが。 上掲の記事の見出しはいう。 「パリ シモーヌ・ヴェイユのポートレートにナチスの鉤十字」 「1940年のナチスに負けるとも劣らぬアンティセミティズム(ユダヤヘイト)の落書きを2019年のパリで目にするとは」という書き出しに始まるこの記事によると、なんでもこの週末、市内のレストラン「バーゲルシュタイン」のウインドーに黄色い文字でJuden(ドイツ語で「ユダヤ人」)と書き殴る蛮行があった。 こうした行為はこの一件にとどまらず、パリ1区のシャッターには「Macron Jews' Bitch」という落書きがあったというし、18区の壁には「ユダヤの雌豚」という落書きがあったという。さらに、パリ13区の郵便ポストに描かれたシモーヌ・ヴェイユの肖像画にも、乱暴な鉤十字の落書きがされていた。ル・モンド紙の記事によれば、この一年でユダヤヘイトの行為は74パーセント増加し、「それはまるで毒が回るような勢い」とは、蛮行の現場に直行した内務大臣の言葉。その現場では、2006年に殺されたユダヤ人の若者、イラン・ハリミを悼んで植樹された木がほじくり返されていたという。 シモーヌ・ヴェイユといえば、フランス・フェミニズムのランドマーク、「ヴェイユ法」の名で知られる中絶合法化(1975年)を実現させた、時の保健大臣。やはり彼女の下で成立した避妊ピルの合法化と並び、「産む、産まないの選択」をフランス女性たちの手にもたらした、それはとてつもなく大きな一歩だった。法制定に先立ち、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの起草になる「私も堕しました」宣言、通称「マニフェスト343」には、カトリーヌ・ドヌーヴやフランソワーズ・サガン、ジャンヌ・モローなど、錚々たるセレブ女性たちが名を連ねたことで大きな話題となった。政治家として、女性の地位向上、男女平等政策などにおいて大きな貢献をしたこと、またヨーロッパ議会の議長を務めた功績なども相まって、逝去に際しては多数の署名が集まり、それを受けて直ちにパンテオン✳︎入り。その栄誉を讃えるために作られたのが、この郵便ポストだったのだという。 一方、ヴェイユはまた、アウシュヴィッツ生存者という肩書きを持つ女性でもある。ユダヤ系一家に生まれ、ナチス時代に収容キャンプに送られる。両親や兄はキャンプで亡くなるが、奇跡的に一命をとりとめた少女、のちに法律を学び、政治家を志したシモーヌの腕には一生消えることのない当時の囚人番号が刻まれていたという。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 数ヶ月ほど前、知人のプライベートバンカー(フランス人女性)から聞いたところによると、このところ、生まれ育った祖国フランスを捨て、イスラエルに移住する人が軒並み増えているのだという。財産や相続、その他、多くの法的相談を彼らから持ち込まれるのだと彼女はいう。何世代にもわたってフランスを祖国とし、中にはヴェイユのようにホロコーストを生き延びた人、その子孫も多く含まれる。フランスの教育を受け、フランス語を母語とし、フランスのパスポートをもち、EU市民である彼らの多くが、「残念だけれど」と祖国を去る。その理由は「台頭するユダヤヘイトが怖いから」なのだという。 まさかそんな。今時そんなことってあるわけないでしょう。 最初は私もそう思っていた。悲劇的な民族的経験によるトラウマ、その気持ちはわかるけれど、いくらなんでも21世紀のフランスにそんなことあるわけないでしょう、と。 けれど次々に目にする「落書き」や「破壊行為」、ソーシャルメディア上でのヘイト発言の「あまりの酷さ」に、私もとうとう悲観主義になった。 幸いにして、フランスのユダヤ人たちには唯一、合法的に逃れていく先がある。イスラエルだ。ユダヤ教徒であるという証明さえあれば、基本的に彼らはイスラエル市民になれる。難民にならなくてもすむ。とはいえ、何十年、何世代と慣れ親しんだ土地や文化、それこそご飯や街の景色に至るまで、一切合切に別れを告げるのは決してたやすいことではないだろう。 シモーヌ・ヴェイユという女性は、もう一人のシモーヌ・ヴェイユ(哲学者)と並び、多くのフランス人にとって、そして私にとっても「フランスそのもの」である。彼女たちはフランスの理念や知性や感受性を体現している。そしてフランスの民主主義の歴史、合理主義の歴史に、かけがえのない一石を投じ、爪痕を残した人でもある。 そこまで祖国に身を捧げても、ユダヤ女などという一言に縮小矮小化され、死後もなお、落書きに甘んじなければいけないだなんて、そんな酷い話があるだろうか。いや、もちろん、祖国に身を捧げなるなんてことをせずとも、そこに生まれ、市民権を得た人であれば、何人(なんびと)であれ、その市民権や自由を、全なる仕方で享受し得るべきでしょうが、とはもちろん思うけれど。 どういう人たちが「ヘイト」に走っているか。いろんな分析や説がある。フランスだけでなく、欧州近隣諸国も、アメリカだって日本だって、どこも似たようなものである。フランスにおけるユダヤヘイトの急先鋒は、よく指摘されるようにイスラム移民人口なのかもしれない。けれど善人そうな隣人とか、高い教育を受けた人々の中にもヘイトは巣食っている。着実に、それも日に日に増して。不満のはけ口として、溜飲を下げる道具として、分かりやすさに安住したい願望ゆえに、二級市民が三級市民を欲する心理の現れとして、いやもっとシンプルに「内と外」という素朴な人間感情の発露として。 ✳︎ パリのクリニックで息子が生まれた四半世紀前。小さなベッドですやすやと眠る新生児を眺めながら、「あなた、ナチスの時代に生まれてこなくて本当によかったねえ」としみじみ安堵していた日を思い出す。と同時に「とはいえ、愚かな人間のこと、歴史に学ばず、また同じようなことを繰り返さないという保証もない。その場合はね、母さんが盾になって絶対あなたを守るからね、坊や」というみなぎる闘志が産後の疲れた身体の中からむくむくと湧いてきたことも。 「まさかそんな」 最初はみんなそう思っている。それがある日、手遅れになるというようなことを散々学んできた。もういい加減、やめにしようよ。素朴にシンプルにそう思う。 ✳︎パリ5区にあるパンテオンには、フランス文化に多大な功績を残した「偉人」たちが埋葬されている。ヴィクトル・ユゴー、ヴォルテール、エミール・ゾラなどのほか、マリー・キュリーやルソーなど「元は外国人」が混じっているところもフランスらしい。 #
by michikonagasaka
| 2019-02-12 06:00
| 考えずにはいられない
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2019年 01月 23日
![]() 大富豪夫妻がバカンスに出ている間、住み込みで猫の世話を任されている友人の招きで、出かけてきました、そのお屋敷に。 ![]() あのお屋敷に住み着く精みたいなものに呑まれたのでしょうか。翌朝は珍しく二日酔いと相成り、バレエのお稽古は涙を飲んで欠席。ヴェルヴェンヌのティザーヌで体内を浄化する体たらくでした。 ※お屋敷の写真はイメージです #
by michikonagasaka
| 2019-01-23 02:41
| 身辺雑記
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2019年 01月 11日
![]() さて、今年最初の読書は稲葉賀惠さん“語り下ろし”『マイ・フェイヴァリット』。副題に「きものに託して」とあるように、これはデザイナーの稲葉さんと着物の長いお付き合いについて語られた本。綺麗な写真や脱線コラムも充実している上、装丁や紙質も上等で、本というよりも上質なつくりのムックといったほうが近いかもしれません。 ライターとしてこの本に関わった友人・河合映江から旧年中にご恵贈いただいたものでしたが、年明けてやっと落ち着いて手に取ることができました。友人贔屓かもしれませんが、彼女の編集者・ライターとしての力が遺憾なく発揮された読みやすい文章や目次立てが、まずは本書の魅力です。その文章の効き目もあるのでしょう、目の前にお着物を召した稲葉さんがいらして、美味しいお濃茶を入れてくださりながら問わず語りにおしゃべりしているような空気が全体から漂ってきて、それがとても楽しい。 50歳を少し過ぎた頃でしたか。突如、天啓が下るようにして閃いたのでした、「日常的に普通に着物を着ているような60歳でありたい」という妄想が。イメージしたのは、大騒ぎをして特別なこととして着る着物ではなく、涼しい顔で所作などもそこそこ身についている「レベル」。理想は割烹着を上に羽織って台所仕事もこなせるほどの「日常性」。コスプレとしての着物から完全に脱却した平服としての着物。もちろんそのレベルに達するのは容易ではないことはよくわかっていました。残された時間はもう数年しかない。ならば急いで練習を始めなければ! そんな覚悟とともに武者震いした日が昨日のことのように思い出されます。 とはいえ、現実はなかなか理想通りにはいかぬもの。時計の針は年々早く回るようになる一方、億劫だったり、寒すぎたり暑すぎたりで練習の機会は希少といえるほど。茨の道の途上で相変わらずオタオタとまごついている身にとって、この本は大いなる刺激となりました。 本書にも詳しく書かれていますが、稲葉さんが雑誌「ミセス」誌上で着物の連載をされていたちょうどその時期、私自身は同じ女性誌業界に身を置き、「美しいキモノ」という着物専門誌の編集部に在籍。人形町や浅草あたり、時に京都まで出かけて問屋さん、帯屋さん、小物屋さん、それに展示会などを巡って次号撮影用の着物を反物から仕立ててもらう。出来上がった着物を名だたる女優さんに着ていただき(当然、ヘアメイクから着付けまでバッチリつきます)、秋山庄太郎、藤井秀樹、立木義浩といった大御所フォトグラファー氏たちに4x5という写真館みたいな大判のフィルムで撮影していただく。そんな日常を送っていましたので、それはもうすごい数の着物や帯に触れたものでした。「触れる」ということの中には、畳やたとう紙の上にずらりと広げられた反物を次から次へと巻いていくとか、草履の底が撮影で汚れないのように「底ばり」といって厚紙を貼り付ける、あるいはたたみジワを取るために当て布をしてアイロンをかけるといった手作業も山ほど含まれており、視覚はもちろんのこと手先、指先で着物を「感じた」体験は、やはり変え難いものだった、と今頃になって痛感しています。 本書で紹介されている稲葉さんの私物の素敵なお着物の数々。民藝品やお茶のお道具。古代裂や一輪挿しの花。伊兵衛織の格子や縞柄のアップ。どの写真もそれはそれは美しく、とはいえ、それが「ああ、こんなの欲しい、私も」という所有欲に一直線につながるかといえば、そうでもなく、ただただ目の保養というので十分。若い頃から手仕事や職人技といったものへの敬意と憧れを強く抱いてきましたが、改めて、その思いを強くさせられるような一冊でした。 「民藝のモダンに触れる」という章の中、「見てから知れ。知ってから見るな」という柳宗悦の言葉が紹介されています。なるほど、と強く共感するとともに、本書でも詳しく紹介されている駒場の日本民藝館に展示されていたクリーム色の結城紬の美しさに、私自身、感動のあまりしばしフリーズしたことを思い出しました。元来が粗忽な人間ですが、「着物を着る日常」という妄想イメージ(および、そのための練習)の助けを借りて、ほんの少しでいいので、優雅とかたおやかといった方向に遅まきの軌道修正が叶うなら、なんと素敵なことでしょう。 #
by michikonagasaka
| 2019-01-11 07:44
| 本
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2018年 11月 01日
![]() 大学入試が色々変わるらしい。とりわけ英語は「読む」「聞く」「話す」「書く」の4技能評価を導入だとか。 「グローバル化が急速に進展するなか、英語のコミュニケーション能力を重視する観点から、大学入学者選抜でも4技能を評価する必要性が示されてきました。現行のセンター試験は「読む」「聞く」の2技能の評価に留まっているとされ、新テストでは4技能を評価する方向で検討されてきました。しかし、センター試験のような大規模な集団に、同日に一斉に「話す」「書く」に関する試験を実施するのは難しいものがあります。そこで、すでに4技能評価を行っている民間の資格・検定試験を活用することが提示されました。(河合塾サイトより)」 ということになっていて、その民間試験の結果提出を必須にしないという東大の決定がそれなりのインパクトをもたらしているよう。 入試改革をすることで、それに呼応する形で中高の英語教育のあり方が変わることを副産物的に狙っているようだけれど、それって順序が逆なのでは、というのがまず一つ。急にスピーキングとライティングと言われて現場の大混乱は必至だし、となると、塾や予備校、海外留学など、財力や機会に恵まれる子供たちが自力で入試準備をする方向になることも必至。貧富の差や都会と地方の差が如実に現れることは間違いない。 また「グローバル化」なるもの、かれこれ少なくとも20年くらい前から世界には(やだけど)厳然とあるわけで、いまさら急に慌てて改革といわれても、という気がする。「有用な人材を育成して国際競争力を高める」という使い古された言い回しとコンセプトの焼き直し感にうっぷとなるし、もちろん、語学の勉強は人材育成の同義語じゃあるまいし、とも思う。 さらには、「英語のコミュニケーション能力」、いや、そもそも「コミュニケーション能力」とは何なのか、という問題がある。日本の外で30年くらい暮らしてきて、英語を始め、多数の言語と触れ、それらと共存する人生展開に図らずもなってしまった。そんな自らの来し方を振り返るにつけても、言語の習得の意味ってなんなのか、という問いは、日常のサバイバルのレベルを大きく超え、もう自分の存在そのものに関わるといっても過言でない、それほどに根源的な問いになったことを痛感する。 人はどうやったら、まず母語で、次いで外国語でコミュニケーション能力なるものを身につけ、育てていくのか。そのプロセスを、自らの茨の道(ほんと、大変だった、いや今もその道は続いている)を通して、また多言語環境で生きる多くの人々の言語習得過程を観察し、またささやかながら人様に言葉を教える(フランス語)という経験を通じ、ずっと考えてきた。そうした背景もあるせいだろう、たかが遠い祖国の、自分には全く関係のない入試改革といえど、やはり無関心ではいられないのである。 そんな矢先、阿部公彦さん(東大教授)と中島京子さん(作家)の対談「受験生を利権の被害者にしてはいけない」を読んだ。 阿部公彦さんの持論「日本語は話し言葉と書き言葉が乖離している」には私もかねてより大いに共感を抱いており、「どれどれ、どんなことをおっしゃるだろう」と興味津々。ホスト役中島京子さんの巧みなツッコミや質問も功を奏して実に腑に落ちる内容だったが、その中にこんな記述がある。 中島「自民党の遠藤利明議員は「中高六年間も英語をやってきたのに、パーティーでワイワイ英語がしゃべれない。そんな英語教育を直しましょう」という持論を改革の根拠にしています。」 阿部「日本語でも、友だちとの井戸端会議みたいなおしゃべりなら日常的にしていると思いますが、知らない人の前できちっと手順を踏んで論理的に物事を話すのは結構難しい。そのための特別な訓練が必要です。 (中略)仮にスピーキングの試験を導入するとしても、まず日本語でやって、発展段階として英語でやる。それが筋だと思うんです。日本語ですら経験のないことを、いきなり英語でやろうとしている。それで英語力が上がるというのだから、もうちゃんちゃらおかしいとしか言いようがありません。」 (中略) 中島「遠藤さんが目指す「パーティーでワイワイ」のようなインフォーマルな会話は、じつは難易度が高いと、阿部さんは書かれていましたね。」 阿部「そもそも西洋には歴史的に公の場で口頭でいろんなことを決めてきた伝統があるんです。ギリシャやローマの時代に、レトリックをふんだんに使ったパフォーマンスを人前で行う技術が発達した。その技術が後世に伝授されてきました。二千年以上の歴史の延長上に、今のパーティーワイワイがあるんだと思います」 「パーティワイワイ」には笑ったが、その「パーティワイワイ」なるものを現在の私は、英語やフランス語でまあなんとかできている(ドイツ語では今だに難しい)。けれど、ここまでこぎつけるのは実は全然簡単じゃなかった。 帰国子女でもなんでもなく、普通に学校で習った英語しか知らなかった私は、ごく普通に英語が下手くそだった上、日本人的な「恥ずかしい」メンタルの克服の問題もあった。 さらに阿部氏が指摘するように、英語やフランス語、ドイツ語で、ちょっとましなことを言おうと思えば、すでに頭の中が作文みたいになっていないとなかなかうまくいかない。つまり言文一致に近い状態がデフォルト。話しながら考える、考えながら話す。話していることをそのまま口述筆記して意味が通る。そういう構造になっているからだが、そのような身体反応に自分を持っていくことも、これまた難しかった。 逆にいえば、日本語の話者のおしゃべりをそのまま文字にしたら、多くの場合、作文としては大変おかしなことになってしまうということをその過程で知った。おしゃべりならず政治家の答弁のような公のパフォーマンス的なものでさえ、とりわけ、常套句のパッチワークで中身に乏しい答弁がすっかり普通になってしまった昨今は書き起こしたらとんでもないものになることが多い。これを英語やフランス語に訳せと言われたら、どれだけ通訳者がインプロヴァイズして間の言葉や理論を補わないといけないか。そもそも、通訳者が元の話にないものをそんなに補っちゃって良いものなのか。 「つかあ」「まじ?」「やべえ」「なんかあ」的な発語を私は決して否定するものではない。「つかあ」にも「まじ?」にも、その後ろには言葉にならない感情なり理論なり描写なりが潜んでいるものであり、ただ、日本語の話者は一般にそうした言葉にならないものを、そのままの状態で後ろに引っ込めたまま、なんとなく会話が成り立ち、おしゃべりしている実感もそこそこにある。そういう言語なのだ。ところがこれがヨーロッパ語ではうまくいかない(ヨーロッパ語以外の言語を私は知らないので、ここではヨーロッパ語に限定して話を進める)。書くように話さなければ意味がわからないのである。 パーティワイワイといったって、挨拶とか天気の話ばかりじゃ全然間が持たない。相手の目を見て、興味関心の共通項を見つけ、軽やかなところから始め、興が乗ってくれば政治から芸術まで、なんの話だって構わない。時にチャレンジングなツッコミもすれば、ブラックなジョークも言う。それら全てが書き起こしてもそれなりに意味が通っていること。それが肝なのである。 だいたい9歳くらいを境に、人は母語のように言語を学ぶことは不可能になると言われる。おうむ返しメソッドはもはや通用せず、だとすれば、それ以降の語学習得にはその語学の構造をきっちり学ぶ以外に方法はないのである。構造をきっちり学んだ上で、あとは練習と場数。そして観察力。それに尽きる。 ヨーロッパには多くの移民や難民が暮らしている。移住先の言語を、学校に行ってきちんと学習したか、あるいは道端で覚えたかによって、その人の言葉には雲泥の差が生じる。いわゆるブロークンでも、その人のコミュニケーション能力やチャーミングな人柄によってはかなり挽回できるけれど、ある程度の語彙がなければ話は深まらないし、仮定法や条件法などの時制がマスターできていなければ、願望や悔しさといった感情の襞を表現することはほぼ不可能である。 他方、発音にせよ、構文にせよ、子供時代からのバイリンガル、マルチリンガルでさえ、手持ちの言語が互いに影響を及ぼしあうことは免れない。外国語を一つ習得するだけ、その人の母語は、「それ以前」とは多かれ少なかれ異なるものになる。モノリンガル話者の揺るぎないはずの母語でさえ、その後の人生で他言語をある程度以上の深みで習得すれば、ぐらぐらと揺らいでくるのである。 以下、長年の多言語環境暮らしでよーくわかったこと。 1.発音は重要ではない。色々な訛りがあり、それでよいのである。「ネイティブのように」を目指す必要は全くなく、通じるように話せばいいだけのことである。仮にRとLを、VとBを間違えちゃったとしても大概は通じるし、もし通じなかったら他の言葉で言い換えたり、補足説明を加えればいい。 2.習得言語の構造をよく理解することは非常に大切だが、母語の構造が時にそこに介入しておかしな構文になったとしても、意味はわかるのでこれも構わない。ただし、文学的記述をするような際は、その一文字、その句点ひとつあるかないかが大きな差異になったりするのでなお一層の精進が求められる。 3.とにかく、母語でも「書くように話す」ことがある程度できていることが大切。ここのところ、日本の教育に決定的に欠けている要素だと思う。国語の教科で「作者の思いや意図を想像する」のはやめて、「ここにはこういう挿入がある、それはなぜか、といったようなことを時代的、社会的コンテクストの中で検証したり仮説を立ててそれを論証してみたり、そしてそれを文章にすると同時に、人前で発表すること」あたりをもう少し習うといいんじゃないか。母語で「書くように話せる」ようになれば、「パーティワイワイ」はもうあと一歩のところにあるのである。もちろんそこには語彙を増やし構造を理解するために、そして耳や目でコンテクスト付きにその言語に慣れるために、ある程度の時間を投資する必要はあるのだけれど。 4.自分の日本語がここ30年の間に変化発展したことを痛感する。軽いおしゃべりであったとしても、どこか「書くように話し」ていることが多いし、発音もこっちが昔のままでいる間に日本ではいくつかの音が時に微妙に、時に大きく変わった。外来起源の語彙については、その「元の言語での意味や用法」を知っている場合、自分の中に混乱が生ずる。 まあそんなことも含め、語学の習得とは、迷子になったり発見したり、妙なところで感動したり、思わぬ表現を紡いだりしながら、母語と外国語の間を常に行ったり来たりする「生涯旅人」人生への船出であることをつくづく思う。「パーティペラペラ」など、そのほんのオマケみたいなもんで、本筋はあくまで「生涯旅人」の方、そのエキサイティングで豊かな反面、少し不安定な存在の方なのである。 #
by michikonagasaka
| 2018-11-01 23:04
| 混沌マルチリンガル
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2018年 09月 28日
![]() ルモンド紙に掲載されたフィリップ・ポンス氏の「日本からの手紙」(2018年9月26日付)は、観光名所としてのフクシマについて。安楽死ツーリズム、医療ツーリズム、セックスツーリズムなどなどと並ぶ「黒いツーリズム」というカテゴリー。そもそもそういうもの(趣向)がメインストリームで存在するという意識もこれまでほとんど持ったことがありませんでしたが、フクシマがその行き先として人気になっているとは初耳でした。避難解除や原発再稼働などについては目新しいことは書かれていませんし、原発大国フランスに言われたくない、という反応もよくわかります。とはいえ、時々外の声で「ああそうだった、そうだった」と思い出したり振り返ったりすることも大切かな、と思い、翻訳してみました。急ぎ翻訳ですので荒いところはご勘弁を。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 災害ツーリズムで人気上昇「フクシマ」 この十年で日本では観光客の数は少なくとも三倍になった。そのうちの多く(日本人観光客も含む)が訪れる意外な場所、それは福島の原発の周りにある被災地だ。福島原発は2011年3月の地震と津波によって原子炉の中心部で核融合が起きることで大きな被害を受けた。その福島が今、「災害ツーリズム」として人気なのだという。そこでは覗き見趣味が惨事を記憶する務めとせめぎ合っている。 2017年には浪江町、富岡町など、避難前の状態で時間が止まったままの街を10万人近くの人が訪れたという。「除染が完了したので住民のは安全に帰還できる」と政府が声高に保証した地域の町々である。観光バスや自転車によるガイド付きツアーは「地元民との交流」を謳い、船旅の雰囲気で海上から発電所を見学するというオプションもついている。 大声で喧伝 2013年より被災者たちは訪問客たちの小さなグループのガイド役を勤めるようになった。やがて政府とコラボをする業者たちが彼らに取って代わった。政府は時にやかましいほどに「すべて平常通りに戻りました」と喧伝することに心を砕いてきた。 ネットフリックスで放映された新しいドキュメンタリー「黒いツーリズム」(強制収容所、虐殺や自然災害、産業災害の現場)の中では、福島の件に一章が割かれていたが、これが問題の発端となった。浪江町の食堂で昼食をとるリポーターが出された料理は汚染されているのかと自問し、リポーターのガイガーカウンターが政府が認める「放射線量の許容範囲」を超える数値を示して観光客がパニックに陥るというシーンがあったからだ。 日本もその負の側面において「黒いツーリズム」と無縁ではない。例えば青木ヶ原の森。富士山の北西に位置する「樹の海」と呼ばれるほどの景勝地は自殺の名所としても知られる。観光客を引き寄せるのは、その自然の美しさなのか、あるいは抜きん出て悲劇的な地という所以なのか。いずれにせよ、福島周辺の街を訪れる観光客について、土地の住民が抱く思いも複雑であることは間違いない。 観光客の到来が見捨てられた街に再び息吹を与え、避難民たちの帰還を促すのではと期待する向きもある。発電所の北部数キロメートルに位置する浪江町では、2017年3月に「除染済み」宣言が出て以来、観光客の数が住民の数を上回っている。もともと2万1千人だった住民のうち、帰還したのは700人。高齢の住民は淡々という。「私の年じゃあもう大した危険もない。だから戻った。ここが私の故郷だし、ここで死にたいから」。けれど若い人たちは同じようには考えない。 避難民が抱えるジレンマ全国に散らばる7万人の福島避難民(2011年当時は16万人)は今もなお、仮設住宅住まいだ。彼らのジレンマ、それは仮設住居が次々と閉鎖され、これまで支払われてきた補償金が打ち切られる中、故郷の街は「除染完了」と宣言され、目に見える形での被害の痕跡も消えてしまった今、もし帰還しなければ、そのあとは自己責任ということになる。危険を見て見ぬふり、あるいは否定し続けてきた上に、同じように淡々と「すべて平常に戻った」と宣言する政府のことなど信じていないから彼らは戻らないのだ。 政治意識を持った被災者たちは観光客の訪問によって世間の関心が高まることもあり得ると考える。「自らの目で何か起こったのかを見ることで、何をおいてもこうした災害が二度と繰り返されぬようにするべきだということを理解してもらえるかもしれない」と話すのは地元ガイドの岡本たくとさん(ロイター通信)。月に二回、観光客グループの訪問を企画しているが、岡本氏のように考える人が、この中に果たしてどのくらいいるのだろうか。 一般にツアーを組む業者たちは「もはや問題はない。災害の集団的記憶を過去のものとし、2020年のオリンピックのお祭り気分に水を差さないようにしよう。原発再稼働を促そう」という公式見解に結果としてお墨付きを与えている。再稼働については、世論調査によれば半数以上の国民が反対しているにもかかわらず、実際、7月よりその方向に舵を切っている。 フクシマはヒロシマではない覗き見趣味とか記憶の継承といった「災害ツーリズム」への賛否両論はさておき、福島に関していえば、さらにもう一つ、不明な点がある。実際はそうではないのに、福島のこの事故は歴史の一コマだという印象をそれが与える点である。 フクシマはヒロシマではない。それは過去のものとなった歴史上の一ページではない。事故を起こした発電所の解体には多くの年月を要するし、除染作業の結果については満場一致には程遠いものである。そして再び事故が起きる可能性は過小評価されている。 甲状腺ガンの早期発見のために定期的に子供に検診を受けさせる母親たちにとって、悲劇は相変わらず日常のものであり続けている。しかし検査結果を待つ間の彼女たちの暗黙の不安は、被災地観光の客たちにはほとんど一顧だにされないのである。 冒頭写真はこちらのブログより転載 #
by michikonagasaka
| 2018-09-28 01:29
| 考えずにはいられない
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2018年 07月 05日
![]() 取材でジュネーブへ。 電車を降りようとデッキに立っていたら、ネクタイなしスーツ姿でリュック背負った長身細身グレーヘアの男性が本を読みながら、やはりジュネーブで下車するらしくこっちに歩いて来た。二宮金次郎を思わせる爽やかにして貪欲な読書姿だ。デッキには彼を含めて男性が5ー6人ほど。いずれも弛緩した顔で携帯に没頭している中、相変わらず一心不乱の立ち読み・我が二宮金次郎の勇姿がなかなかカッコいい。 金次郎の好み知りたさに、多少無理してのぞいてみたその本の題名は「Angry Chef」。英語の本でした。 何だろうとググってみたところ、どうやらこれは世にはびこる狂信的デトックスだのスーパーフードだのに対して「ざけんじゃねえ! インチキ化学もほどほどにせい!」と怒れるシェフ、アンソニー・ワーナー氏が物した本らしい(もともとはブログだった由)。 氏、曰く、 ”the end point of that stupid, pointless detox salad you chose for lunch lies here. It is people claiming they can cure deadly disease with carrot juice and enemas.” “detox isn’t real” it’s “pseudoscientific bullshit” なるほど。よくわかる、共感できる、と思いながら、ジュネーブ駅裏の和食屋さんのカウンターで一人ご飯。 お隣のイタリア人カップルは白ワイン一本軽々空けたあと、お酒を3dl新たに注文。私が(ほぼ食後酒的に)飲んでた白川郷の純米にごり酒に興味津々だったので、適当に説明して差し上げつつ、自由に喋るという行為そのものの解放感に浸る。と同時に、普段、不得意なドイツ語(特にスイスドイツ語)環境でいかに自分が萎縮して本来の社交性をまったく発揮できていないかを改めて思い知る。言葉で本領発揮できない環境は、大げさにいえば自分にとってはちょっと生き地獄的なもの。歌を忘れたカナリアの悲哀に心寄せずにはおられない。 フランス語環境でちょっと深呼吸。 「怒れるシェフ」、読んでみようかね。 #
by michikonagasaka
| 2018-07-05 06:00
| 身辺雑記
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2018年 04月 24日
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by michikonagasaka
| 2018-04-24 05:00
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