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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2010年 02月 18日
人生でたった一度だけ会社づとめをしたことがある。婦人画報社(今はアシェット婦人画報社)というその出版社の創始者が、実は、国木田独歩だということは、だが意外と知られていない。新入社員だった私も、入社してから先輩だか上司だかに「実はね、この会社をつくったのは国木田独歩なんだよ」と教えられるまで、そんなことはちっとも知らなかった。
1905年、近時画報社として月刊誌『婦人画報』創刊(そういえば、数年前、確かに100周年記念イベントとか記念号とかいろいろやっていましたっけ)。その初代編集長が国木田独歩。翌年、独歩社となるも、独歩先生、経営方面はいまひとつだったようで、こちらは間もなく立ち行かなくなってしまう。国木田独歩の死後、東京社が継承し、それがのちに婦人画報社になった、というのがどうやら沿革の経緯らしい。 国木田独歩といえば、「武蔵野」の作者としてたぶんもっとも有名だが、実はごく最近、私はこの国木田独歩氏のひ孫という人に出会った。国木田独歩の孫だった彼女のお母さんが、スイス人と結婚し、そして生まれたのが彼女。今でこそ、いわゆるハーフの子供たちは、程度の差こそあれど、現地の言葉に加えて日本語もまあまあできるようになることが多いが、このひ孫さんが幼少の頃(つまり40年くらい前)の欧米では、子供に日本語を授けるなどということをする親は非常にまれだった。そんなわけで、まるで普通のスイス人のように、日本とはほぼ無縁状態で育った彼女が自分のルーツ探しに目覚めたのは思春期を過ぎた頃。日本語を一から勉強し、夏休みに日本の親戚宅にホームステイをしながら無我夢中で「日本的なるもの」を吸収した。三人兄弟のうち、だが、日本への憧憬に突き動かされて日本語習得まで頑張っちゃったのは彼女一人だけ。あとの二人はいまだに日本とはほとんど縁のない人生を送っているらしい。その彼女、今はスイスで普通に仕事をしているが、若かりし日の頑張りの甲斐あって、日本語もなかなか上手だ。 そして今日の朝日新聞(衛星版)。文化欄にのっていた、社会学者・見田宗介氏のコラムでまたまた見つけた国木田独歩。なんでも氏が就職したてのころに下宿をしていた永福町のお宅は(当時はそんなことを見田氏も知らなかったのだが)、実は国木田独歩の次男宅だったのだという。何年かたったあとに、近況報告とお礼のためにそのお宅に久しぶりに立ち寄ったとき、見田氏は家主から「武蔵野」の愛蔵版を贈られた。そこには、ひと言「父です」という言葉が添えてあり、それによってはじめて、家主と国木田独歩のつながりを知ったのだという。 だからどうというわけでもないのだが、こんなふうにして、ひとつひとつをとってみれば一見ばらばらの出来事同士が、私という溶媒を介してちょっとしたつながりを編み出しているように感じるとき、私はなんだかぞくぞくするのだ。迷信にも占いにも無関心な、いたってドライな(けれど無神論者というわけでもない)私だが、この世に起きることは、やっぱりそれなりに意味あって起きているのかもなぁという、かすかな「疑い」(?)がふつふつとわいてくるのは、まさにこんなとき。 「生かされて」などとは、なかなか口はばったくて気軽にはいえないが、ふとした瞬間に、個別の事柄間に横たわる、意味ありげなつながりについての「気づき」の感覚に襲われるというのは、長年人間をやってると、やはりときどきはあるものだ。 独歩さんが、あながち遠い他人とも思えなくなってきた、今日この頃ではある。
by michikonagasaka
| 2010-02-18 22:24
| 身辺雑記
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