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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2011年 02月 18日
誰しもいずれは老いていく。そのこと自体はちっとも特別なことじゃない。けれど、一人一人の老いは、やはり一つ一つ特別なもの、というふうにどうしたって思わずにはいられない。
89歳になる父は、少しずつ痴呆が進んでいて、近頃は体調そのものもあまり芳しくはないようだ。ほとんど歩けないようになってしまったばかりか、昼間からほとんど寝てばかりいて、そして誰よりも食いしん坊だったのが、すっかり食が細くなってしまったらしい。 その父が、夕方になると心配顔で母に尋ねる。 「子供たちはまだ帰ってこないのか」 窓から外をうかがい、「ずいぶん暗くなってきたじゃないか。子供たちは大丈夫か」と、母に尋ねる。 「みんなもう大きくなって、それぞれちゃんと暮らしているから大丈夫よ」 母がそう答えると、 「そうなのか。それはよかった」 と、納得して安心顔になるんだそうである。 朝食の席では、昔っから変わらぬトーストと紅茶と果物というメニューを前にして、 「おい、せがれたちはまだ起きてこないのか」 と(なぜか、このシーンでは娘は登場せず、せがれだけが思い出されている)、二階に通じる階段のほうをみやる。朝寝坊でなかなか起きてこなかった思春期の息子たちの記憶がよほど鮮烈なのだろうか。 そうかと思えばあまり食の進まなかった夕食のあと、テーブルについたまま、誰に話しかけるというのでもなく、 「◯◯子、その次は◯◯子、それから◯◯子」と、三人娘の名前を一つ一つ、長女、次女、三女の順にゆっくり噛み締めるように、自分に言い聞かせるように唱えたりするのだという。 おっかない父だった。けれど、スポーツが大好きで、私たち子供を勤務先の大学のプールによく連れて行ってくれたり、自分が甘党なものだから、「ほら、おみやげだ」といって、ドーナツを山のように買ってきては、さっさと自分が一番にほおばっていたりしていた。歴史や政治の話になるととどまるところを知らず、家族の食卓はあっという間に講義の場と化すのだった。ボストンの大学に単身赴任していたときは、子供たち一人一人にあてて、せっせと絵はがきを書き送ってきた。それはいつも、「ママのいうことをよく聞いてお利口にしていなさい」と結ばれていた。お金もないのに贅沢好きで、「お母さんには内緒だぞ」といって、うなぎや寿司をごちそうしてくれた。「本だけはいくら買ってもいいぞ」といって、小学生の私たちに丸善でツケで買うことを覚えさせた。私がフランスで結婚したときは、英語と日本語でほれぼれするような立派なスピーチをしてくれた。 その父が、今はすっかり小さくなって、いろいろなことがわからなくなって、そしてしょっちゅう、痛いとか気持ちが悪いと訴えている。父のかつての教え子だった母は、そんな夫のことを、半分からかいながらも、淡々とかいがいしく、文句をいうでもなく、介護している。 「一日に、一つでも二つでもいいこと、おいしいこと、嬉しいことがあれば、お父さん、もうそれで上出来、そういうふうに私も思わなくっちゃね」 そういって、母は父を介護している。 デイサービスから戻ってくるとき、父は、玄関先で車が見えなくなるまで、送迎者の運転手さんに頭を下げつつけているそうである。 「寒いですから、もう、どうぞお入りください」 運転手さんは毎回、そうおっしゃってくださるが、父は「いや、そんなわけには」といって、きちんと頭を下げ続けているのだという。 いろいろすっかり忘れてしまったけれど、義理を立てることとか、挨拶すること、礼を尽くすことは、驚くほどにぴしっとできるんだそうである。 老いてしまった父の頭の中は、今、どんな具合になっているのだろうか。それをのぞいてみたいような、いや、みたくないような。 多くの人が通るこの道を、私も今、しみじみと通っているところだ。父の中で、私は今、何歳ぐらいなのかな。
by michikonagasaka
| 2011-02-18 08:43
| 身辺雑記
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