序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2011年 02月 25日
「・・・・・・お話の中のような美しい湖のほとりで◯◯ちゃんと私が泥団子作りをしているのです。その水はまさに神話の中のような水色なんだよ。横で黒い馬が水飲んでたりしてね。団子の中には大仏様のおもちゃみたいなすごく小さなものを詰めて、まわりに抹茶みたいなみどりの粉がついてて、丸めているとすごく気持ちがいいのです。草ごま団子と間違えてちょっとなめちゃったんだけど なんだか美味しいの・・・・・・」 ユング派の分析家がきいたらとっても喜びそうな、示唆とシンボルに満ちた夢をしょっちゅうみている友人のMさん。その彼女の最新作(?)が、上記のような情景からスタートする団子づくりの夢。「これは」という夢をみるたびに、「こんな夢をみました」とメールをくれるMさんの、このほのぼの最新作は、情景がありありと目に浮かんでくる上に、ヒンヤリとした泥んこの感触、地べたに座って遊んでいる子供が味わうあのえも言われぬ安心感までもが、なんだかものすごく直接的に伝わってくる感じがして、私はけっこう感動したのだ。 団子といえば、前回の日本帰国中、たまたま口にする機会のあったみたらし団子がすっかり大好物になってしまった我が娘。コンビニをのぞいては「あ、団子あった。ねえ、買ってもいい?」とせがみ、わずか2週間ほどの滞在中、一体何本のみたらし団子を彼女は口にしたことだろうか。スイスに戻ってからも「ああ、お団子が懐かしい。食べたいなぁ」とことあるごとに思い出しては、本当に懐かしそうに目など細めたりしている様子がなんだかおかしい。 「また次に日本に行ったら、山のように買ったげるからね〜」 と、そのたびごとに安請け合いのお約束をしていたのだが、先週、出張でロンドンに行った際、ピカデリーの源吉兆庵でなんとみたらし団子が売られているではないか。すわ、お土産に、と飛びつきそうになったが、あのまわりのタレが「液体」としてセキュリティーで引っかかったりしたら面倒くさいかな、と思い、泣く泣く(とは大げさか)とどまった。それに、ロンドンからわざわざ「みたらし団子」ごときを買って帰るというのも、なんだか滑稽な行為であるようにも思われたし。 そんなこんなの背景があるところへ、本日、スイス、どんより霧に囲まれた、これでもかっていうほど陰気くさい一日。二週間のスキー休暇で学校がお休みで退屈しきっている娘と、なにか楽しいことでもしようかな、と考えていたところ、 そうだ、団子だ という名案が浮かび、早速実践。 とはいえ、みたらし団子なんてものをつくった経験はもちろんなく、ネットでレシピを検索し、たまたま備蓄してあった「だんご粉」というのがあったので、それを使用しつつ、タレもレシピどおりにつくってみたところ、これが案外美味しくできた。 そればかりか、だんごを丸める作業そのものが、Mさんの夢との連想のせいもあってか、泥んこ遊びに通じる「ある種の熱中」、そして「いい気持ち」をもたらしてくれものであることを、本当に実感したのだった。娘と二人、いい気持ちだね、などといいながら、そこらへんを粉だらけにして団子を丸めているその瞬間、そうだ、こういう一回限りの瞬間をぐっと捕まえて心のどこかにとっておかねば、と思った。 数週間前、インフルエンザからの病み上がり、かつ、いろいろな悩み事などで少々気分が落ち込んでいたとき、たまたま仕事の打ち合わせで一緒になったドイツ人の友人と、思わぬ流れで個人的な話をする展開になったとき、彼女がいった言葉。それがこの「瞬間を心に書き留める」ということだった。 その日、実は初めて知ったのだが、彼女は二人目のお子さんを新生児突然死症候群で亡くしている。赤ちゃんが生まれたのが11月。亡くなったのが1月。その間にはだからクリスマス休暇もあり、新しい命を家族みんなで囲み、祝福し、だっこの奪い合いに興じた、そうした幸福な時間に満ちた、それはそれは忘れがたくも濃厚な二ヶ月間だったという。当時二歳だった上のお子さんが、生まれたばかりの弟をこわごわだっこしたときの、神妙な、けれど誇りに満ちあふれた得意げな顔。それを、すぐ目の前で眺めていた母親の自分の心の中にあふれ上がってきた「幸せの時を今この瞬間、生きている」という確かな実感。 以来(そして、ことのほか、お子さんを亡くしてしまって以来)、彼女は日常生活のなんでもない瞬間に、「あ、今、幸せの時が来てる」という気配を感じると、意識的、能動的にそれを認識し、捕まえるようにしてきたという。 「ほんとにどうってことのないつまらない瞬間。たとえば、子供たちと朝食の食卓を囲んでいて(彼女は、二人目のお子さんを亡くしたあと、さらに4人のお子さんに恵まれた)、窓から朝日が入ってきて、誰か口の周りがジャムとかヌテラでどろどろになっているのを別の誰かが指差して笑い転げたりしたようなとき、あ、今、来てる来てる、と幸せの瞬間を心の中でキャッチするの」 結局今日は午後いっぱい、ついに霧は晴れることなく、薄暗いままだった。でもそんな薄暗い中、キッチンの電気を煌々とつけて、娘と一緒にきゃあきゃあいいながら団子を丸めている瞬間、確かにそれはとてもいい瞬間だった。 小さな「いい瞬間」をひとつひとつ拾い上げ、数珠つなぎみたいにつなげていって、そうしてその珠玉の数珠をお守りにして「困難なとき」をもなんとか乗り越えるか、やり過ごすかしていく。そういう感じでいってみようじゃありませんか。とりあえず、団子でお腹もいっぱいになったことだし・・・・。
by michikonagasaka
| 2011-02-25 01:01
| こども
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