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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2011年 09月 24日
数年前に「世界一ぜいたくな子育て」という本を書いた。母乳育児を通してみる先進諸国での育児観、母性観についてまとめたもので、半分は取材やリサーチにもとづいて、そして残りの半分は自分自身の育児経験にもとづいて綴ったものだが、今にして思えば、あの段階で私にとっての育児は、まだどこか「自己実現」の延長線上にぼんやりと位置していた。進学、就職、留学、結婚。そして誰と友人になって、どんな交遊をして、服はどんなのを着て、ご飯は何を食べるか。そういうことのすべてを、自分で考えて自分で決めてきた、その流れの先に「出産・育児」というものが当然、横たわっているものだ、と、その点に関してはあまりクエスチョンマークを差し挟むことなく、パリで第一子を産み、その6年後、チューリッヒで第二子を産み、その数年後にあの本を書いたのだった。
「子供は自分の作品などではない」と、いつかこの欄でも高らかに宣言したりしていたが、そんな私にも、正直いうとやはり「本音と建前」ということがあった。「理屈と実際」というジレンマもあったし、「どうしてうちの子は・・・」という、よその子との比較目線というものも(実はやっぱり)あった。 育児が自己実現の延長線上にある限り、こうしたジレンマや挫折感、徒労感や無力感からはなかなか解放されない。たとえば不妊で悩む人が、「絶対子供が欲しいと思うから」と、辛くて高額な不妊治療に励んでいるとき、その人の中では、「まだハラまれてもいない子」に対する無条件の愛などというものは当然存在せず、それよりはやはり「母になりたい」「母親という人生のアスペクトを自分も是非、体験してみたい」という、やはりかなり自己実現的な願望が高まっているのだろうと思う。子育てに関しても事情は同じで、「子育てをちゃんとこなしている自分」という部分に、酔いしれるとまではいかないまでも、高いモーチベーションを見いだしつつ、日々をなんとかサバイバルしているのは、決して私だけではないだろう。だが、選択肢が(あたかも無限であるかのように)広く提示されている時代、やっかいなことにこうした自己実現の願望自体もどんどん大きくなって、ときに人生の足かせになることもある。あるいは願望が実現されなかった時の「不幸せ感」のもとにもなりうる。 そんなことをつらつら考えていたのは他でもない。この頃ようやく、私自身が「子育て」と「自己実現」とをはっきりと区別できるようになってきたから。 宗教的なことを抜きにして、子供はやはり授かり物ということを痛感している。「この子は、無数の親の中から私のところに来てくれたんだわ」「神さま(でも天でもなんでもいいけど)は、この子を私のところに送り込んでくれたんだわ」というふうに心底思えるようになって(とかいいながら、またすぐ気が変わるかもしれないが)、そしてその思いをしみじみと噛み締めている今日この頃(今頃になって遅いといわれるかもしれないけど)。 こうして書くとなんだかとても「ベタ」で「陳腐」な感じだけれど、その「ベタ」にたどり着くのに17年もかかってしまった。すんなりいかないこと、涙を流したこと、いろいろな本をむさぼり読んだことなどがたくさんあったからこそ、それでも17年で「ベタ」にたどり着いたけれど、これが仮に「すんなりいくことが多く」「悲しいことより楽しいことの方がずっと多く」、そして「書物や専門家の意見で知識武装する必要性にもかられることなく」過ごした17年であったならば、私にとって育児とは今もなお自己実現の延長線上に心地よく納まり続けているものであったに違いない。 なんと盛りだくさんの17年だったことだろうか。英語でchallenging という表現があるが、まさにこのchallengingがこれでもかこれでもかと贈呈され続ける17年だった。 「それ、大げさじゃない?」 と思う人もいるかもしれないし、実際、大騒ぎしている部分もあるとは思う。もう少し、デンと構えて、少々のことで動揺せず、長い目でおおらかに子育てができる性格だったらどれほどよかっただろうと思ったことも数えきれないほどあった。しかし不幸なことに、私はいろんなことにたくさん気づいてしまい、気づいたら分析したり考えたりせずにはおれず、そして自分にも他人にもクリティカルな目を向けがちな、いたってシニカルな人間なのである。さらにはシニカルな反面、これで情も深かったりするからやっかいだ。 かくして、子育てを心底「楽しい」と感じることに関しては非常に不得意で不器用。逆に「大変」とか「自分が犠牲になる」という意識が深層心理の奥のほうにいつも横たわっていて、それを理性でなんとか制御し続けてきたようなところがあったと思う。子供の勉強やお稽古ごとは本当に我ながらよくサポートしてきたし、おいしいご飯もたくさんつくったし、世界を広げるような体験の機会もたくさん与えてきたほうだと思う。けれど、それがなんだというのか。 彼らは◯◯人というわかりやすいアイデンティティからは無縁で、そして(特に上の子は)数年ごとに引っ越し、転校を繰り返すことを余儀なくされるような人生だった。「安定」とはほど遠い生育環境であったことは間違いない。だからこそ、そんな彼らの無条件な味方になって、「なにがあってもあんたたちを守るよ。世界を全部敵にまわしても、ママはあんたたちの味方だからね」と宣言できることこそが、私が彼らにしてやれるもっとも価値あることなのでは、というふうに最近は思っている。 子供たちが嵐の中をひとりぼっちで歩いていくときに、ほんのひとしずくでも「成長」の証がみえたならば、母は涙してこれを喜び、心からそれを応援したい。そして「成長」のしずくが一滴もない時期にあっても、なお、「大丈夫だよ」と励まし、支え続けられる、それだけの肝っ玉を備えておかなくちゃ、とも思う。 こうしたもろもろもの「ベタ」な発見をもたらしてくれた17年間は、主観的な意味でいえば本当に「世界一ぜいたくな子育て」だった。ぜいたく過ぎて、お財布も身も心もすっからかんだわよ、まったく、という側面は否めないにせよ、やはり私を選んで来てくれた最愛の子たちであればこそ、すっからかんでも母さんは頑張るわよ。それはね、自己実現のためじゃなくって、あんたたちが二本の足である日しっかりと独り立ちしてくれる、ただそれだけのためになんだよ。頑張れ。母さんも頑張る。
by michikonagasaka
| 2011-09-24 22:07
| こども
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