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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2011年 12月 27日
![]() 2011年という年は、私にとって生涯忘れられないであろう特別な一年だった。 遠くスイスで体験した日本の大震災と、その余波に色濃く影響された一年。 難しい年頃にある子供にかつてないほどじっくり取り組み、向き合った一年。涙したり途方に暮れたりパニックに陥ったり、あるいはぬか喜びしたかと思えば、また落胆したり。自分のもてるすべての「忍耐」を総動員して、それでもまだ全然足りなくて、眠れない日々、胃の痛い日々の続いた一年。 そしてそれはまた、親しい友を病で失った年でもあった。私より数年年下だったその友は、一年半の闘病の末、8月の朝、帰らぬ人となった。その前日、あるいは二日前、小さな便せんに丸っこい字で私へのお別れの言葉を残してくれていたことを知ったときには、彼女にそのことのお礼を言うことも既にかなわず、棺の中の彼女の手は氷のように冷たく、きりりと結ばれた口元は、もう二度とほころぶことはないのだった。 その友ともっともっと時間や気持ちを共有したいと思いつつ、子供のこと、家族のことでまったく余裕がなくて、彼女に寄り添うことが全然充分に果たせなかった、そのことへの悔いをひきずった8月以降の日々。 その同じ8月には、また別の、こちらはまた別の意味でものすごくショックで悲しい事情を伴うお葬式にも参列したし、時を同じくして遠い日本では老父が急遽入院するという事態も勃発。 そんなこんなで私は右往左往、おろおろするばかり。けれど、日常はちゃんと運営していかないといけないので、毎日ご飯をつくり、仕事も出来る範囲でまじめにやり、犬の世話をし、洗濯をして、どうにかこうにか、家庭人として、また社会人として機能し続けてきた一年。けれどそのご飯をつくることが、今年ほど「楽しくなかった」年はなかった、かもしれない。 元来、私は家事一般は大して好きでもなければ得意でもないけれど、料理だけは昔から大好きだったし、それを苦と思うようなことも全然なかった。家族のため、友だちのためにあれこれ工夫したり挑戦したりして美味しいご飯をつくること、そしてそれをできるだけ美味しそうに盛りつけるためのお皿やクロスなどを少しずつ揃えていくこと、美味しいワインやお酒と共に出来上がった料理を味わうことは、人生の最大の楽しみの一つといっても過言ではない(なかった)といえる、と思う。それが今年に限っては、「料理=義務」という図式に成り下がってしまって、楽しむどころか、多くの場合、淡々と、むしろ我慢してやり続ける作業でしかなかったこと。それもまた寂しいことの一つだった。 料理が楽しめなくなってしまったその理由はここには特に記さないけれど、そんな中、例外的に「案外楽しく取り組めた料理」が、おとといのクリスマスイブの食卓の準備だった。例年、クリスマス休暇は家族とどこかへ出かけることが習慣となっていたが、今年は受験生もいることだし、ということで、スイスにとどまり家族だけでひっそりと迎えるクリスマス。前日にはわざわざジュネーブまで魚の買い出しに出かけるほど、高揚した前向きな気持ちで準備に取り組めたことがまずはポジティブスタート。テーブルもそれなりに頑張ってきれいに飾り付け、段取りもうまくいって、教会に出かける時刻までには準備は完璧に整った。 その「教会」だが、そもそも家族揃って教会に出かける、ということ自体、ユダヤ人の夫と無宗教の子供たち、という家族構成の我が家にとっては革命的な出来事だった。けれど、上述の「さまざまな困難や悲しみ」に彩られた今年、私は無性にクリスマスのミサに行きたい気分だったのだ。そのことを数日前に、おそるおそる「宣言」してみたところ、「だったら僕も一緒に行こうか」と、まずは息子が口を開き、「パパ一人でお留守番は可哀想だから、じゃあ私は残る」と娘はいったのだが、そのパパが直前になって「僕も行こうかな」と言い出し、「ならみんなで行こうよ」という話になって、イブの晩、チューリッヒの英語ミサに揃って出かけたのだった。 ゴスペルあり、子供たちのキリスト生誕劇あり、と、一時間半ほどのものすごくカジュアルで楽しいミサから戻ってみんなで囲んだ食卓は、鯛のカルパッチョや伊勢エビ冷製、タコのマリネ、ホタテのグリルなどなど、魚介オンリーのメニュー。子供たちにはどうだろうかと危ぶまれたが、「美味しい美味しい」と完食! そしてデザートは息子が得意技のブルーベリーチーズケーキをつくってくれたので、それをみんなでいただく。ご飯をつくるプロセス、食卓を飾るプロセス、そしてみんなでにぎやかに食卓を囲むプロセス。このすべてが「普通にうまくいったこと」。それは私にとっては、この一年の締めくくりとして、何よりのクリスマスプレゼントだったかもしれない。 クリスマスのディナーの片付けも済み、プレゼント交換も熱狂のうちに無事終了し、2011年がもうすぐ終わる。 この一年の大変だった出来事のひとつひとつを思い返すだけで、すでに私の目頭は熱くなり、キーボードを打つ指先はわなわなと震え出しそうな気配だが、それでも「大変もまた意味のあることだったんだろう」と、自分に言い聞かせようとする程度には元気も出てきたし、また大変さも少しずつは和らいできている今日この頃。春の訪れはまだまだ先のことだけれど、なんだかんだいって、ともかく心身ともにぶったおれることもなく、こうしてブログなど書いていられるそのことをもって、まずはオッケーとしようじゃないの。 クリスマスキャロルじゃないけれど、このシーズン、幸せと不幸せのコントラストが残酷なほどにくっきり浮き彫りになる。Facebookにアップされる「幸せそのもの」の書き込みや写真が世にあふれ返ると思えば、片や、サンタともツリーともご馳走とも無縁の子供たちが世界中に無数にいる。放射能の脅威におびえながら、失った肉親や友を偲びながら、不便で寂しい仮設住居でクリスマスを迎えた人たちもたくさんおられることだろう。 「もっと不幸な人に比べれば自分はまだマシ。だから感謝しなければ」という発想には私は昔から馴染めなかったし、今もそれは変わらない。だからこれは決して「比較して感謝する」のではない。私が今、感謝することがあるとすれば、それはただ単に、こうして生かされているこということ。そのことだけを端的にありがたい、と思う。 「今年はね、みんなで教会に行くんだよ。半分ユダヤのうちにとっては画期的なことでしょ」 クリスマスの朝、今は自宅で療養中の父、二週間前に90歳の誕生日を迎えたばかりの父に長距離電話でそう報告した。 「何教だろうが構わないさ。みんな一緒くたで上等なこった。仲良くお祝いするのがなんたって一番だ」 痴呆が進んで普通の会話がなかなかままならぬ父が、朗らかに答えた。どこまで事情を理解してそういっているのかは不明だけれど、父の言葉に「うん、そうだね、そのとおりだね」とうなずいて、受話器を握りしめながら、私はこうして生かされていることをありがたい、と、噛み締めていた。 悲しい時、辛いときに力になってくれた、静かに話を聞いてくれた、一緒に涙してくれた友人と家族に心から感謝するとともに、このつたないブログを訪れてくださるすべての方が、平和で安らかな新年を迎えられますことをお祈りしています。
by michikonagasaka
| 2011-12-27 05:57
| 身辺雑記
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