序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2012年 02月 13日
住む土地に対して、ことのほか強い思い入れを注がずにいられない人と、案外、こだわりなくフレキシブルでいられる人とがいるとしたら、私は間違いなく前者である。
生まれ育った町を除けば、スイスのチューリッヒで暮らした年月が人生でもっとも長くなってしまったことは、誰よりも本人がもっとも驚いている。ここまで滞在が長引くと「住めば都」の側面はさすがに否めず、この土地で私は多くの人と出会い、大切な友人もでき、そして子供たちのジグザグの成長過程のもっともインテンシブな時期とここで向き合ってきた。町中の裏道抜け道にも通じ、大した数のない「マシなレストラン」も大方試し、日常の買い物や信頼できるお医者さんの見取り図もすっかり整って、ここは紛れもなく私が生活人として根を張っている土地である。 けれど、私はこの町そのものに対しては、相変わらず無関心で、ことさらの愛着も抱けないままの状態。かつて、京都をパリをインテンシブに、それこそ我を失うような仕方で愛したのとは実に大違いなのである。 パリを離れて15年にもなれば、かつて親しくしていた人との縁も薄れ、町の風景も変化し、昔のような「私の庭」感覚は確かに乏しくなっている。新しい店にまったく明るくないので、訪れるのは見知った古株ばかりだし、晩ご飯を一緒に食べよう、さて、誰に連絡しようかなと思ったとき、咄嗟に浮かぶ顔もそんなにたくさんない。個人的なつながり、という意味でいえば、今やスイスこそがもっとも濃厚なのであり、パリは旅行者みたいな感覚でしかない。 にもかかわらず、スイスに対して強いパッションを抱けないままというのはなかなか残念なことなのだが、そのからくりが、先日出張で訪れたパリのホテルで、天井をにらみながら突然見えてしまったのだ。 スイスには個人的に大切に思う人がたくさんいる。その人たちのために、私はこの土地に住んでいるといっても過言ではなく、それは逆にいえば、もし、親しい人たちが誰もいなくなってしまったならば、私はここに二度と舞い戻ってくることはないだろうな、と断言できるという意味でもある。それに対し、今や親しい人がさほどいるわけでもないパリに性懲りもなく舞い戻っていくのは、それはやはり土地そのものの引力に強く引かれるからなのだ。「現存の人、生身の人間VS土地そのものの力」—―ああ、そういうことだったのか、と、いろいろなことが急にはっきり見えてきた。 「安全、清潔、よく機能している、豊か」という理由だけで、その土地に夢中になったりその土地をいとおしく思ったりするなんてことは、私にはできない。逆に、個人的に存じ上げているわけではない(そりゃそうだ)にもかかわらず、かつてそこにマリー・アントワネットが、ピカソが、ヘミングウェイが、サンローランが、ショパンが、そして高級娼婦たちや飲んだくれたち、ブルジョワマダムたちや身勝手な男たちが生きていた、という事実は強烈である。そうした人々の総体がつくりだす土地のスピリット、そうした人々を懐に抱きながら綿々と存続してきた土地の吸引力というものは、個人的なお友達がそこに一人もいなかったとしても、その土地と自分とを強く強く結びつけるのに充分だからである。 サンジェルマンのお蕎麦屋さんで初老のご夫妻と隣合わせになった。二人であれこれいいながらメニューを研究していたが、男性のほうが、意を決した口ぶりで「よっし、僕はほら、このアナマキっていうのにしよう」というのが耳に入ってきた。「穴巻きとはなんぞや? 」と手元のメニューでこっそり確認して、それが「花巻蕎麦」のことであることがすぐにわかって私は一人、お腹の中で吹き出していた。この店の常連であるらしい男性が、蕎麦についての蘊蓄を相手の女性に語っているのを聞くのもなんだか楽しく、そのとき私は一人だったけれどちっとも退屈することなく、まるで旧知の友人と食卓を囲んでいるかのような気がしたものだった。ピカソやサンローランとはまた違った意味で、こうした日常のシーンもまた、土地の吸引力の一端をになっていることをはからずも実感した体験だった。 そんなパリ滞在中、チューリッヒの友人からひょっこりSMSが届いた。「住めば都になるかもしれないチューリッヒに、元気に戻ってね。待ってます!」——— この土地に対する私の煮え切らないスタンスを充分わかってくれた上でのこのメッセージを、私はものすごくありがたいものとして受け取った。「そうだね、あなたがそこにいてくれる限り、私はちゃんとお家に戻っていくわ」 折しもパリへ発つ直前、チューリッヒで催した私と夫のささやかな合同お誕生パーティの集まりに、親しい友人たちがたくさん駆けつけてくれ、それはそれは思い出深い一夜を過ごしたばかりだった。特に興味のない土地ではあるけれど(と、断言してしまおう)、この人たちがいる限り、ここはやはり大切なところなのだという実感があった。住めば都とは、なるほどそういう意味だったのかもしれない。
by michikonagasaka
| 2012-02-13 21:44
| 考えずにはいられない
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