序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2012年 07月 03日
昨日、雨模様の日曜日、拙宅にてささやかなサロンコンサートを開いた。「ソナタの午後」というタイトルで、敬愛する音楽家の友人二人を演奏家に、ごく内輪の親しいお友達や家族をお招きしてのこの試み、想像どおり、いえ、想像をしのぐ素晴らしいひとときをもって無事終了。 子供の頃からいつも音楽が大好きだった私とて、まさかある日、自分の家でプロフェッショナルの演奏家の方にコンサートを開いていただく機会がこようなどとは、一度たりとも夢想したことなどなかった。けれど、「サロンコンサート」という場面には、小説の一節、音楽史や風俗史の読み物でしょっちゅう出会っていたから、自分にとってそれはまったく奇異なコンセプトというわけでもないどころか、むしろ(全然見当はずれかもしれないけれど)かなりはっきりとした情景のイメージというものさえある。 19世紀のウィーンやパリのサロンで作曲家たちが自作の初演を発表した宵、ご婦人たちのドレスの衣擦れの音やむせるようなパルファンの香りに乗って、この世に誕生したばかりの曲がライブで演奏される光景。ときにそれは「俗物新興ブルジョワ」が、はくをつけたりハッタリをかましたりするための場でもあっただろうし、あるいは話題の作曲家の「新しい和声」「新しい旋律」「新しい展開」を客が固唾をのんで待ち構える緊張の場でもあっただろう。音楽そっちのけで隣の席のマダムとなにやら妖しい雰囲気になっている紳士もいただろうし、あるいは若い異国出身の作曲家が、パトロン(そして愛人)である女主人の力添えで晴れの社交界デビューを飾る場でもあっただろう。100のサロンコンサートがあれば100のストーリーが思い浮かぶような、ただあれこれ想像しただけで高揚感をかきたてられるもの、それが私にとってのサロンコンサートのコンセプト。その夢の光景を21世紀のチューリッヒで再現しようなどという大それた気持ちはもちろん微塵たりともないけれど、濃厚な3つのソナタを聞きながら、連想が連想を呼び、どうしたって私は時空を飛翔して遠い昔のどこかの館に飛んでしまう、そのワープ感覚がこれまた楽しいのだった。 コンサートホールで聴くときとは、演奏者との距離感が全然違うし、したがって空気の振動、演奏者の息づかいや鼓動といったようなものも比べ物にならはいほどビビッドに伝わってくる。そしていうまでもないことだけれど、再生可能メディア(CDからYouTubeまで)では絶対絶対味わえない、瞬間ごとに現れてはすぐに消えて行く音のつながり、その一瞬一瞬と同時に自分も息をして、そこに生きて存在している(細胞分裂もしている)という感覚。その一回性の迫力、そしてはかなさ。これがまた楽しくも切なく、そしてとても心躍ることなのである。 とはいえ、不慣れな、というか完全初体験の試み故、我ながら苦笑するほどに緊張したのもまた事実。落ち着き払った演奏家のお二人にくらべ、一人そわそわドキドキしている自分がなんだか滑稽で、サロンコンサートを開く優雅なマダムの貫禄には、こりゃ到底ほど遠いわいという痛い自省も。舞い上がってるせいか、コンサート終了後のアペリティフでもなんだか全然食欲がわかず、液体(ワイン)以外は喉を通らないというていたらくだ。 「落ち着き払った演奏家」といえば、ひとつとっておきの秘話をお披露目しておこう。ピアニストのSさん、本番前に部屋の隅の譜面台にのっていたチェロの楽譜を、なんだか妙に「こっそりと」覗きこんでいる。この日のコンサートはバイオリンとピアノのための3つのソナタ(バッハ、ベートーヴェン、シューマン)だったのだが、アンコール用のサプライズとして、チェリストもこっそり待機しており、それはこのアンコール最終曲のための楽譜(チェロパートのみ)だったのだ。「なんでSさん、チェロの楽譜なんて見てるのかな。リハーサルしてないってことないよね、まさか」などと怪訝に思いつつも、そうこうするうちに本番がスタートしたので、そんなことはすっかり忘却のかなたへ。 終演後、ワインのグラスを傾けつつ、Sさん「いや〜、今日はアンコールの楽譜が二つ、見あたらなくって、というのはたぶん、リハーサル室に置いてきてしまったからなんですが、で、今朝、大慌てで家を探したらとりあえず見つかったので持ってきたはいいんですけど・・・」 なんと、その楽譜、今回とは異なるアレンジのものだったため、調が違っていた。それをチェロの楽譜を覗き見しながら瞬時に悟り、けれどそんなことはおくびにも出さず、いざ、ぶっつけ本番で二曲とも、瞬間移調(一曲は半音、もう一曲は一音ずれていたらしい)しながら弾いた、とおっしゃるではありませんか。いや〜、いくらメロディーはよく知っている曲とはいえ複雑な和音やアルペジオやその他いろいろ満載なものを、涼しい顔して移調しながら弾いちゃうなんて、いったいどういう頭になっているのだろう、と、どこか遠い異星からやってきた人を見る思いだったのだ。 間に休憩を挟んで2時間弱。お客さんたちもみなさん、とても堪能してくださった様子で嬉しかった。一夜があけての本日、窓際に移動したピアノを元の位置に戻し、並べた椅子も片付けて、今、祭りの後の余韻にゆらゆらと漂っている。このお楽しみ、なんだか癖になりそうな予感もあって、ちょっと怖い。もし「次回」があるとしたら、今度はもう少し落ち着いて臨みたいと思うけど、さあ、どうかな。 ※今回のサロンコンサートと同じプログラムのリサイタルが7月7日七夕の夕に、チューリッヒであります。お近くの方は是非、お運びください。きっと思い出に残るコンサート体験になること、請け合います。 詳細はこちら→
by michikonagasaka
| 2012-07-03 00:04
| 身辺雑記
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