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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2012年 10月 25日
![]() 今年、私が住んでいるチューリッヒの町は例年になく穏やかで柔和な初秋の日々が長く続いた。夏の肌を射すような日差しではなく、初秋だけが持つ、あの指先で優しく愛撫するような日の光が、幾日も幾日も気前よくふり注ぎ、この「異常気象」に戸惑いながらも、その恩恵にたっぷり浴した2012年の9月と10月初頭。 明らかな「変化」が訪れたのは三日前。それまでももちろん雨模様はあったし、「あ、そろそろ来たかな」と思わせる霧の日もあったのだが、それは本番前のリハーサル、もしくは競走前のフライイング程度のもので、真の晩秋、真の冬の訪れは、まだどこにも見当たらないままだったのに、とうとうそれがやってきた。 その前の晩、私はなんだかよく眠れなくて、夜明けを待っているまでの時間が限りなく長く思われた。早朝、5時くらいだったか、目覚まし時計(というか枕元のiphone)にセットされている時間までにはまだしばらく間がある頃、辛抱しきれなくなって私は床を離れた。ぞくっと肌寒い気配を感じ、大急ぎでバスローブを羽織って階下に降りた。居間の窓から外に目をやると、まだ夜明けに到達していない時間とはいえ、窓の外の空気がしっとりと潤んでいることがよくわかった。街灯の赤い光が、その「霧」の中で綿菓子のようにぼーっと曖昧な丸形をつくっている。 ああ、来た。とうとうやって来た。きっと寒いに違いないとは思ったけれど、私は思い切ってテラスに出てみた。前方の教会や森の木々が、薄暗い霧の中におぼろげな輪郭をみせている。頬に感じるあの「湿度」、空気の中にただようあの「静寂な気配」。これこそは、地球上のこの地域に固有の深く冷たい「霧」の気配だ。 ヨーロッパ暮らしも年季が入ってきた近頃、私はこの「霧」を愛おしいものと感じるようになった。かつてはただただ疎ましかったものだったのに、それを愛おしいとまで感じるようになったこの変化。それは年齢と、諸々の人生経験の蓄積、そしてヨーロッパの地で「お客さん」から「在住者」へと自分のポジションが変わって来たことの現れ、だと思う。 この「霧」があるからこそ生まれて来たとしか思えない数々の偉大な文学、音楽、絵画、彫刻、そして思想。 ドビュッシーの前奏曲の一つに「沈む寺院Cathédrale engloutie」という曲があって、これを私は少し前まで練習していたのだが、深い霧の中にずーんと静かに沈みゆくカテドラルのイメージ、その建物と共に沈みゆく生けるもの、死すものの魂とか哀しみのイメージ。そうしたリアルなイメージなくしてどうやってこの曲が生まれ得て、またどうやってこの曲が奏でられ得るものか、私にはわからない。この曲とのイメージつながりで咄嗟に思い起こされるモネの霧シリーズや、須賀敦子の極上エッセイ「ミラノ 霧の風景」はいうまでもなく、直接「霧」とは関係ないかにみえるこの地で生まれた多くの作品や思想が、「霧」の闇を通してみると途端にクリアーなものとして立ちのぼってくる、というこの反語的な真実。 そして、ヴェールに包まれた思い、霧の中に押込められた哀しみ、おぼろげに遠方から聞こえてくる嗚咽、霧雨にしっとりと濡れそぼってしまった過去形の愉悦や幸せ・・・・といった人間の感情の襞。その複雑にして深淵なる思いの数々。 そんなことをぼんやり考えながら、寝不足の目で私は眼前の霧景色を眺めていた。やがて東の空のほうに、ほんのわずかに「朝」の気配が立ち現れ、その気配は霧の向こう側の空一面をゆっくりと満たし始めた。時計をみると6時半。 ![]() さあ、自分だけの感傷にひたってないで「実生活」をはじめる時間だ。そう意を決して、私は部屋の明かりを点し(ヨーロッパのこの季節、朝はまだ電気をつけないと何も見えないくらい暗いので)、二階に上がって娘を起こし、朝食を食べさせ、自分にもコーヒーを入れてキッチンテーブルのipadで新聞にちらりと目を通したりした。こんな霧の朝は、ぼーっとしているとドビュッシーのカテドラルみたいに自分も沈んでいってしまいそうだから(まあ、それもいいのだが)、とにかく何かをしないとーーそう思って、娘を学校に送り出したあと、大急ぎで着替えを済ませ、腫れぼったい目に冷水を当ててから薄くお化粧をして早朝の犬の散歩に出かけた。いつもは散歩途中、ipodで好きな音楽を聞いたりするのだが、この朝は、「音楽」、ことのほか、「大好きな曲」を耳にすることが妙に辛く、静寂な森の「無音」の中に敢えて身を任せることにした。 あの朝から二夜明けた今朝もまた、あたりはすっぽりと霧に包まれている。初秋が終わって晩秋が訪れたことを確かに実感した三日前の朝、寒さに打震えながら、それがみるみるうちに深くて暗い冬につながっていくことをも予感して少し身震いがした、いやあれは武者震いだったか。ああ、霧って暗くて哀しいものだけど、それでも霧はやっぱりいいな、と訳もなく涙ぐみたくなる。
by michikonagasaka
| 2012-10-25 17:26
| 考えずにはいられない
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