序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2012年 11月 03日
あまり得意でもなく、また好きでもない「家事」の中で、例外的に楽しく取り組めるもの。その一つがアイロン掛けで、もう一つがごはん作り。 アイロン掛けのほうは、大学卒業後、はじめての職場だったきものの雑誌の編集部で「折り目正しく畳む」ということをみっちり仕込まれたあたりにその起源があるような気がする。反物をごろごろっと畳の上に広げた時、それは永遠に続くレッドカーペットのように平らにまっすぐに転がっていく。その反物が仕立てられてきものに姿を変えた後も、その平らでまっすぐな属性、いや本質は、ずっとそのままキモノの中に生き続ける。ダーツというもののない、直線断ちの極限的な造形。きものならではのそんな美しさを思い起こさせるのが「畳む」という作業なのだ。 きものを上手に畳むことは、とりもなおさず縫い目をリスペクトすることであり、織の縦線に身を任せることである。そんなことが、おそらく、身体感覚としてあの時代、しっかり自分の中に根付いた。それがアイロン掛けという作業の楽しさにつながっている、と思う。ダーツもあれば曲線もある「洋服」の「丸み」を、人工的に「平面的なもの」にトランスフォームしていく、その過程が楽しい、いや、挑戦意欲をかきたてられる快感なのである。 同じ「大げさな理由づけ」を、料理に当てはめるとどうなるか、ということをここ二晩ほど、夕食の支度をしながらなんとなく思っていた。 やはり大昔の話になるのだけれど、学生時代、長い夏休みのうち2〜3週間ほどを軽井沢で過ごすのが恒例になっていた。といっても何も軽井沢に別荘があってそこで優雅に過ごしていたわけではない。田中美知太郎先生という、当時、京都大学の名誉教授であられ、文化勲章も受賞されたエラい先生の軽井沢の山荘に、私は「お手伝いさん」として雇われていたのである。普段から先生の京都のお宅に週一度うかがって、目の不自由な先生のためにギリシャ語の文献の中から必要な箇所を探してそれを大きな紙にマジックで書き写す、というお手伝いを大学一年のときからずっと続けていた。そのご縁で「夏にも手伝いをお願いできないか」と依頼された、その手伝いの内容というのが、軽井沢での飯炊き係(および、掃除など)、要するにお手伝いさんだったのだ。 飯炊き係といっても、18やそこらでろくな料理ができるわけでもない。アパートで一人暮らしをしていたから、レンジひとつきりしかない小さなキッチンで適当にご飯はつくっていたし、学生には少々値の張る店なんかにも食いしん坊の友だちと時々出かけたりして、世の中にはこんな美味しいものがあるのか、とその都度、感心しきったりはしていた。とはいえ、80を越えた大先生のために三食の献立を考え、買い物をし、料理をするというお役目は大仕事。おまけに東京から出版社の人が表敬に訪ねて来たり、京都から研究のお仲間が合宿に来たり、北佐久郡近郊に別荘をお持ちの作家先生なんかが遊びに来たり、というようなこともたびたびあり、そんなときは人数分の食事やお茶の用意もしなければいけない。私のような小娘を雇う先生の度胸もすごいが、「あ、いいですよ。喜んで」とほいほい承知して「フリータイムには旧軽に遊びに行ったりテニスしたりもできるよ」という甘い言葉で友だちも巻き込んで嬉々として参上した私も、さすがに若く、そしてあつかましい以外のなにものでもない。 しかしこの軽井沢体験で、私はご飯作りに開眼したのだった。朝は簡単な和食、昼はパン、夜はなんでもオッケーという田中ルールさえ守れば、あとは何をつくったっていい。先生、ご高齢にもかかわらず実に健啖家、好き嫌いゼロの方なのである。近くのスーパー「ツルヤ」は新鮮な食材の宝庫だったし、旧軽井沢まで行けば紀伊国屋だってある。金銭感覚の乏しい私は、与えられた「食費」を遠慮なくつかって肉や野菜や魚、そしてこれまで口にしたこともないようなエキゾチックな素材などもいろいろ買いあさっては理科室の実験みたいにしてさまざまな料理をつくった。この山荘では、代々のお手伝い(先生は私以前にも女子学生を夏のお手伝い要員として雇っていた→といって、別に変な意味は全然なかった、念のため)が「軽井沢食卓日記」というものを記していて、そんな大学ノートが数冊、廊下の電話台のところに置いてあったが、私もその最新ページに毎日の成果を、時にイラストなども添えて書き込んでいたものだった。 ギリシャ哲学の大家だった先生の食卓は、ことに来客のあるときなどは、まさにプラトンの「饗宴」を思わせる談論風発の趣で、お手伝い身分の私たち小娘も、そこは民主主義的にちゃんと食卓の末席に同席させていただいていたが、なんだか高度過ぎて話についていけないなあと思いながら、それでもインテリ大人たちの会話に耳を澄ませ、と、同時に目の不自由な先生が、天ぷらをつかみ損ねてお味噌汁の中にぽとんと落としてしまったりするシーンに、友だちと目配せしながら必死に笑いをこらえたり。たまには西洋風もいってみよう、と、石井好子の「パリの空の下、オムレツのにおいは流れる」からインスピレーションを得て適当にこしらえた「なんちゃってパリ風」の食卓にしてみたり(そういうときは紀伊国屋でバゲットを買ってきた)、ここは長野だからね、蕎麦だな、と思い立って、で、このそばがきってのはどうやってつくるんだろう、と料理本を研究したり。庭掃除のあと外でたき火をして、そこで焼き芋をつくったのをおやつの時間にお出ししたり・・・。食卓の饗宴風景と相まって思い出されるこうした実験料理の秀作の数々(当然、目も当てられない失敗もあった)! それから何十年もご飯を作り続けて来た中、あの軽井沢での食卓の光景が、私のご飯作りの原点にある、ということを時折思い出す。片付けは面倒くさいから嫌いだけど、ご飯をつくるプロセス、そしてその後、人々と囲む食卓というシチュエーションはやっぱりずっと大好きで、違いといえば、酒量が増えたこと(?)、そして世界のあちこちに移り住んだ経験によってもたらされた味覚パレットの拡大といった点くらいだろうか。 昨晩は、最近めっきり寒くなってきたから、久しぶりに鍋でも、と思い立って鴨鍋にしてみた。鍋のあとは、鴨の脂をたっぷり含んだ煮汁にご飯を入れて雑炊に。我が家の常連お客さん友だちなら、一度は体験している定番コースである。 おとといの晩は、小布施の長野じゃないけど、このシーズン、一回は栗を食べないと、と思い立って、栗ご飯をつくった。栗はスイスのテシーン産。小粒だし、オーガニックだから虫食いも多くて労力のわりに成果が少ないのだが、ホクホクした食感と甘過ぎない淡白な味がなかなかいける。ついでに「アジアの屋台」風(すごい適当)のスペアリブ、そして大根と水菜のサラダもつくってみた。 田中先生はとっくの昔にお亡くなりになってしまったけど、そういえば軽井沢でも、シーズン前の栗はまだ無理として、いろいろな混ぜご飯、作って差し上げましたっけね、と思い出す。 私は食欲と感情が密接にリンクしている人間なので、悲しいときとか辛いときというのは本当に何も食べたくなくて、料理もしたくなくなる。逆に、ちょっとでもいいことがあったり、気分が高揚しているときは、もうモリモリなんでも美味しく食べられて、よっしゃ、ちゃんとご飯つくるか、という意欲が満ちあふれてくるのである(だから、ときどき悲しいことがあると、ダイエット的には非常にいい)。身体と心とが、かくもダイレクトにつながっている我が身の単純さにあきれかえりつつ、食欲があるうちにちゃんと栄養補給をしておかなくちゃ、と、もうあまり若くもない私は、ちょっとは自分の健康のことなども考えてみるのだった。
by michikonagasaka
| 2012-11-03 16:08
| ごはんの話
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