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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2012年 12月 17日
![]() 昨日(12月16日)の衆院選挙の結果に、こんな私でもいろいろ考えずにはいられなかった。直感的な反応は「え〜、ウソでしょ。それはマズいでしょ」。 私は政治に詳しくもないし、これまでの人生で政治的にコミットメントした経験は一度もなく、単なる傍観者でしかなかった。大学生になって、京大のキャンパスで生まれて初めて学生運動に没頭する人々を間近に見たときも、安保も過去のことになって久しく政治活動へのお祭り騒ぎ的熱狂がとうに「旬」を過ぎていた時代だったこともあり、私は彼らになんのシンパシーも興味も感じなかった。もっと遡れば、子供時代に学級委員や生徒会の役員といったポジションに興味を持ったことも一度もなかった。お国の大事よりは、自分の大事、友だちの大事のことにもっぱら関心を集中させるタイプの人間であり、また時代の趨勢もそうしたものだった。 けれどその後、もう少し大人になってから世界のあちこちに暮らし、異なる文化や宗教や政治体制の国々からやってきた人々に多く出会う経験を積み重ねるうち、さすがのノンポリの私も、ほんの少しずつ、とても個人的な仕方で政治というものへの感性を自分の中に育ててきたらしい。「不完全なものだらけの中から、それでもよりマシなものをサポートすること=(イコール)民主主義」という諦観にそれは行き着き、また「個人の力や能力、与えられた機会の不均衡を是正しうるシステムのほうが、たぶん人類にとってはマシである」という方向へと、自分の立ち位置は定まっていった。 大昔、ギリシャ哲学を勉強していたとき「衆愚政治」という考え方を知った。民主主義の弱点、盲点をつくこの考え方には、どこかハッとさせられるものがあり、それがポピュリズム嫌い、情緒やセンチメンタリズムに訴える言説への懐疑主義へとつながった。たまたま能力や機会に恵まれた「エリート」が、持てる英知や知の蓄積を総動員して「全体」を少しでもマシな方向へ導いていくということ、その根底に宿るノブレスオブリージュの精神に共感を抱く、いや希望をつなぐ人間へと私をうながした。 そうしたところへもってきて、本日の選挙結果である。 投票率が非常に低かったということを知り、また小選挙区制のもたらすいびつな結果というからくりも一応理解している。しかしそれにしても、という驚き、そして落胆の気持ちに変わりはない。 そして、普段、私が個人的につながっている人たちに共有される感覚と、今回の結果とのあまりの大きな隔たりには目眩がするほど。 ちなみに私の個人的な友人知人の中で、今回の結果に加担したと思われる人はほぼ皆無である。かつては私同様ノンポリだったけれど、3.11を機にそれなりに目覚め、今回の選挙もいろいろ考えて投票に行った人がたくさんいるが、彼らの誰一人として、今回の結果には加担していなかったと思われるのである。とすれば、私の周りの人間たちは、日本社会ではしょせん非常に小さなマイノリティだったとしかいいようがない。 低迷した経済をどう立て直すか、原発をどうするか、隣国との付き合いをどうするか、高齢化少子化が進む一方のこの社会をどうやったらより暮らしやすいものにしていけるのか。そして憲法を、自衛隊を、消費税をどうするのか。そういうイシューのどれもが、真面目に語ろうとすればかなりの勉強を要するものであることは明らかで、それを国民全員に期待することはどだい無理な話である。けれど、全員とはいわないまでも、もう少し多くの人が、もう少し勉強して自分の頭で考えてその結果を投票に反映していたのであれば、よもやこのような結果にはならなかったであろう。 話が飛躍するけれど、「自分の頭で考える力」を育てる教育をずっとずっと怠ってきたツケが回ってきているということを痛感する。学校から塾へ直行し、膨大な量のデータを頭の中に叩き込み、反復練習で「正しい答え」を出す、いやそもそもどんな質問にも「正しい答え」があるはずだという揺るぎのない確信を上塗りし続ける、そういう子供時代を送った人たちに、自力で考える力や批判精神を持てという方が無理な話である。 結果は民主主義の弱点をそのまま露呈する衆愚政治という形になる。 自分は何もコミットしないで、のほほんと外国に暮らし続ける私がエラそうなことをいえた義理ではないけれど、今回の結果は、そんな私にとってもあまりにショックだった(そのような予想は出ていたとはいえ、心の底では、まさかそこまで悲観的になることもないだろう、とタカをくくっていたところが確かにあった)。 日本の外にいるからこそ、これは余計に感じることかもしれないけれど、日本はこの20年ほど、本当にどんどん「遅れた国」に成り下がっている。それは経済に関してだけでなく、国民の政治リテラシー、国際情勢リテラシー、そしてあらゆるシステムの硬直化という側面に関してもいえること。今どきの先進国で、それはないでしょうという局面が、教育、金融、政治、マスコミ、福祉、医療から果ては(日本が得意だったはずの)ITの分野にいたるまで、いたるところで散見される。 ごく一部のアジアの国々は別として、子供たちがこんなにたくさん勉強している国は見たことがない。たくさん勉強しているのに、世界の大学ランキングでは東大ですら20位にも入るかどうかという程度である。たくさん勉強して名門大学に入学したとしても、その後の人生にはなんの保証もないどころか、せめて豊かな人生を送るに最低限必要な「教養」くらいは身につけるかといえば、ちっともそんなことはない。努力と結果の乖離があまりに大きく、つまりは努力の内容自体に問題があるとしか思えないのである。 うまくまとまらないけれど、いよいよ具体的に衆愚政治はじまり、の予感がある。どうなっちゃうんだろう。杞憂に終わるのならばいいのだけれど。
by michikonagasaka
| 2012-12-17 08:25
| 考えずにはいられない
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