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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 01月 25日
![]() 「あら〜、なんか永ちゃんモード入ってる!」 昨日、ランチの待ち合わせに少し遅れて到着した私に、友人が開口一番放った台詞がこれだった。 「そお?」と改めて自分の姿に少し客観的な視線を這わせてみれば、なるほど、気持ちロックンロールといえなくもない格好ではあった。 「道子さんはね、こう見えても不良好きの人だから」 もう1人の友人に向かって最初の友人がそう補足した。 何を隠そう、15歳の私は矢沢永吉、いや当時はまだキャロルというバンドにおける矢沢永吉だったのだが、とにかく彼と彼のバンドに象徴される世界にぞっこんなのであった。地方都市の公立高校生だった私には、都会的な高級な趣味とかエリート主義的なスノッブな嗜好というのはおよそ別世界の出来事で、ネットもフェイスブックもない時代にあっては、せいぜいが高校生向きの雑誌とか友人との会話を通してしか外の世界とつながる手段はなく、そうしてつながったささやかな外の世界に、かの矢沢永吉は威風堂々とそれはそれはかっこよく君臨していたのであった。 予定調和的優等生モラルが、ただ何となく性に合わないという、ただそれだけの理由で、私は「不良」がカッコいいと信じ込み、自分もその流儀を真似してみようとあれこれ工夫したものだった。三つ子の魂百までとはよくいったもので、15の魂はかくして現在に至るまで、私の中にその火を完全に消し去ることなく、ひっそりと生き続けている。そしてその結果、いや現れが、冒頭のロックンロールもどき(といってもごく控えめ)の「イケテル不良中年女」的装いとして開花するわけである(自分で「開花」などと、そんな厚かましいことをいってはいけない、すみません)。 そういう自分が一方に厳然と存在して、けれど、他方には、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを「すごい」と思う自分がいる。小林秀雄に畏怖の念を抱き、ミラン・クンデラを溺愛し、ミシェル・フコー頭いい、と感動する自分がいる。矢沢永吉とシューマンの両方を愛するとは、いったいどういうことだろうかと途方に暮れる自分がいる。 思えば物心ついた時分より、そうした「自己分裂的嗜好や好み」ほど、この非力でどっちつかずの自分を苦しめてきたものはない。その苦しみ、いや呪縛を懐かしく思い出したのは、実は今日、あるきっかけでサルトルとボーヴオワールの古いインタビュー映像を目にしたから。「懐かしく」と書いたけれど、もちろんそれはいまだに「すべて解決」されたわけではなく、相変わらずもやもやとくすぶった状態で自分の中にあり続けているものではあるが、それでもさすがに年の功、「折り合いを付ける」という知恵が少々身について、最近は苦しみも大いに軽減され、ほっと一息ついているところではある。 さて、このインタビュー中、サルトル氏はシモーヌのことを「カストール」という愛称で呼び、そして自室のバルコニーから「ほら、あそこ」と、その恋人カストールの住まいをインタビュアーに指差してみせる。 そう、サルトルとボーヴォワ—ルは50年続いた恋人同士だったけれど、一度も一緒に住むことがなかった。お互いを敬愛し慈しみつつ、けれど互いの自由を束縛しないということで合意した2人は、モンパルナス界隈の別々のアパートに住んで、午前中はそれぞれ自分の仕事に没頭し、そして午後、2人はサンジェルマンのカフェで逢った。2人きりのときもあれば、友人を交えたときもあった。場所もいつものカフェだけとは限らず、誰か共通の友人の家だったり、どこか別の店だったりもした。 そういう関係を彼らは「ユニオン・リーブル」と呼び、その新しい熟語は当時のフランスで一種の流行語、社会現象にさえなった。彼らの真似をして「あえて結婚しないカップル」が後を絶たなかった。 サルトルは狭苦しいシングルベッドと散らかった机の置かれた小さな部屋で、ベトナム戦争について、実存主義について、カンディンスキーについて、インテレクチュアルのアンガージュマンということにについて思索を深め、言葉を選び、筆を運ばせる日々だった。ボーヴォワ—ルは、お行儀のよいブルジョワ家庭出身女性という外見を一生さわやかに保ちつつ、「女は女に生まれるのではない。女は女になるのである」と言い切った。 ボーヴォワールのこのあまりに有名な言葉が、だがしかし、これほどのインパクトを世界に及ぼした理由のひとつは、他でもない、彼女自身が非常にフランス的な意味で育ちのよいフェミニンな女性であったことである・・・・と、門外漢の私はひょっとしたらひどく見当違いかもしれない妄想を抱いている。見当違いといいつつ、いや、きっとそうだ、とどこかで確信しているところもある。 それにしても、ユニオン・リーブルとは、その誕生から長い時間を経た今もなお、またなんと素敵であり続けるコンセプトだろうか。矢沢永吉とシューマンの両方を愛する私のような人間には、もしかしたら因習的な「家族」とか「結婚」という形態よりも、ユニオン・リーブルみたいなスタイルのほうが合っていたのかもしれない。そんな暴言をこの期に及んで吐いてみたところでなんの甲斐もないことは十分承知している。背負った業は、責任もって背負い続けてみろや、と、自分を叱咤激励したくもなる。この弱虫、意気地なし、と愛想をつかしたくもなる。 そうはいうものの、一抹の寂しさ、こればかりはやはりいかんともしがたく、あとは仕方ない、ロックンロールのスピリットを心の奥底に大切に秘めつつ、よい子ぶってピアノの練習をして(でもこれは「ぶってる」だけではなく、本当に楽しい)、子供たちにはそれなりに「節度ある大人からの助言」を進呈しつつ、ああ、でも、そんなのね、さぼっちゃいなさいよ、大勢に影響ないんだから、枝葉末節にこだわっちゃだめ、本筋をみないと、などと時々本音コメントも露呈しつつ、そして「ママって、すごい変わってるよね。普通の親はそういうことはいわないもんなの」と子供から呆れ返られつつ、そんなふうにやっていくしかないのである。 自分がそんなふうだから、だから私は矛盾を抱え込む人に親しみを抱き、分裂的嗜好をかかえる人となんとなく気が合うのである。一筋縄ではいかない相手。それこそが一緒にいて楽しく、触発され、そして慰められる相手なのである。
by michikonagasaka
| 2013-01-25 05:34
| 考えずにはいられない
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