序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 02月 20日
チューリッヒは夜が早い。 映画やコンサートに出かけたあと、さて、食事でも、と思った段階(というのは10時くらい)で快く出迎えてくれる店というのがまずは驚くほど少ない。ましてや、遅めの夕食のあと、ちょっともう一杯、と思った段階(11時過ぎ)では、あそことあそこと、それからあそこ、と片方の手で数えるほどしか、程よい店というのがない。 だいたい私が夜、友人と出かけると、当然のことながら話が弾み、話は尽きないものである。そしてあらかた食事が終わった頃に「あら?」と周りを見渡すと、店内には既に私たちしかいない、という経験をこれまで何度したことだろうか。店の人は何度もこちらへやってきて「他には何か?」「Is everything OK?」などと尋ねるのだが、いうまでもなく、これは「早く帰ってください」というサインに他ならない。中にはこちらがまだ食後酒やコーヒーなどを終えてもいないのに、店内の椅子をテーブルに積み始めたり、厭味ったらしくレジに鍵をかけたりする不届きものもいる。 あ〜まったくこれだから、と、毎度のことながら私はこの生真面目なプロテスタントの町にうんざりし、仕方がないから「じゃあ、続きはうちで」ということにして、ぞろぞろと友だちを引き連れてきたり、あるいは誰か他の人の家に流れたりするのである。 こうしたチューリッヒ夜遊び砂漠に一滴のしずく、一服の清涼水として君臨する例外的存在のひとつがベルヴューにあるカフェ・オデオン。 創業1911年のこの伝説的なカフェは、天井の高いユーゲント様式の(かなり古くさい、が、その代わりベルエポック的雰囲気に満ちあふれた)店。ウィーンあたりではこの手の店は珍しくもなんともないが、規模の上でも、また文化的歴史の上でも慎ましやかな小都市チューリッヒでは、稀有な存在だ。 古い建物の外見だけを残し、内装は思い切りモダンに改装するというのは、この町の名門校ETH(連邦工科大学)建築学科の得意とするところで、実際、その美意識と技術が遺憾なく発揮された建物というのが実に多い。そんなチューリッヒにあってここオデオンは、薄暗い照明、ベッチンのカーテン、バーのしつらえから床のモザイク模様にいたるまで、すべてそっくり元のまま、という、その点でもなかなか希少価値のある、したがって味のある店である。 実はこの店、古ぼけた内装の醸し出す「味」、そして夜遅くまで(午前3時まで)開いているという点以外にも優れたポイントがある。他でもない、そのボヘミアンな歴史、文化サロン的な背景だ。 ダダイズムという前衛芸術&文学運動の発祥の地として知られるチューリッヒだが、旧市街にあるキャバレー・ヴォルテールと並び、ここオデオンはダダイズム運動の拠点だった。第一次世界大戦後の疲弊した時代気分の中、戦争やブルジョワ的な既存概念&秩序への「反抗」を思想基盤とし、絵画、写真、文学などの分野で、世界数都市でほぼ同時多発的に盛り上がったこの運動。その発祥地がチューリッヒというだけでも、文化面で華やかな過去をあまり持たないこの町の住人としては、「あ〜よかった、ダダがあって」とほっと胸を撫で下ろすところではあるが、そのダダイズムを代表する人物たちが、夜ごとこの店でとぐろを巻いていたというのは、ただそれだけでなんとなく素敵なことのように思われてならない。 ダダイズム期を幕開けに、この店に足しげく通い、何時間でも居座り続けた文化人の中には、ジェームス・ジョイス、ステファン・ツヴァイク、サマセット・モームなどの文学系、アインシュタインをはじめとする学者系、フルトヴェングラー、トスカニーニ、アルバン・ベルグなどの音楽系、そしてレーニンやムッソリーニなどの政治系など、そうそうたる名が知られている。レーニンはオデオンのテーブルに何時間も陣取って、来るべきロシア革命の構想を練ったともいわれている。 地元スイスの文化人だけでなく、広く国外の芸術家や政治亡命者などに扉が開かれていたことが伺えるのも、その時代、この小都市が実は案外コスモポリタンだったことを物語っていて興味深いところだ。 ギャルソン氏はオッケーとして、背後の客がまったく絵にならないところが、やっぱり残念ながらスイス。 遊び人だった私の祖父は、家業だった商売を祖母に任せっきりにして、夜ごと芝居小屋や寄席、そしてたぶん遊郭なんかをほっつき歩いては大盤振る舞いで財布をすっからかんにして、けれど気持ちは大いにご機嫌の午前様だったと聞く。そのDNAを多少は受け継いでいるせいだろうか。夜の早いチューリッヒの町で、ときに(いえ、ほんの「ときに」ですが)羽目を外し、シンデレラタイムを大きく過ぎた後、あてどなくぶらぶらしていたいという衝動に駆られる。 そんなとき、このオデオンは実にありがたく、そしてなごめる場所なのだ。店のおじさんたちも、チューリッヒには珍しく大変、愛想がよく、なんというかこう非常に大らかな感じがあって好ましい。 若い頃、パリのフロールの二階席で、いろいろな人たちとずいぶん長い時間を過ごしたことを思い出す。駆け出しの作家(パリ在住のスイス人だった!)からサイン入りの処女作をプレゼントされたのもフロールだったし、失恋した友人を慰めながら何杯もワイングラスを空にしたものフロールだった。ジャン・ポール・ベルモンドが斜め前の席に若い女の子と座っていたこともあったし、カメラマンやスタイリストと撮影の打ち合わせをしたのもやっぱりフロールだった。フリゼサラダにジェズィエ(砂肝、ですね)と半熟タマゴの入った「サラダ・ランデーズ(ランド地方のサラダ)」や、クロークマダムにワイン、またはシャンパンというのがこの店でもっとも愛用したご飯メニューだった、そんなこともまるで昨日の出来事のように、あのとろける半熟タマゴの食感も含め、鮮やかに思い起こすことができるほど、それほどまで私はフロールの常連で、お隣のドゥマゴには目もくれない圧倒的にフロ―ル贔屓の客だった。 カフェ・オデオンを私は勝手に「チューリッヒのフロール」と名付け、夜光虫衝動が起きたときのみならず、ぽっかり時間の空いた午後などにも、あるときは1人で、またあるときは誰かと一緒にここで過ごす。フロールで過ごしたような「無限に続くかの時間」という感覚は、現在の年齢の私にはもはやなく、いつも「帰宅時間をやや気にしながら」の滞在なのだけれど、それは日常の規律や秩序からちょっと逃れ、ボヘミアン魂にこっそり火をつけるこよなく貴重な時間なのだ。
by michikonagasaka
| 2013-02-20 02:38
| 身辺雑記
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