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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 03月 01日
![]() 先日、若い知人(30代、女性)が、私の仕事部屋の書棚をしばし呆然と眺めた後、やおら向き直って質問した。 「道子さんの一番好きな作家って誰ですか?」 その直球型質問に一瞬たじろぎ、そしてぐるぐると頭の中で複数の名前を回転させたあと、こう答えた。 「もし、全世界、全時代というカテゴリーの中から、今現在の私が1人名前を挙げるとすれば、それはミラン・クンデラかなあ」 この回答の中でとりわけ大切なポイントだったのは「今現在の私」という部分。なぜなら、「少し前の私」「10年前の私」「明日の私」は、おそらくは同じ回答を持たないであろうから。 ・・・・と、それなりに生真面目な条件をつけ、魂を込めて彼女の質問にお答えしたのであったが、はたしてそれに対する彼女の反応がふるっていた。 「え、それって誰ですか???」 そうか、そうか、君はクンデラを知らないか。 私にとってクンデラとの出会いは、たぶん20年くらい前。映画化もされたベストセラー「存在の耐えられない軽さ」を日本語訳で読んで、こ、こ、これはすごい、と打震え、そしてそこからの大飛躍で、見知らぬ東欧の国チェコに、そしてさらにまたまた大飛躍でハンガリーに、以来、ずっと説明不可能な憧憬の思いを抱き続けてきた。 たまたま出会った人が「チェコ人」「ハンガリー人」と知っただけで、男女を問わず、すでに半分くらいその人に恋する気持ちになる、といったら大げさかもしれないし、何より馬鹿げているとは思うものの、そうした理不尽な憧憬を自分でもどうすることもできないのだ。これすべて、クンデラのせいである。 そのクンデラの言葉にこんなものがある。 Two people in love, alone, isolated from the world, that's beautiful. ― Milan Kundera その出典も知らずに、その上、チェコ語ではなく英訳でこの言葉に出会ったとき、やはり私は打震え、そして100パーセント、完全無条件の同意をしてしまった。 彼の小説は(邦訳が出ているものは)たぶん、全部ひととおり読んだと思う。そのどれもが素晴らしく、とりわけ彼の恋愛観がぴたりと自分の琴線を直撃し、異国の年齢差のある異性の作家である彼の何がいったい、極東出身の凡人である私の胸にここまで響くのか、ということをいつも思いながらひとつひとつのストーリーを追ってきた。 しかし、実はさらなる圧巻は彼の文芸批評もの。文学通でもなければ、大した読書家でもない、(しつこいけれど)一介の極東出身の凡人でしかない私が、彼の綴るクレオール文学への想い、ラブレーへの、フロベールへの、カミュへの愛と考察、キッチュと卑俗についての、ベートーヴェンについての洞察になぜ、これほど揺すぶられ、膝を打つのか。言語や文化の違いを越えたところに存在する文学の力、芸術の力というものを信頼せずして、そうした現象は到底説明がつかない。 そのベートーヴェンについての彼の一節を少しだけ紹介しておこう。 「最後の6年のあいだ、ベートーヴェンはウィーン、ウィ―ンの貴族、彼を尊敬するが彼の音楽を聞かなくなったウィーンの音楽家たちにたいして、もう何も期待していなかった。もっとも、たとえ耳が聞こえなくなったからにすぎないとしても、彼のほうもまた彼らの音楽を聴かなくなっていた。彼はみずからの芸術の絶頂にあり、彼のピアノ・ソナタや四重奏曲は他の何にも似ていなかった。構築の複雑さのために、それらは古典派から遠いが、だからといってロマン派の若者たちの安易な自発性に近いわけでもなかった。音楽の進化において、彼は誰も追随しなかった方向に向かったのだ。弟子もなく、後継者もなく、彼の晩年の自由は一つの奇跡、孤島のようなものだった。(「カーテン」より)」 これは上記引用書の中の「明け方の自由 暮れ方の自由」という章を締めくくる最後の段落なのだが、芸術活動一般における「若い時代の陽気な連帯性という奔放な自由」と、「老いてからの孤独で孤高な自由」という二つの自由を並置対立させる文脈の中で、その「晩年の自由」の例として挙げられているもの。こんなふうに私が拙い言葉で要約するとなんのことやらさっぱり、と感じるかもしれないけれど、これをくだいていうならば、若い芸術家が既成概念に反逆するときは往々にして徒党を組み、お祭り騒ぎのようにしてこれを行なう。それは限りなく伸びやかな(けれど少し野蛮な)自由。それに対し、晩年のベート―ヴェン、晩年のピカソ、晩年のフェリーニに共通する「求道者の孤独」とは、もはや組むべき徒党もなく、芸術上のつるむ仲間もなく、ただ1人、自分の道をきわめていく、そういう形の寂しくも神々しく、けれどどこか突き抜けた明るささえ伴う自由。 ・・・・・・ああ、だめだ、やっぱり錯綜してしまってうまく説明できない。 そう、こんなややこしい御託はどうでもいい。早い話、クンデラが何かをいえば、その対象がなんであれ、私はすっかり感心し、すっかり打ちのめされる。つまりはそういうことなのである。 彼の文芸批評にたびたび登場するマルチニックの作家の作品などひとつも読んだことがないし、マルチニックでなくともヨーロッパのメジャーな作品の多くですら、私には未知未読のものが多い。せっかくだからそこに引用されている、俎上に載せられ、語られている作品を、じゃあ、さっそく私も読んでみよう、と思って、けれど結局そのままになっているものが大半。そうした作品を知っていれば、クンデラの言葉への理解や共感もぐっと深まるであろうことは論を待たないけれど、けれど怠け者の私はそんな労をすら惜しむ。それほどの情けない読者であっても、なお、彼の言葉は胸を打ち、(見知らぬ)文学の大海への憧憬の思いをかき立てる。 それでいいのだ、とも思う。深い森の入り口のあたりでちょろちょろうろうろしているだけの読者だけれど、入り口までたどり着けただけでもう十分幸せ。 と、そこまでの込み入ったプライベートな思いをもちろん私は口に出すことなく、件の若い知人にはただ、こう答えた。 「クンデラっていうのはね、チェコ出身、でもプラハの春の時代にフランスに亡命した作家なのよ」 一方通行の会話は日常にはごまんと転がっている。投げた球はそのまま投げっぱなしで返球されることなく消えていく。でもね、それでもちっとも構わない。そう思うのです。クンデラを知らない人とだってお友達になる余地は十分にあるし、共有できないことが山ほどあるけれど、惹かれる人、愛しい人というのも(幸いにして)これまたたくさんいる。That's beautiful. そう、それでいいのです。
by michikonagasaka
| 2013-03-01 06:30
| 本
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