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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 03月 14日
![]() まだうんと若い頃、子供を持つ自分というコンセプトは私の中にまったく存在していなかった。当時の職場だった雑誌編集部にたった1人だけ、「お母さん」の先輩がいて、その人が「今日は◯◯を実家に預けてるから夜遅くなっても平気なの」というようなことを口にしたとき、その言葉は私の右の耳から入って、脳内になんの印象も残すことなく左の耳から出ていった。同じ先輩が取材の帰り道に子供へのお土産用になにかお菓子を買っている風景を目にしたとき、それはやはり私の脳内になんの痕跡も残すことなく、あっさりと視界から消えていった。 その頃の私は、覚えたての仕事と都会での暮らし、そして恋愛に夢中で、けれどその恋愛がある日、子を産むという方向に向かう可能性を少しでもはらんでいるということは脳裏をよぎることすらなく、ただただ自分1人きりの人生で手一杯だった。 そんな私に最初の変化が訪れたのは、パリに暮らし始めて1〜2年経った頃だっただろうか。学校がひける夕方の時刻、昼間はまったく見かけることのない子供たちが、親やナニーに手を引かれて下校してくる様子がなんとなく気になるようになった。 それはこれまでに私が日本での見聞をもとにうっすらと描いていたイメージと大いに異なり、なにかこうとっても絵画的で抽象的な情景だった。きれいに着飾ったプリンセスがトイレに行くところなど到底想像できないというのとそれはとてもよく似ていて、そこで目に入る子供たちは、うるさくもなければわずらわしくもなく、また家を散らかすとか、大暴れするとか、鼻水をたらすとか、すねるとか、といった要素を一切排除された限りなく牧歌的に美しく愛らしいものに思われた。 そんな子供たちの多くが、近所のパン屋さんで買ってもらったパン・オー・ショコラをかじりながら歩いていた。あるいは自分の顏ほどの大きさのあるパン・オー・ショコラをまんまるい小さな両手にかかえてベビ―カーに座っていた。 仕事帰りと思われる母親は、ほっそりとした身を仕事着で包み、ハイヒールの靴を履いていた。移民と思われるナニーはレギングに大きなセーターでたっぷりとしたお腹をカバーするような格好だった。そして子供たちはといえば、プリンセスのように小公子のように、彼らはパリの色彩、パリのデザインの(要するに大人好みの)可愛らしい服を着せられ、小さな靴下に革の靴を履いていたりした。そんな彼らの手にはいつもさくさくのパン・オー・ショコラがあった。 わ〜、なんて可愛いいんでしょう。 赤ちゃんのオムツを替えたこともなければ、夜泣きが何かも知らず、ましてや長じてティーンエイジャーとなった彼らとの暮らしがどれだけ大変なものかなど、これっぽっちも承知せず、パリ7区の道ばたで目にしたそののどかできれいごとっぽい光景を、私はただただ好ましいものとして捉えていた。 きれいごとの中には、必ずパン・オー・ショコラがあった。柔らかい両の手にかかえられたパン・オー・ショコラ。バターをたっぷり使ったペイストリー生地は、ぱらぱらとこぼれ落ち、プリンセスや小公子たちの白衿のブラウスの胸元に舞い落ちていたが、それもまた、美しく微笑ましい情景の一部だった。プリンセスや小公子たちの口元にべったりとついたチョコレートですら、その香しさとなめらかなテクスチャ—を想像させて一服の美しい絵となっていた。 そうだ、私も子供を産んで学校帰りのおやつにとびきり美味しくてたっぷりと大きなパン・オー・ショコラを買ってあげよう!!! その唐突な欲求こそが、「子供がいる暮らしもいいかもしれない」という平凡なステートメントにつながり、そして数年後のある日、私は本当に子供を産んでしまったのだった。 ![]() あの無邪気なパン・オ―・ショコラの日から、思えばずいぶん遠くへとやってきたもんだ、と、あれから20年近くたった今、しみじみと感慨を抱くのである。 パン・オー・ショコラのパン屑が、実はきれいなブラウスに油の染みを残すように、子育ては私にとって、実に絵空事の真反対の出来事であった。 パリの7区のあの界隈で「子供のいる生活」を唐突に願望した背景には、所帯染みて見えない母親たちの姿というものももちろんあった。子供をベビーシッターにとっとと預け、仕事服から夜の服に着替えてからオペラや食事に出かける女たちの姿を山ほどみて、あらなんだ、こういうこともありだったんだ、と開眼し、これならばもしかして自分にもできるかもしれない、と夢想した。 その裏には、日本で垣間みた「お母さんになってしまったかつての友だち」の姿というものもあった。学生時代、それなりに自由に伸びやかにきれいにしていた彼女たちが、出産を境に「お母さんの顏と姿」一色に激変してしまう、その様子に驚き、これはとても自分には不可能だ、と恐れ戦いた、そういう過去の体験があったところに登場したパリの母親たち。彼女たちは目を見張るほど、「生涯オンナ」路線を闊歩しているかのようだった。 それもまた、ある意味、若気の幻想であったことを今ではよく知っている。「生涯オンナ」路線を続けるためには、当然、さまざまな代償を払わなければならないこと、その代償の中には壊れた家庭、傷ついた子供、そして多くの涙や怒りや嫉妬、といったことがらがたっぷりと含まれていることも、知っている。 生涯オンナ路線なんてものからはとっくの昔に一抜けして、ある意味、あっさりと淡白なおかあさん人生を送ってきた人たちにしても、あっさり淡白の後ろ側に、悶々とした葛藤を抱えていたり、全力をかけたはずの子育てが、いつしか自己実現の代替行為に成り代わっていたりして、思ったほどシンプルではない。そんなケースもあれこれ見聞きしてきた。 *** 昨日、所用でジュネーブに出かけた。慌ただしい日帰りの旅で少しばかり疲れたけれど、久々のフランス語圏はやはり耳に心地よく、チューリッヒより猥雑な感じの町並みも、その猥雑さ故にほっとなごむところがあった。ジュネーブという町は、スイスにありながら、どこか「自分たちはパリの郊外」とでも思っている節がある不思議な町である。意識はスイスの首都ベルンでなく、ましてやお隣のヴォー州などでは到底なく、じゃあどこかといえば、光の都パリを向いている。パリに憧れ、けれどパリには到底かなわない、だからその二番煎じでお茶を濁しているような町。4年間住んだジュネーブは、私にとってはそうしたイメージの町だった。そんなわけで、この町のパン・オー・ショコラ(をはじめとするヴィエノワズリー系のパンたち)は、スイスには珍しく、(二番煎じとはいえ)わりにパリ風で美味しいのだ。 帰りの電車に乗る直前、そうだ、と思い立ち、私はそのへんのなんの特徴もないパン屋さんでパン・オー・ショコラを一つ買った。家でお留守番をして、犬の散歩もしてくれているはずの娘へのお土産にしようと思ったからだ。 娘がまだ小さかった頃、当時はジュネーブ暮らしだったこともあって、幼稚園のお迎えに行った帰り道、よくパン・オー・ショコラを買ってやったものだった。口の周りをバターの油とチョコレートでべたべたにしながら、娘は実に美味しそうにそれをほおばった。覚えたてのフランス語は日に日に上達し、幼児の声で発せられるRの音などは、親の私ですらうっとりするほど可愛らしかった。 当時は、きれいごとの子育て幻想からは既に完全に冷めていて、ただただ日々の現実と格闘しているような毎日だったけれど、それでも幼稚園帰りのパン・オ―・ショコラは、分刻みのカオティックな日常に甘くくつろいだひとときをもたらしてくれた。そんなことを懐かしく思い出し、今や私とあまり背丈のかわらないほど大きく成長した娘に、いそいそとパン・オー・ショコラを買って帰る。そんな自分を軽く笑いとばし、そして「果たしてこんな子供だましを今どきの彼女が喜んでくれるだろうか」と、ちょっとドキドキしたりもする。 はたして娘はお土産のパン・オー・ショコラに大喜び。自分のドキドキが杞憂であったことにほっとしつつ、いや、もしかしたらこれは「ママをがっかりさせないように」と健気に気を遣って大げさに喜んでみせているのだろうか、と少し勘ぐってみたり。 パン・オー・ショコラという強烈なイメージにだまされて、いや背中を押されて歩み始めてしまった「お母さん」道。その長く険しい道も、このところ、ほんの少し終着点の予想が見え始めてきた。下の娘がなんとなく一人でやっていけそうという目処が立つあたりまでは私は生きていた方がやっぱりいいだろう。あと6年、8年、いや10年くらいだろうか。 娘が母親の洋服ダンスから無断であれこれ持ち出してはこっそりおめかししたりしていることを私はちゃんと知っている。しかし「知っている」と思っているのは実は私だけかもしれない。これから少しずつ「ママにはいえないこと」も増えていくことだろう。一生オンナ路線で行くもよし。早々と一抜けするもよし。少女と女の真ん中へんにいて、ときにあっちへ転び、こっちへ転んでいる現在の彼女が、果たしてどんな大人の女性となっていくのか。なんにせよ、秘密をたくさん作ってくれるといい。親にいえないことをいろいろやったり思ったり考えたりすればいい。私はそんな娘に向けて、これからも心の中でせっせとパン・オー・ショコラを買い続けるのだ。 夢からはじまって、そしてまた夢へと戻っていく。私にとっての親子関係とは、結局そうしたものだと思う。縁あって私のもとへとやってきた彼らが、また夢の中へと消えていく。その日がさほど遠くないことを予感しつつ、ご縁というものの不思議を思う。 パン・オー・ショコラ、せっかくなら二つ買えばよかった。もう何年も食べていないあの子供っぽいパン菓子を、久しぶりにちょっとお行儀悪くむしゃむしゃとかじってみたくなった。
by michikonagasaka
| 2013-03-14 01:07
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