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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 03月 16日
![]() 共有してくれそうな人はほとんどいないだろうから、これまでこのことを口外したことがなかったのだが、実は私には一人、マイ・ヒロインと呼べる女性がいる。その名をハンナ・アーレントという。 ユダヤ系ドイツ人の哲学者、思想家にして、若かりし頃はかのマルティン・ハイデッガー(既婚)の恋人だった時期もあり、ハイデッガーへの傾倒から哲学に没頭。後にナチスの迫害を逃れて夫と共にニューヨークへ移住、大戦後のイスラエルにおける有名なアイヒマン裁判を傍聴し、それをもとに「悪の陳腐さ」という革命的著作を発表。シオニスト運動にも関わったが、イスラエルの土地を「自分たちに権利のある土地」とする思想については最初から疑問を呈していた。 私がハンナ・アーレントを尊敬するようになった最初のきっかけは、このシオニスト運動に関わる彼女の態度にものすごく共感したことだった。ユダヤ人でありながら、イスラエル国家建国の建前となるこのいわば神聖なる前提に疑問を呈し、それを声に出して問題提起するその類稀なる勇気、いや、勇気といってもそれは倫理的な意味での勇気ではなく、知的活動における真の勇敢さということなのだが、その部分にとても心打たれたというのがその理由。 と、そんなわけで、その名もずばり「ハンナ・アーレント」という映画が封切りされると知った段階で、これはぜひとも観なければ、と心に決めていたのだが、それが本日、めでたく実現したのだった。 チューリッヒには、大衆向けハリウッド(またはボリウッド)映画でなく、ちょっと通好み、ちょっと芸術性の高い系統の映画ばかりをかけるアートハウスという映画館があるのだが、この映画も当然、ここで上映された。いくつかあるアートハウスのうち、おそらくはもっとも小さな劇場での上映(多く見積もっても50席未満)。まるでホームシアターに毛がはえたようなこのサイズが、いつものことながらまずは好ましい。その上、通常は映画のど真ん中で(たとえそれが会話の途中であったとしても)スッパリと分断し、休憩時間を入れるというチューリッヒの実に悪しき習慣が本日は例外的に実践されなかったこともとてもよかった。 ![]() さて、その映画Hannah Arendt。 これは上で触れたアイヒマン裁判の一件をテーマに、彼女の思想、その思想の根っこにある「考えるという、この人間に与えられた力への信頼」を描いた映画というふうにいってしまっていいと思う。過去の回想の中で、師であるハイデッガーが女子学生ハンナに「考えることは孤独なことである」という台詞を吐く場面が出てくるのだが、それをハンナは師を大きく越える形で、生涯にわたり身を以て実践した女性だった(というのも、師であるハイデッガー自身が、ナチスの思想的な支持者となっていくことが、ユダヤ人であったハンナとの思想上、さらには恋愛上の訣別に至るという背景があったから)。 ニューヨークの大学で教鞭をとるハンナに、雑誌「ニューヨーカー」からアイヒマン裁判について原稿を書かないかという依頼がきて、それを受ける形でハンナはイスラエルに飛び、裁判を傍聴。膨大な資料を持ち帰って、幾夜も眠れぬ晩を過ごしながら、アイヒマンという、この凡庸な市民が、いかに「考える人間であること」をやめ、ただ「指示に忠実に従うだけのマシーン」としてこの人類史上類稀なる大罪に関与するに至ったかということを考えに考える。アイヒマンを糾弾することで、そこに「究極の悪」をみよう、そしてその悪そのものを糾弾しようという方向に裁判も、また世間も疑いなく進んでいく。そういううねりに「待った」をかけ、アイヒマンという個人の凡庸さそれ自体は究極の悪などというものではない。むしろ、ユダヤ人のエリートの中に、思考停止という状態に陥ることなくナチスのコラボ側についた者がいた、というアキレス腱的な痛みのほうこそが悪であるというようなことを、戦後のこの時期、一ユダヤ人として発言するわけだから、それに対する風当たりの強さは実に半端なんてものではなかった。 反感や嫌悪、激しいバッシング。そういう逆風の中を、一人、考える力だけを頼りに立ち尽くす知的誠実さと勇敢、そしてそこから立ちのぼってくる思索そのものの明晰さ、力強さ。人間としても、また女性としても非常に魅力的で(若い頃はかなり美人だったらしい)、深い情愛にあふれるこの哲学者の孤独と勇気。それがニューヨークのインテリや志ある編集者、イスラエルの旧友、熱意あふれるハンナ・ファンの学生たち、そして彼女の周りのそれぞれに魅力的でハンナを敬愛する男性たち、親友、かつ同僚である美人で聡明なアメリカ人女性といった人々との関わりを背景にしながら、英語とドイツ語、ヘブライ語でたっぷりと、精緻に、力強く描写される。 私の長年のヒロインだった女性がこんなに深く巧みな仕方で映像上で描かれていたことが私にはとても嬉しく、また、彼女の台詞を通し、その思考の屋台骨に触れることができたこと、あの時代のニューヨーク・インテリ界における一ヨーロッパ人の位置づけとか印象といったことも鮮やかにイメージできたこと、そしてこれまでにも幾度か目にしたことのあるアイヒマン裁判の映像そのものが、非常に生きる形で映画内に混ぜ込まれていたこと・・・・などなど、感動の理由を挙げればきりがない。 学生時代に私が在籍していた京大哲学科というところには、熱烈なハイデッガー信奉の教授や学生がたくさんいた。そもそもハイデッガーの思想自体は私にはなんだかとても難しくてよくわからなかったわけだけれど、そんなハイデッガーを神格化してドグマ化して絶対視することに嬉々として専心している周りの人々というのも、これまた少々、気味の悪いものに思われたものだった。彼らの口からハンナ・アーレントの名を聞いた記憶は一度もない。その名を私が知ったのは、もう少し年月がたって、まったくの自己流であれこれ本を読み散らかしている中でのことだった。そしてそのとき、私は単純に思ったのだ。なんだ、ハイデッガーなんかより、こっちのほうがよっぽどかっこいいじゃないの、と。 考えることの孤独、考えるというこの人間に与えられた力への信頼。それを私はハンナ・アーレントからこっそり教わって、そのことを誰にも口外することなく、よっしゃ、これでいこう、と人生のある段階で決めた。分かち合う人がたとえ1人もいなくても、やっぱり私は自分のあまり冴えない頭で考え続けていこうと思うのだ。つるむ人がいないのは寂しいけれど、でもそれでもいいや、と思う。とはいえ万が一、共感してくれる人が1人でも2人でもいれば、やっぱりそのことは飛び上がるほど嬉しいに違いなく、そうでしょ、そうでしょ、そう思うでしょ、と、私は子犬のように引きちぎれんばかりにシッポをふってしまうだろうけれど。
by michikonagasaka
| 2013-03-16 10:05
| 考えずにはいられない
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