序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 04月 05日
一年前に亡くなった父の書庫を、この度の帰国中に探検してみた。地下の専用の一室、二階の仕事部屋と寝室とにまたがった、その膨大な蔵書は、父が逝った日そのままの状態で、ただ静かにそこに並び、積まれて、置かれていた。埃をかぶり、誰にも触れられず、それらの書物はこの一年間、父の影のようにしてひとり暮らしの母のもとにとどまり続けていた。 哲学の本が無数にある。英語やドイツ語の本も数えきれないほどある。 その上、フランス語の本はデカルトからモンテスキュー、ルソーにシャルル・ペギー、ボードレールまで、これまた大量にある(彼がどれほどフランス語をちゃんと読める人であったかは娘の私にはわからない)。そうかと思えば日本の古典が山ほどあって、日本史や世界史の本もどっさりとある。 もちろん父の専門だった物理や科学哲学の本は書架一面を埋め尽くしていたし、宗教関係の本も豊富にあった。 音楽、美術、それに世界遺産や建築、仏像や焼き物、工芸一般にいたるまで、そのあまりの裾野の広さ、父の興味関心の広さには、娘ながら舌を巻く。中には(楽譜も読めないくせして)なぜかせっせと買い集めていた室内楽や交響曲のスコアなども見当たり、この人はいってみれば大正のレオナルド・ダビンチか、と思わせる博覧強記ぶりである。 むろん彼は読書家であると同時に、愛書家でもあった。ビブリオファイル、つまり、本というモノを偏愛する人であり、ツケでどんどん買ってしまう、どうせ買うなら全集を買ってしまう、いつか読もうと原書を集めてしまう、古本屋を徘徊してはなんだかんだ見つけてくる、と、そのような人でもあった。 年に二回のボーナス時にいっせいに本屋から送られてくる請求書を、だから母はいつもびくびくして恐れていた。大家族を切り盛りして行かなければいけないのに、本代でボーナスが消えてしまっては大変なことになるからだ。 母が恐れていたように家族が破産して崩壊するというようなことは、だが幸いにして忌避され、こうして家はそのまま残り、大量の本もそのまま残り、そして6人の子供たちはそれぞれに仕事や家族をもって世界のあちこちでちゃんと生きている。 小学生だった私は、丸善で父の名を語り、本のつけ買いをするという甘美な味をすでにしめていた。その頃、そうして買った本の中にはガガーリンの「地球は青かった」とか、サンテグジュベリの「人間の土地」、シュタイナーの「飛ぶ教室」なんかがあった。空や宇宙にでも憧れていたんだろうか。父や弟たちが愛読していた「坂の上の雲」の系譜の時代小説に私はほとんど関心を示さず、もっぱら洋モノに向かっていた。英語のひとことも知らないくせに、西洋かぶれの兆しがすでにあった、ともいえるかもしれない。 今回の探検の成果として、私は小林秀雄の著作を数冊、方丈記と万葉集(これは斎藤茂吉の選と訳によるもの)、それにシューベルトの鱒のピアノ五重奏のスコアなどをスイスに持ち帰ることにした。思いがけない形見をもらったようで、また持ち帰った本を読みながら父と話ができるような予感もあって、なにかほのぼのと嬉しい。春爛漫の日本で、こうしたほのぼの感を得られたこと、これもまた父の采配だったりするだろうか。 午後の数時間、あまりに膨大な活字の大海にのまれ、いまさら文字を綴る気にはなれない。だから今回は下手な写真でごまかした。そのことを最後に告白。
by michikonagasaka
| 2013-04-05 16:47
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