序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 04月 10日
東北地方を襲ったあの大震災のあと、国外に住む同胞の多くがチャリティコンサートで耳にした「ふるさと」の歌に涙した。普段はすっかりその土地に同化して、今さら祖国へのセンチメンタルな感傷などを微塵も見せぬような人であっても、あの極限状況においては軒並み「ふるさと」に反応した。自分のものをも含めた、こうした意外な心の動きというものに、以来、私はかなり敏感になり、なにが、どんな状況が、人々の中に望郷の念を呼び覚ますか、ということをぼんやり思い続けてきた。 それは無防備なときに突如としてやってくる。逆にいうならば、さあ、これから望郷モードに入りますよ、と心の準備をしていたところで、こちらが期待するように心は動かないことが多い。 二週間の帰国を終えてスイスに戻る機内、やはり完全無防備な状態でいたところへ「それ」はやってきた。そしてそのことに私は大変驚き、驚きのあまり思わず写真を撮ってしまった。 離陸後一時間ほどして供された昼食時、CA(キャビンアテンダント)の男性が乗客にパンを配りに廻ってきた。カゴの中には数種類のパンが並んでいたが、私は迷うことなくもっとも色の濃いのを一ついただいた。日本の白くてふわふわのパンは、もちろんそれはそれとして美味しいのだけれど、普段、スイスでしょっちゅう口にしている素朴できめの粗いパンを、心と体が急に欲したからだった。 「バターはいかがですか?」と促されてパンかごの隣をみると、そこには縦長のトレイに一人前パッケージのバターが、将棋倒しの駒みたいにきれいに一列に並んでいた。 「じゃあ、一ついただきましょう」 そうして私はバターも一つ、いただいた。 まさに「その瞬間」だったのだ、あふれる望郷の思いが涌き起こったのは。 望郷、といっても、この場合はもちろん「スイス」に対する想い。食材や料理の選択肢が無限に広がる日本と違い、スイスではスーパーは二つの巨大チェーンがほぼモノポリ状態で全国展開されており、そこで買える商品のバラエティは実に小さく限られたもの。だからたとえばバター一つとっても、ほんの数種類しかないのであって、つまりはどこのレストランもどこの家庭も、使用するバターはほぼ一緒、という結果になる。それはまるで金太郎飴を切っても切っても同じ模様が出てくるあの感じとそっくりで、その「選択肢の乏しさ」を、日頃私はどちらかというと「かこつ」立場で暮らしているのである。 さらにいうならば、私はスイスのバターというのが実はあんまり好きじゃない。撹拌され過ぎというか、妙に空気が多く、ふわっとし過ぎていて、私の好みからいえば淡白すぎるから。そんなわけで、隣国フランスやドイツに行く機会があれば、密輸入人よろしくフランスのバターをごっそり買い入れてくる。日本ならちょっとしたスーパーですらエシレのバターくらい売っているご時世だけれど、スイスは国の農産品保護のためにバターの輸入を禁じており、国内ではスイス産バターしか買えないからだ(だから「密輸入人」という言葉を使ったわけなのだが)。 さて、スイス航空の機内で供されたバターは、当然のようにどこの店にも売っていて、大半のレストランやホテルで使われているメジャー中のメジャー、かのFLORALPのものだった。100万回くらい目にしているこのブルーのロゴにエーデルワイスの花※。そして控えめに添えられている「国産」を保証するスイス国旗のマーク。蓋を開ける前からすでに完全に味の予想、テキスチャーの予想が可能な、このお馴染みすぎるほどお馴染みのバター、けれど自分からは滅多に口にすることのないバターを目にしたとき、私の心の中にはある思いがけない作用がもたらされた。そしてそれは「ああ、スイス。おうちに帰ってきた。どうとうおうちに帰ってきた!」という懐かしさと安堵の力強い感傷に直結し、そのことが私を大いに驚かせたたのだった。 ある友人が数日前、フェイスブックに桜の写真をアップして、「なぜかこの桜の光景というヤツには人を右傾化させるものがある」というようなコメントを添えていた。膝を打った私は瞬間反応して、たまたまその桜の時期に日本に滞在していた自分自身の「不本意ながらの右傾化心理」について小さなコメントを書いた。そう、桜がジャパニーズマジョリティに訴えかける(ある意味、わかりやすい)望郷トリガーだとしたら、FLORALPバターは、スイスバターを好まない外国人移民の私個人に直球勝負をかけてきたダークホース的望郷トリガーだ。 まさか「私のスイス」が、こんなところに潜んでいただなんて誰が想像できただろう。100万回、目にして、そのたびにその存在を無視してきたスイスバター。それを素朴な雑穀パンにたっぷり塗って、う〜ん、確かにこれは淡白だ、コクがないと思いつつもなんだか胸躍る気持ちで味わったチューリッヒ行き便の機内時間。 ここ数日雨模様だったらしいスイスで、私の帰国に合わせ雨乞いならぬお天道様乞いの舞いを全霊込めて踊ってくれていたはずの友人たち。その必死の念が天に通じたのか、到着時のチューリッヒは思ったよりもずっと暖かく、お日様が柔らかくあたりを包む春うららの陽気。 毎回、この町に戻ってくるたびに、ほんのわずかずつながら「スイスへの愛着」らしき感情が育ってくることを実感する。そういえば、数年前、まだ私の中のスイス腰掛け度の感情が圧倒的に勝っていたあの頃、やはりこうして機内の人となった時間にiPodのイヤホンから聞こえてきたバッハのアリアに、ああ、帰ってきた、という強い実感を抱いたことを思い出す。バッハとスイスは直接関係ないけれど、メゾソプラノで浪々と歌われるドイツ語が、その言語圏的、文化的地続き感をもたらしたことは確かだった。そう、そんなふうにして、バッハのアリアやスイスのバターや友人のお天道様乞い踊りに手助けされ、私は少しずつこの土地に馴染んできた。 一目惚れして盲目の恋に落ちるタイプの相手でなかったから、この国への愛着を育てるのにこんなに長く時間がかかっているのだ。盲目の恋と、生涯かけてじわじわ育つ愛。どっちがいいんだろうか。それはやっぱり私にはわからないけれど。 ※エーデルワイスだとばかり信じ込んでいたところ、友人からの指摘でそれはリンドウの花だったことが判明。私のスイス知識がいかに生半可だったかということがはからずも露呈してしまいました。謹んで訂正させていただきます。
by michikonagasaka
| 2013-04-10 13:34
| 身辺雑記
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