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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 04月 30日
![]() 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(村上春樹)という本を読んだ。なにしろ相手が小澤征爾さんなわけだから、話(村上春樹が小澤さんにインタビューするという体裁)の大半はシンフォニーがらみで、マーラーの何番がなんとか、◯◯が振った〇〇フィルの◯◯年の録音、というような表現が山のように出てくる。 シンフォニーというものをあまり聞かないせいもあって、誰それがどこそこのオケと◯◯年に録音したもの、などといわれてもまったくノーアイデアだから、そういう箇所は軽く読み飛ばしていたのだが、この本の中で意外に面白かったのが、各章の間に挿入されている「インターリュード」の部分。 その一つ、「文章と音楽の関係」というインターリュードは個人的にもうん、うん、そうだね、と相づちを打ちたい箇所がいくつかあって、ことの外楽しかった。 村上氏、いわく 「(文章で)いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・・。」 「言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせ、パラグラフの組み合わせ、硬軟・軽重の組み合わせ、均衡と不均衡の組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てきます。・・・・耳が良くないと、これができないんです」 まあ、その通りだなあと思う。そう同意した上で、私だったらここでリズムという言葉の替わりに、アーティキュレーションという言葉を使いたいかな、という感想も。 音楽でいうアーティキュレーションというのは、強弱とか間とか、どこで切るとか(これが弦楽器だと弓使いが大きく物をいう)というようなことを通じて、旋律がずずーっとつながっていくところに、意味ある区切りをつけて脈絡をつけること・・・・というように素人考えで私は適当に理解しているが、これとそっくりなことが文章についてもいえる、と思うからだ。 それはたぶん、どの言語で書かれた文章であっても共通することなのであろう。けれど、漢字かな混じりの日本語においては、単なる「リズム」(つまり聴覚的な要素)であるにとどまらず、そこに視覚的な要素もたっぷりと加わってくる。 ある文章のどの部分を漢字にして、どの部分をひらがな、またはカタカナにするか。漢字にするにしても、いくつかチョイスがある場合、さて、どの字を使うか。そうして一つ一つ念入りに吟味して選んだ漢字とかなの混合の中で、さらには句点と読点をどのように入れるか。行替えをどこでするか。括弧や鍵括弧、その他の記号をどう使うか。接続詞を使うのか使わないのか。使うのなら、ほぼ同義のものの中からどれを選ぶのか。 そういうことの一つ一つが、ある視覚的効果につながる。日本語の読み手は、文章をただ上から下へ、あるいは左から右へと一直線上に読むのではなく、漢字とかなと句読点と記号の混じったひとつの固まりを俯瞰的に一気に視覚の中に置きつつ、同時に上から下、左から右という直線もたどっていく。あるいは、目の端で「先」を文字通り「先取り」しつつ、そこへ向かっていくという感覚を内包した状態で「現在地点」の文字面を追う。そうした複眼的な読み方を、誰に教わるでもなく、ごく自然にやっているものだ(と思うけど、そうじゃない人もいるのだろうか?)。 異なるレベルにおいて幾重にも効果を発揮しうる日本語の書き言葉、それはグラフィックとしての文章の(私の知りうる限りの)最高峰。そしてそうであればこそなおのこと、アーティキュレーションが生きてくる。 音楽におけるアーティキュレーションを、「ああ、こういうふうにやってるな」と、奏者の意図まで感じられる聞き手もいれば、そういうところには気づかないけれど、でもなんだかこの演奏、ピンと来るというような仕方で、その効果を体感する聞き手もいる。 文章についてもまったく同じで、いわゆる「乗りのいい文章」というのは、たいがいアーティキュレーションが意図的によく仕組まれている文章である。たとえ、読者の90パーセントは何も気づかず読み飛ばすだけであったとしても、そういう読者をして「なんとなく好きなんだよね、この人の文章」と感じさせるには、内容だけで勝負ではやはり心もとない。 漢字が多い文章は、どこか息継ぎがしにくいところがある。いや、逆に、ひとつひとつの漢字が、砂地に置かれた固い石のごとく、なにかつっかえる感じをもたらす、ということもいえる。確信犯的にそういう効果を狙うということは十分に考えられるし、逆に、わざと仮名を多用して、アーティキュレーションの度合いを敢えて薄めてやる(つまり読みにくくしてやる)こともできる。散文はいうまでもなく、詩や和歌、はては広告のキャッチコピー、記事のタイトルや小見出しにいたるまで、このグラフィック効果を抜きにしてその善し悪しを語ることは到底不可能だ。 ドイツ語圏では、レーズング(Lesung)といって、作家が自作を朗読して聞かせるという企画が非常に一般的である。英語圏では、e-book登場のはるか前から、オーディオブックというものが盛んで、読者はリスナーとして「読むならぬ聞く」ことで本に対峙する。そういうことが日本語であまり波及しないことの背景に、日本語書き言葉のこのグラフィックの要素が大きいことがあるのではないか。 村上春樹氏の件の本の題名は、横書きで 小澤征爾さんと、 音楽について 話をする となっている。著者のものか、装丁者のものかはわからないけれど、ともかく非常に意図的だ。各行、頭のほうに漢字をもっていき、しかもその数を4、2、1と逆ピラミッドのように減少させている。各行、後半のひらがな部分は、すっと力が抜けていて、弦楽器でいうところのハーモニック(倍音)の音を彷彿とさせる。そして一行目最後の読点(、)。ここで息継ぎをする感じ。 というわけで、この本の中でもっとも気に入ったのは、もしかしたら「タイトル」だった、 ・・・・・・・かもしれない。 余談ーーー村上春樹氏というのは、これ、昔からずっと思っていたことだし、一部、斎藤美奈子の受け売りでもあるのだが、なんというか非常に「男の子的」な人であり、作家である、ということを今回もまた痛感した。音楽愛好家としてのそのあり方が、このようにレコードやCDの蒐集、およびその偏執的な聴き方、膨大なデータの頭脳内記録と整理整頓、というマニアックな方向を向いていること。よく男の人で、音響システムに異様に凝る人がいるけれど、それに通じるマニアック的な嗜好スタイルをたっぷりと披露してくださっている。私は自分が女だからか、あるいは単に凝り性でなくて淡白な人間だからか、どうもこのあたりがよくわからない。誤解を恐れずにいうならば、こういうマニアックな性向はどこかアスペルガー的というか自閉症的ということをいつも思う。そう、村上春樹氏は、どこか自閉症的な認識とか世界観を持ち合わせている人。対する小澤征爾さんは、この対談からお見受けする限り、そういう傾向がとても薄い人。その部分の「男の子」っぽさが淡い人。(スコアを読み込む勉強をしていくあたりの凝り性ぶりは、レコード集めの凝り性とは、決定的に性格の違うものだと思う。それはもっとデモーニッシュ的な、なにかが憑依するような・・・。)
by michikonagasaka
| 2013-04-30 13:41
| 本
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