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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 06月 13日
![]() 大昔のこと、中世哲学という一風変わったものを勉強していた私が属していた京都の大学のその学科の教授は、山田晶という人だった。 左右シメトリックで、子供のお絵描きみたいな名前だなあ、というような不届きなことを、当時の私はこっそり思ったりしていたのだが、何を隠そう、この先生、多大なる学問的業績とか、その分野における不動のポジションといったようなものからは想像のつかない、実に子供のお絵描きみたいなお方でもあられた。 少しうつむき加減にとぼとぼと歩くその姿勢。白い髪がふわふわと、まるで産毛のように揺れる頭部。上目遣いにこちらに向けられたその目は、これがエラい先生のものとは到底信じられない、自信のなさそうな、ちろちろと動き続ける小さな瞳だった。 当時、なんでもお一人で暮らしている、というふうなことをどこかで聞いた。その前は、年老いたお母様と暮らしてらした、ということもどこかで聞いた。さらにその前は、どうもいろいろなことがあったらしい、というようなことも、これは実際に聞いたのだったか、それとも私の想像だったのか、今となっては記憶も定かではない。 その山田先生が、研究室の暗がりである日、一介の学部生に過ぎない(というのも、学生の9割以上は大学院生だった)私に、小さな詩集をくださった。 そういうことは、私がその学部に在籍していた二年間の間にたった一度だけあって、そして私が大学を卒業して東京の出版社で働いていたときにもう一度、あった。二回目は、どうやって住所を調べていただいたのか、あるいは私が当時はまだまめに年賀状などを差し上げていたものだったのか、ともかく私のマンション宛に、二冊目の詩集を送り届けてくださったのだった。結果、私は先生の著した二冊の詩集を二冊とも頂戴するというもったいなさ過ぎる栄誉に浴したのであった。 その中の一冊(二冊目のほう)「朝と夕の歌」の中に「御池ホテル」と題したこんな一篇がある。 御池ホテル あのことのあとで 二人はぐっすりと眠った あけがたに眼をさまし ホテル代を払って 二人は腕を組んで外に出た 町はまだ暗く ちろちろと流れる小川の上に ネオンが写って揺れている この次に会えるのはいつの日だろうか 私はしっかりと彼の腕にすがる けれども彼はどうしたのだろう 片方の手をポケットにつっこみ うなだれた頭を外套に埋め しょぼしょぼとでもいいたいような足取りで 靴の先ばかりを見つめながら 黙りこくって歩いてゆく まだ薄暗い街路の上に ゆうべ捨てられた白い紙屑が 風に吹かれて舞っている (「朝と夕の歌」 山田晶 新地書房) 山田先生は、当時、確か宇治のほうにお住まいで、毎朝、京阪電鉄の始発に乗って、終着駅三条京阪からは鴨川沿いをてくてく歩いて左京区にある大学まで通ってこられた。誰もいない早朝のキャンパスをまっすぐ研究室に向かい、そこでずっと勉強。授業のあるときだけ、研究室(=天界)から教室や演習室(=下界)に降りてこられ、それはそれはもの静かに、けれど情熱を込めて講義や演習をなさった。お昼は決まって学食で。その後もまた研究室で勉強。そして早い夕食は、キャンパス近くの決まった喫茶店で毎日決まってカレーライスを召し上がっていた。 そのようなライフスタイルの方であるから、当然のことながら、先生は伝説の人として人の口の端にのぼり、大いなる畏敬の念と、そうしてもしかしたら、「あの人は変人だ」という認識と共に周りの人からみられていた(と思う)。20歳そこそこの女学生に、そんな先生は、浮き世の煩わしさを遠く超越した、静かでゆるぎない悟りを開いた仙人のようにみえたものだった。 仙人であられる先生が、たとえばこの「御池ホテル」というような詩を、いったいどうやってお書きになったのだろうか、ということを、あれから30年たった今頃になって、私は思っている。仙人であられる先生が、しかもここでは「私」という女になっている。男の腕に自分の腕をからませながら、男の心変わりに胸をえぐられる思いでいる、一人の切ない女になっている。 大正10年生まれの先生はもうこの世にはいらっしゃらない。あのときお尋ねする術もなかったことどもを、あのときの先生の年齢にようやっと近づきつつある現在の私であれば、もしかしたらお尋ねすることもできたかもしれないけれど、もはやそれもかなわない。齢を重ねなければわからないことはこの世に無数にあって、そしてわかったと思った頃には、いろいろなことがもはや手遅れなのである。 重苦しい出来事が続くような日々、私は山田先生の詩集を手にとる。 先生、あのときの私にはピンと来なかったことが、今の私には痛いほど胸に刺さるんですよ。 師弟の関係を越えて、もしかしたらいい友だちになれたかもしれない人だった、というようなことを思い、亡き師を惜しみ、我が身の未熟を悔いる、初夏の夜。そう、やっとのこと初夏らしい日差しを見た、スイス、今年最初の初夏の一日を終えた晩。
by michikonagasaka
| 2013-06-13 06:18
| 本
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