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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 08月 17日
![]() 8月前半の一週間あまり、とあるプレスツアーに参加してオーストラリアまで出掛けてきた。 プレスツアーといっても今回のそれはきわめて小規模なもので、日本からは私を含めてジャーナリスト2人、中国から3人、そしてオーストラリアから1人、それに企業側のプレスがNY本社から1人、日本から1人、中国から1人。合計わずか8人という小所帯。その8人が8日間、寝ている時間以外の一日の多くの時間を共有し、食事も移動も見学も共にしていれば、自ずとそこには一種のケミストリーが作用し、おそらくはメンバーがみな揃って「いい人」だったということも大いに手伝って、最終日が近づく頃には不思議な一体感を覚えるに至ったものだった。 さて、そのプレスツアーの行程中、私にはずっと気になっていた「あること」があった。ツアー本来の趣旨とはまったく関係ない「そのこと」を、けれど私は口に出すことなくずっと胸に秘めたまま、かなりな強行軍でもあった日程をこなし、大いに感心したり感動したり、また大笑いしたり、よく食べよく飲んだりしながらいよいよ迎えた最終日。明日は各自、それぞれの飛行機で自分の場所へと帰って行くというその最後の晩餐の席で、私は相変わらずくよくよと「そのこと」を思い続けていた。 宴もたけなわになった頃、チャイナチームのプレスのBさんが、私たちの席のほうにやってきて、いつものBさんらしく明るくおおらかに「本当に楽しかったわねえ。また会えるといいわねえ」などと話し始めた。これは与えられた機会だ、とそのとき私は思い定め、そうして彼女に問うたのだった(*ちなみにBさんは子供の頃にカナダに移民。以来、国籍はカナダ人だが、中国語(マンダリン)と英語のバイリンガルである)。 あのね、私、ずっと気になっていたのだけれど、私の国とあなた方の国との間には、例の島の問題をはじめ、いろいろあるわけじゃない。でも私たちが知りうるのはマスメディアを通した情報でしかなくて、それで私、本当のところは中国の人たちってどう思ってるんだろうっていうことをね、とても知りたいわけなの。 Bさん、目をまん丸くしたかと思うと、ポンと私の肩をたたき、 「それなら私たちの席にワイングラスもっておいでよ。みんなにそのこと、直接きけばいいのよ」 といってくれるではないか。 実はこのBさんは何しろ英語ネイティブのようなものだから問題はないのだが、他のジャーナリスト三人は英語がすごおく上手というわけではなく、そのせいも多少はあってか、ツアー中、なんだか揃って大人しく控えめ。日本人チームのほうが100倍やかましく、そしてあれこれ質問なども活発で、「日本人=大人しい vs 中国人=積極的」というあの公式は完全に逆転してしまったのかのよう。あのもの静かな彼らに一体どこまで私の真意が伝わるものやら、という若干の不安をかかえたまま、機を見計らってそれでも私は彼らの座っているところへ、オーストラリア産シラーズの赤ワインが並々注がれたグラスを手に移動してみたのだった。 ゆっくりゆっくり、一言一言はっきりと発音することを心がけたせいか、いや、そもそも彼らは案外英語がわかる人たちだったのか、ともかく私の意図ははっきりと彼らに伝わっているという実感があった。私はまず尖閣諸島のことについて、その後、中国内で起きた(と報道されている)反日暴動などのことについて、次いで先の戦争のことについて話し、そして単刀直入に尋ねた。 「あなたたちは率直なところ、こういう事柄について個人的にどのように感じたり考えたりしているのでしょう」 と。 そしてこう付け加えた。 「それがどんなお答えであっても私はちっとも構わないのです。報道される言葉ではなく、1人の人間の生の声というものを聞いてみたいだけなのですから」 彼らがその夜、ときに英単語が思い浮かばずにBさんに助けを求めたりということを差し挟みながらも、思いのほか雄弁に真摯に答えてくれたこと。その内容、そしてその態度そのものに私は実は、すっかり感動してしまったのだった。 曰く 「島の問題に関しては、あれは両国のメンツ、そして経済的な思惑が関わってきている大変デリケートなものなのであって、だからおそらく、これまで通り、暗黙の了解という線を貫き続けていた方がよかったのではないかと思う」 「戦争について。私たちはその当時の日本軍や日本政府というものと、日本人というものとはまったく別物ととして切り離して考えています。私たちだって同じことです。中国政府、中国軍部、それは私たち個人個人とはまったく別物で、中国政府がひどいことをした事実、それは私たちも知っているけれど、それと一人一人の中国人とは、残念ながら、いや、幸いにして別物なのです」 「反日の激しい動きについて。あれはね、中国人全体を代表する物ではまったくない。ごく一部の、まあこう断言してもいいとは思うけれど、不幸にして高い教育などを受けることのなかった人々の無知のなせる技であって、それを私たちは残念に思っている」 その後、少しリラックスして、私たちは中国の歴史のこと、話は中国史上三代美女から孫悟空、老酒から一人っ子政策に至るまで、それはそれはパノラミックに展開して、私は終始、悦びと驚きを抑えることができなかったのであるが、ただ一点、ちょっと残念に思ったこと。それはたとえば私が殷王朝とか春秋戦国時代、宦官制度、楊貴妃や孫文、白楽天なんていうことを、たとえ薄っぺらの知識に過ぎないとはいえ一応「知っている」のに対し、彼らの誰1人として遣唐使を知らず、万葉集を知らず、漢文という素養がかつて日本人の知識人には共有されていたという事実も知らず、というその、きわめて一方通行的な「互いに関する知識」の差ということであった。 高等教育を受け、お行儀もよく、思慮深さをも感じさせる彼らは、日本に反感などちっとも抱いていないけれど、でも日本のことは実際、先の戦争以降のことしか知らないのだなあという認識は、かの国の、ひるがえって我が国をも含めた「教育」というものの威力、その功罪ということを考えさせずにはおかなかった。 楽しく友好的なおしゃべりの後、もう一度、「カンペイ」と杯を合わせ、再び自分の席に戻った私に、向かいに座っていたニューヨークの彼が「で、どうだった?」と尋ねた。ことの顛末を簡単に話して聞かせると、彼と、その隣のオーストラリア人のジャーナリストの女性が、Well done, Michiko! と私の勇気(?)を温かくねぎらってくれるのだった。そして両隣のジャパンチームの旅仲間たちも「すごい、よくぞ思い切って聞いてくれた!」と一緒に喜んでくれるのだった。 テーブルの隣人も、世界地図上の隣人も、なんだかみんないい感じで心が通じた。そんな実感を抱いたその夜のこと。人生初のオーストラリア大陸で、そのような一夜を持てたことを、私はやはり幸せな経験だった、と思うのだ。
by michikonagasaka
| 2013-08-17 13:40
| 考えずにはいられない
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