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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2013年 11月 28日
![]() 麺類の中で何が一等好きかといって、蕎麦ほど好きなものはない。それはもうずいぶん前からずっとそうなのであって、そこには特にこれといった理由はない。日本の外で暮らすこと25年。いつしか、帰国第一食は「なるべく蕎麦」というのが習慣になっている。もりそば一人前とビール。それで短期間の日本滞在が晴れてスタートするのである。 あれはいつ頃のことだったか、30年来親しくしている渡辺雪三郎さんが当時、まだ元気はつらつだった奥様の三千子さんと共にパリにいらした折り、私のアパートにもお寄りくださった。そのときの「おみやげ」にいただいたのが、当時、日本で話題になっていた「一杯のかけそば」という絵本だった。その頃はフェイスブックはおろか、インターネットもなかったので、これが話題になっていた、ということすら、私は知らなかったのだけれど。 「こういうのね、普通は僕、わりと苦手なんだけどさ、これはさあ、なんか感動しちゃって」 ※ 実は、私も普通はこういうものはわりと苦手なのである。本屋さんに行くと、帯のところに「泣ける本」などと書いてある本が店頭に平積みになったりしているが、「泣ける」と見ただけで私はまずは回れ右をする。お手軽に泣いて感動してすっきりしよう、という魂胆が、どうもいかにも浅ましく薄っぺらな気がして、そしてその手の「感動」は一晩寝たら忘れてしまうようなことも多いということも経験上知っていて、そういうファストフードならぬ「ファスト感動」というプロダクトが、まったく性に合わないのである。感動はこちらから探しにいくものではない。いわんや「泣く」においてをや。それは何かの体験(実体験だけでなく、もちろん書物や芸術に触れる体験でも)を経た結果として、向こうからやってくるもの。これをこちらは謹んで受けるだけ。サプリメントのように、あるいは強壮ドリンクのように、「ちょっと体調(心の調子)悪い時、ちょっと疲れている時にくいっとあおる」みたいなことは絶対絶対邪道であると、そう信じているからである。 さて、前置きが長くなったのであるが、この「かけそば」はじゃあどうなのか。「ファスト(またはファースト)」と名のつくものすべてに懐疑的な渡辺雪三郎さんが「これはね、よかったんだよ」とおっしゃるだけのことはあって、実は何を隠そう、この私もこれにはただまっすぐに感動してしまったのだった。日暮れ時のパリのアパートで、当時はまだ自分の子どもも持たず、だから「母親的視点」というものはまったく持ち合わせなかった身ではあったが、それでも私はこのお話のお母さんにどこか感情移入をしながら、流れる涙を拭くこともせず、ただソファに腰掛けて呆然としていた。そんなことをまるで昨日のことのように覚えている。 蕎麦でも茹でるかな、と思っていた矢先、不思議な霊感の巡り合わせだかなんだか、この本のことをおそらく20年くらいぶりだかで思い出した。どこかにあったはず、と、書棚を探索したらば、あっという間にに発見。パリではなく、今回は晩秋の長細い夕日が差入るスイスの家の昼下がり、長い長いご無沙汰のあとにこのお話をもう一度、読んでみた。 「今年も北海亭のおそば食べれたね」 「来年も食べれるといいね・・・・・」 4ページ目にしてあっけらかんと登場した、この「ラ抜き言葉」で当然私はつまずいて、そこで大いに気はそがれたものの、まあいいか、目をつむろう、と再び気を取り直し、先を読んだ。 「あのとき・・・・一杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、忘れてはいけないと思います。・・・・・・兄弟、力を合わせ、母を守って行きます」 母の代わりに弟の授業参観に参加した中学生の兄が、「一杯のかけそば」と題した作文を、作者である弟がみんなの前で朗読してみせたあと、弟の級友たちに向けて一生懸命紡いだ挨拶の言葉。 三年間続けて大晦日の9時過ぎ、ひっそりと店に現れては「一杯のかけそば」(3年目は借金を無事返済して多少気が大きくなって「二杯のかけそば」)を注文し、それを仲良く分け合って食べて行った母子家庭の三人。その三人に「相手に負担にならない程度にこっそりと」おまけの半玉を加える店の主人と、そんな主人を見直す女将さん。 ものすごくベタな言い方をするならば、年越しに、貧乏でかけそば一杯しか注文できなくても仲良く幸せな親子というものがある。それを温かく見守る庶民の善意というものがある。そこのところにシンプルに私は感動したのだった。 20年前の私と、今の私が違う点はといえば、(身体上の若さの衰えという部分をおいておくならば)それは20年分の人生経験のあるなし、そこ一点である。そしてその20年分の人生経験の中には、数えきれないほど食べた帰国時のお蕎麦やら、移り住んだ世界の国々やら、やけ食いやら八つ当たりやら、失望やら喜びやら希望やら落胆やら、というものがぎっしり詰まっている。その間、この世に生まれてきた2人の子どもと過ごした年月というものも詰まっている。 そういう20年分のあれやこれやを身に蓄えた上で改めて再読した「一杯のかけそば」からは、この度、図らずも言葉では言い表せない「感動のうねり」が押し寄せてしまったのである。その感動には、イカやタコのように足がいっぱい生えていて、それぞれの足はそれぞれの個的な経験にリーチする。そこをちょんとつつき、ときには少し引っ掻き回したりもする。そうして掘り起こされた感情の断片がオーガニックに絡まって大きな感動のうねりを自分の中に巻き起こした。そうした心理的なプロセスをはっきり自覚している冷静な自分がいるにもかかわらず、もう一人の自分の方は、もはやはらはらと大泣きなのである。 たかが一杯のもり蕎麦(私のランチは、かけそばでなく「もり」なので)が、とんだ大げさなものに展開してしまった。あと数日で師走。スイスはすっかり寒くなって、一週間ほど前には初雪にも見舞われた。そろそろ過ぎし一年を振り返り、あれやこれやメランコリックになり始めるシーズンである。こうして、無病息災でいることがほとんど奇跡にも思われる。そういう年齢に自分はなっているのだと思う。 さああとひと月。 そう深呼吸をしようとするだけで、なんだか涙ぐむというのは、これ、一体、どういうことだろうか。ああなんだか訳もなく(いや、きっと訳はあるのであろう)、胸がいっぱいだ。
by michikonagasaka
| 2013-11-28 00:37
| 本
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