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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2014年 01月 15日
![]() 昨年末より約一ヶ月、同じ屋根の下で過ごした母を、先ほど空港まで送っていった。 母の来瑞は6年ぶり。前回は存命だった父と2人だったが、今回は母一人。この間、父の介護で「海外旅行どころじゃない」年月を過ごしてきた母にとって、父を伴わない旅を決行するにあたっては、それなりの逡巡や、あるいは「自由を謳歌すること」に対する罪悪感のようなものも心中に渦巻いていたであろうことは容易に想像がつく。そうであればこそ、なおのこと、「よく来てくださいました」との思いは強く、この一ヶ月ほど、実に多くの時間を、私は母と共有した。 18歳で家を出て以来、これほどの連続的時間を、これほどの密度で母と過ごしたことは、おそらく一度もなかった。そして私は、母という大昔からよく見知っているはずの人の、およそかつて認識したことのない側面を多々、発見した。 生まれ育った母子家庭の家から、大学卒業を待たずにそのまま父のもとに嫁いだ母は、人生で一人暮らしというものを経験したことがなかった。伴侶に先立たれ、人生初の一人暮らしをスタートしてからもうじき二年になる。当初はどうなることやら、と心配だったけれど、子どもたちの心配をよそに、母は淡々と、たくましく、忙しく、その一人暮らしを営んでいる。 それにしても・・・・・・・ 母がこれほど饒舌な人であったとは知らなかった。 母がこれほど社交性に富む人であるとも知らなかった。 私が知っている母は、いつも真面目で大人しくて優等生のような人だった。 なのに、その母が、共に訪れたイスラエルでの親戚の誕生パーティの席上、誘われるままベリーダンスを踊ったのである。それも思いのほか、楽しそうな笑顔をこぼしながら。 人生で一度も「定職」というものについたことのない人だったが、大学では物理学を専攻した。時代を考えればそれだけでも驚きなのだが、今回、共に暮らしながら、これが理系出身の女性というものなのか、という驚きが何度もあった。古都エルサレムを訪れたとき、ローマ時代の遺跡を訪れたとき、あるいはスイスのキッチンで何かをつくっているとき、孫と一緒に編み物をしているとき、そして覚えたてのiPadで、始めたばかりのフェイスブックと格闘しているとき・・・・。そんなときに彼女が口にする疑問や質問は、たとえば私だったらまず思い浮かばないようなこと、スルーしていたに違いないであろうことばかりなのである。 文系的人間(だと思う)である私は、そんな母の疑問の9割には当然、答えることができない。鉄砲玉のように次々と放たれる疑問に「さあ?」「よくわかんない」「どうなのかしら」というふうにしか答えられない。ということは、逆にいえば、彼女の興味関心の方向へはなかなか会話が発展していかないということでもある。 お腹を痛めて産んでもらった仲とはいえ、別個の個性であるということをつくづく思う。そして別個の個性であるけれども、やはりそこには共に暮らした年月があり、そうした年月だけがもたらしうる特別な親密感というものがある。 ずいぶん前のことだが、ある書物に寄稿した原稿の中で、私の母に対する想いを綴ったものがあったことを思い出した。少し長くなるが、その部分だけを下に引用しておく。別個の個性、それも強烈な個性の持ち主であることがこの度の共同生活で判明したその人に対し、私は深いリスペクトの気持ちを抱いている。いつまでも元気で好奇心旺盛でいて欲しいと思う。機中の母へ、bon voyage et merci! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ゲランという名を私が知ったのは、まだ自分ではお化粧もしたことのない時分のことだった。母の鏡台にあった香水瓶に記された"MITSOUKO"というアルファベット、それが私にとっての初ゲラン体験だったと思う。 私の母というのは大学で物理学を専攻し、愛読書は「赤毛のアン」と「暮らしの手帳」、尊敬する人はシュバイツァー博士というような女性である。普段はほとんど化粧っ気のない顏に、洋裁のお稽古に通って作り上げたワンピースなんかを着て、子どもたちにスイカを切り分けてくれるような、そんな女性である。その母とミツコのコンビネーションは、物心つくかつかぬ頃の私には、なにかとても不思議で、そしてちょっと不似合いなものに思われた。けれどまた、母がたまに薄化粧を施し、松坂屋で買ったフランス仕立てのスーツなどを着て、そして大事なミツコを耳の後ろに控えめにつけて、ちょっと改まった場に出かけていく姿は、娘にとってはやはり嬉しく心躍るものであるのも間違いなかった。 母には、母である以上に女であって欲しいーー。 女のなんたるかもわかっていなかった私が、深層心理の奥深いところで、そんな願望を抱いていたというのもまた妙なことだが、私の中のゲランを遡ると、結局はいつもそこに行き着く。「赤毛のアン」ではなくて、代わりに、そうたとえば「チャタレイ夫人の恋人」とかサガンあたりが密かな愛読書だったりしたら素敵だっただろうに・・・・。そんなもどかしくほろ苦い願望を胸にしまい込んだまま、私自身もいつしか親離れをして、そうして人並みに誰かを好きになったり嫌いになったりということを繰り返すようになった。 それにしてもなぜあの母がミツコだったのだろう・・・・・。 照れ臭さもあって、いまだにその問いを私は口に出すことができないでいるし、まあとりたてて答えを知らなくてもいいのかな、ともどこかで思っている。 (「美を旅するゲラン」より) 写真のウェディングドレス、およびスモーキングは、母の母(私の祖母)の手になるオートクチュール! その祖母は、「和裁の勉強なら許す」と言った両親に内緒で、こっそり「洋裁」の学校に入学許可を取り付け、意気揚々と上京。二日後には「何かと不便だから女中を2人ほど寄越してちょうだい」と実家に電報を打つようなお嬢さん育ちだったが、若くして夫を結核で失い未亡人に。裕福だった実家も農地改革で田畠や山の多くを手放すことになり、一転、明日をも知れぬ母子家庭の世帯主。着物やバイオリンや宝飾品を売りさばいては米代とし、そんな生活なのに、娘2人は私立ミッションスクールに入学させ、食べ物がないときは「モーツァルトを聞いてお腹を膨らましましょう」といってラジオをつけたという、そのような豪放磊落な女性だった。
by michikonagasaka
| 2014-01-15 22:08
| 身辺雑記
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