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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2014年 01月 23日
![]() 数日前のこと。この季節のチューリッヒには珍しいこぬか雨の一日。午前中から昼過ぎまで仕事をして、こんな天気だから外に出るのもおっくうで、仕事机に座ったまま、手近にあった本を開いた。少し前に、この欄でもご紹介した杉本秀太郎文粋の、その第三巻、「諸芸の論」。 例によってランダムにページをめくっていて、これはまさに僥倖というのだろうか、ほぼ立て続けに三篇、読み進めながら思わず座っている椅子からお尻が浮き上がるような、そうした高揚感を覚えた。 最初に開いたページにあったのが「鼬」という短い随筆。 群居することをせず、雌雄一対が共棲することもないなど、その生態が謎めいているイタチは、繁殖期の夏にかかると、一匹の雌をめぐって雄がひとところにむらがり、公然と追いかけ合いをしてキッキッと鋭い叫びを発する。いわゆる「イタチごっこ」の由来だが、昔の人は「鼬の火柱」と称してこれをおそれた、などということが綴られる。 突然、話は美人論に飛び、「目鼻が顏のまんなかにちんまり寄り集まっている」ような「イタチ顔」も「美人の標準規格がいっさい取り払われている」今なら不美人とは限らないけれど、昔はそうはいかなかった。「目は切れ長、くちもとは花のつぼみを思わせ、鼻梁が小気味好く高反りを見せていて面長」なのがかつては日本の美人だった、だからイタチ顔は「「鼬、眉目佳し」と逆ぼめしてやらないと、仇(あたん)するからおそろしい」と、杉本先生、なかなか手厳しい。 今も京都の町なかに生息しているそのイタチと、杉本先生の、雨戸ごしの夜半のコミュニケーションから、一転、話は日本画家、西村五雲の「午閑」という絵へ。竹籠に投げ入れられた夏の刈草。薄暗い土間で、その竹籠の脇をすり抜けようとする鼬の視線。 「この絵を見ていると、才芸と告白との関係が気になる。画家の目と手の働きがなければ形をなさなかった内奥の独りごとが、見ている目に聞こえるからである。」と締めくくられるのだが、なにしろあちこちからイタチのイマージュが切り貼りされた上での締めくくりであるゆえに、薄暗い土間に光る鼬の目に、ひょいと捉えられそうな胸騒ぎが、読後、ざわざわとしばらく続くのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次いで、「ドビュッシー」。以前にもご紹介したように、氏がドビュッシーに触れているのはこれが初めてではない。 本題のドビュッシーに入る前の道草として、氏は自らの音楽好きを吐露し、たとえばこんなことを書く。 「道を歩いていてピアノの音が聞こえると、弾き手のじょうず、下手にかかわらず、私は落ち着きを失いがちだが、そのときの気分は、今あそこで大きなエネルギーが放出されつつあるという奇妙な感慨とまぎらわしいことが多い…(中略)…音楽家が手料理を趣味にしていると聞くと、さぞかしその料理はうまかろうなどと思うのは正気の沙汰ではないのに、音楽好きはついついこういう思いの掛け方、のぼせ方をしがちなものだ。お相伴にあずかったら、ただ無闇に盛りだくさんな、すっぱくなったシュックルートが自慢の手料理で、人心地もなかったことがある。しかし、満腹したその音楽家がーーピアニストだったがーー食後一服してのちに弾いてくれたベートーヴェンの「ハンマー・クラヴィーア」ソナタは素晴らしかった。」 ドビュッシーが、シェーンベルクと共に、例外的に「絵を描く音楽家」だったことを私はこの文章から知り、その対抗ページに印刷されていた彼のパステル画を眺めてうなった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さらに適当にページを進めたところで行き当たった「チャールズ・クック『ピアノの技法』」。 ラシーヌとヴァレリーとを、詩作という芸域の「専属とアマチュア」というふうに対比させてみせた後、アマチュアの立場とは「完全無欠という幻想にむかって、性こりもなく試作をつみかさね、幻想との孤独な戦いにあけくれ励むという悦楽」 というところにあるものだという。アマチュアとは、「同じ幻想をいつも自己の能力圏外の遠くに見据えている」のに対し、専属は「完全無欠の幻想を能力県内に誘致する方策をその秘訣とする人々」なのだ、と。 杉本氏がここでおもむろに紹介するのが、表題の「チャールズ・クック『ピアノの技法』」(音楽之友社)。「この本ほどアマチュアというものの立場を徹底して採用し、この立場の値打ちを客観的に、しかも熱誠こめて証明している本を私は他に一冊も知らない。」と告白したあとに続く最後の段落を、ここでそのまま引用させていただこう。 ピアノは決して道具ではない。ましてや楽器会社が厚かましくも揚言するような消耗品などではない。一台のピアノは、どんなにおんぼろのアップライト型であろうと、それを相手にアマチュアとしてピアノの技法に打ち込む人間にとっては、他に二つとかけがえのないもの、つまりはもう一人の自己である。全編を通じてチャールズ・クックが実に慎重に、また大胆に語っているのは、そのことである。訳書には「楽しみつつマスターできる」という形容句が表題に付け足してあるが、これはよろしくない。目ざわりなこの文字を墨で塗抹したうえで、私はこの本を二十三歳以来、いつも手元に置いている。原題は「悦楽を求めてピアノを弾く」とあるだけだ。まさにそうでなければならない。 かくして私は、杉本氏がアマチュアのピアノ弾きであることを知る。悦楽を求めてピアノを弾く人の目から耳から心から、氏がドビュッシーを語り、イタチを語り、「才芸と告白の関係」を語っていたことを知るのである。偶然にしては、あまりに絶妙な順番で出会った三篇。人生における「偶然と必然」ということなども、ちらりと頭をよぎる。「副産物」と私が名づける読書の悦楽とは、こういうところにある。
by michikonagasaka
| 2014-01-23 18:45
| 本
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