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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2014年 03月 09日
![]() 何十年も生きていると、「これが偶然とは思えない」という出来事に幾度か遭遇するものだ。 ジャック・モノーという科学者の名著「偶然と必然」を読んだ10代の私は、まったく科学的な人間ではないにもかかわらず、宇宙に生命にマクロミクロに遍在する偶然と必然、という物の見方にうっとりとなった。科学者たちが生命や宇宙や力を記述・説明しようと試みるそのとき、そのうちの秀でた何人かは、とりもなおさず優れた物語作家である、ということを、そのときに思った。科学者という人たちのロマンチストの側面を、とてもチャーミングだなあと感じた。30年以上の時を経た今も、そうした思いは変わらない。 偶然と必然は、宇宙の神秘や生命科学のトンネルの中にのみ存在するのではない。それは名もない人間たちひとりひとりの人生に、どういうわけかしらないけれど、やっぱりちゃんと存在している。それに気づきやすい人、気づきにくい人がいるし、また、そうしたことに意味を見いだそうとする人と、あまり気にとめない人がいる。不思議なもので、ひとたび「あれ?」と気にとめ出すと、「偶然にみえるかのような必然」「必然にみえるかのような偶然」が、招きもしないのに向こうから、ニコニコと微笑みながら、やあやあと手を振りながらやってくる。こちらは丁寧にお迎えし、手厚くおもてなしする。それが人生の「偶然と必然」さんに対する、私の基本的態度である。 昨日、また、そんな「偶然と必然」さんの来訪を受けた。まあまあようこそ、と私は客人を招き入れて、まあ一杯いっしょにいかがですか、といざなった。 発端はフェイスブックにとある友人がアップしたポスト。そこに見覚えのある名前があった。正確には、それは「私の欲しいものリスト」という本の紹介で、その翻訳者の名前もそこには記されていた。ああ、中島さおりさん! 懐かしい、昔、ご飯一緒に食べたよね、パリで、と、古い記憶が突然に蘇り、なんだか私は嬉しくなって、そのポストのところにコメントを書いた。すると5秒後くらい、というスピードで、当の中島さおりさんが返答コメントを書いてくださった。え、彼女もこの投稿を見ているのか、と、私はびっくり。きっとさおりさんも同じくらいにびっくりされたことだろう。なにしろ私と彼女は、少なくとも20年くらいまったく音信不通だったのが、こうして、どうやら共通の知人であるらしい東京住まいのHさんの投稿の中で再会してしまったのだから。 その後、さおりさんからDMが舞い込んだ。 「覚えていてくださって光栄です。私のほうは、妹が長坂さんの最近のご著書の書評をしたということで、ちょっとお噂はうかがっていました。」 とある。 妹? 書評? ええ〜っ、もしやさおりさんは中島京子さんのお姉さんだったの? 中島京子さんは直木賞も受賞された小説家。その彼女に、いつだったか、拙著の書評を書いていただいたことがあったし、そもそもそれとは無関係に、私は彼女の小説の愛読者でもあり、滅多に読書感想文を載せないこのブログで「小さいおうち」について駄文を書かせていただいたこともあった。その京子さんと、大昔、パリで知己を得たあのさおりさんが姉妹だったなんて・・・・・・。もしかしたらお二人が姉妹ということは、世間では知られていることなのかもしれないけれど、少なくとも私は知らなかった。そしてそんな偶然が、にわかには信じがたかった。 仏文学者としてエッセイストとして翻訳家としてご活躍のさおりさんだが、「それどころか私に本を書くようにと勧めてくださったのは、長坂さんですよ。覚えてらっしゃらないかもしれませんが」とおっしゃるではありませんか。 そう、残念ながら私はそのことは覚えていなかった(笑)。けれど、昔、そのようなことを言ったのであれば、それは間違いなくそのときの本心だったはずだ。当時、パリの大学でお勉強中だった彼女の話を聞いていて、こういう発想の仏文学者っていうのがいいんだ、というふうに感じたのだと思う。 文学は、一般人も(というか、一般人こそが)読むものなのだから、文学研究者は一般人のところにまで降りてきてくださらないと意味がない、ということを私はよく感じていた。鹿島茂氏が娼婦のことを書いてくれれば私は楽しいし、杉本秀太郎氏がドビュッシーについて語ってくれれば私はどれどれ、と膝を乗り出す。中島さおりさんもきっとそういうことをしてくれる人だろう、という直感が、そのときの私には働いたのだと思う。あにはからんや、「パリの女は産んでいる」である。ははは、してやったり、と私はほくそ笑む。 私の中に今もちょろちょろと最後の灯火(ともしび)となって揺れている「編集者気質」。それは、「ひろいもの、めっけもの、巡り合わせ」をいつもきょろきょろと探している。せっかくならば、他の人が見つけないものをひろいたいし、めっけたいし、そういうものとこそ、巡り合いたい。自分がめっけたものが、後に大きくなったり立派になったり華やいだり、ということほど嬉しいことはない。 もちろんそれは、仕事の上だけのことではない。それはすべての「出会い」についていえること。 編集者気質というこの灯火を絶やすことなく、そして「偶然と必然」さんというありがたい客人をいつでも迎え入れることのできる人であり続けたい。評判も名前も実績も、どうでもいい。たとえ人が見向きもしないものであっても、どんなちっぽけなものであっても、自分が「これは」と思ったものに、ぶれることなく肩入れする、そういう自由と勇気を持ち続ける人でありたいものだね。 Photo credit: -Reji / Foter / CC BY-NC-SA
by michikonagasaka
| 2014-03-09 21:28
| 身辺雑記
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