序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2014年 04月 13日
ロベルト・シューマンとフランツ・シューベルト。名前がSCHで始まるこの二人のことが、理由はよくわからぬままずっと好きだ。その音楽を通じて、やはり理由はよくわからぬまま、私には彼らの「人となり」がよく聞こえてくる。そして、その「人となり」のところに、たぶん惹かれるのだと思う。 エトヴィン・フィッシャーというスイス・バーゼル出身のピアニストの著作「音楽を愛する友へ」という新潮文庫の小さな本がある。その中で、彼は「若き音楽家への挨拶」「芸術と人生」「楽曲の解釈について」という最初の三章に続き、個人的に思い入れが深かったであろう作曲家を5人挙げて、各人に一章を捧げている。モーツァルト、ショパン、シューマン、ベート―ヴェン、そしてバッハ。それぞれにとても愛情と敬愛に満ちた論考や解釈、そして奏法上の留意点といったことなどが綴られていて非常に興味深い。 中でもシューマンに割かれた一章は、私自身がシューマンが大好きということも相まって、小文ながら何度も読み返してみたくなる吸引力をもって私の心を揺さぶってやまない。 それはこんな書き出しで始まる。 「わたくしの心は誰よりもまず彼に捧げられている。彼を、わたくしは、一人の尊敬する友のごとくに愛する。わたくしは、もっとも美しかったかずかずのひと時を彼にこそ負っている。しかしまた、わたくしは彼のためにもっとも深くなげくのである。完全な精神の薄明が訪れるずっと以前に、悲愁の影がーー彼の歌曲にうたわれた深い苦悩がーーますます不気味に、重苦しく彼のうえに垂れさがってきたのだから。」 周知のように、シューマンは、若くしてピアニストとしての名声をほしいままにしていたクララと結婚。このクララはシューマン自身のピアノの教師の娘で、二人が知り合ったのはシューマン18歳、クララ9歳の時。シューマン30歳のときに、クララの父親の猛反対を押し切って結婚した二人は、後に8人の子どもをもうける。シューマンは作曲と音楽評論の分野で、片やワーキングマザー、クララはピアニストとして、また作曲家として豊かな創造性を発揮するが、シューマンは徐々に精神を病んでいく。精神の健やかさと病との間を行き来し始めたこの時期に、シューマンはアポイントなしで突然、若き無名の作曲家ブラームスの訪問を受ける。ブラームスの才能に感銘を受け、批評家という立場から彼をバックアップ。後にこのブラームスと妻のクララが恋愛関係をもつにいたることを、早くから彼は予期していたのかしていなかったのか。また自分が惚れ込んで後押ししたブラームスの輝ける才能、愛する妻クララのピアニストとして、また作曲家としての艶やかな素質、人間的魅力といったものに対し、彼の中には暗い嫉妬や不安の芽が育ちつつあったのか。本当のところは誰にもわからないけれど、心の健康を徐々にむしばまれていったシューマンはライン川に身投げ自殺をはかるが、未遂に終わり、精神病院に収容される。クララとの面会も許されないまま、三年がたち、はじめてクララが病床に訪れた日の二日後、病室でたった一人、46歳でこの世を去っている。こうして大筋を綴るだけでも、暗く気が滅入ってくるような、実に悲劇的な最期であった。 フィッシャーは続けて書く。 「彼の胸中をわれわれはどうして知り得よう。理性がどこに終わり、狂気がどこに始まるか、われわれのうちの誰が知ろうか。たしかに彼はーーかがやかしい童話(メルヘン)でいっぱいになり、燈火と祝祭と、王者のごとき誇りと最高の気高さとにみたされてーーしばしば美しい幻想の中に捉えられていた。また、しばしば彼は、「あらゆる木の葉や梢に青い火花が燃え、赤い鬼火がもつれあい和をなして走る」童話の森につれこまれたと思いこんでいた。しかし、彼はまたしばしば、そこでは友人をさえ信用することのできないあの薄明のなか、あの夕闇のなかをさまよった。そしておりおり、ここではもう誰も彼を知ってはくれないし、理解してもくれないのだという感情が、彼のこころに忍び込んだのである。これがすでに狂気だったのだろうか。そして、若さに溌剌として、みごとに新しいメロディーに胸をいっぱいに膨らませた青年ブラームスが彼のかたわらに現れたとき、彼は最高の自己抑制と理想主義的心情とをもって、ブラームスの将来を予言し告知したのではあったが、そのとき、彼自身それがなにであるかを意識することもなく、彼の胸中の迷路にくだけ去ったものを誰か知ろう。」 今風の診断でいうならば、おそらくシューマンは躁鬱病を患っていたのだろう。彼の心には天使的な光景と悪魔的な光景とが交互に訪れ、恐ろしい悪夢にも苦しめられたという。その悪魔的な光景に包まれた暗いインスピレーションの中で書かれ(しかもその途中で、上述の自殺未遂事件を起こしている)、彼の死後、ブラームスによって出版された「ゴーストヴァリエーション」*(クララへ献呈)をおおう暗さ、けれどその中に潜む光が差してくるような静謐さに、私は「精神の棒立ち」という感覚を覚えずにはいられない。 はやりシューマン晩年のピアノ、クラリネット、ヴィオラのための三重奏「Märchenerzählungen(おとぎ話) 作品132」。ここには上記、フィッシャーのいうところの「あらゆる木の葉や梢に青い火花が燃え、赤い鬼火がもつれあい和をなして走る童話の森の光景」が全編を通して、時に激しくインテンシヴに、時に驚くほど穏やかで美しいメロディーと和声のつながりをもって立ち現れる。作曲年代からして、すでに病の深い淵にあったことを思うと、こうした澄み切った天空や穏やかな楽園を思わせる箇所(特に三楽章)は、ひときわ聞く者の胸を打つ。 「そこでは彼の魂が、いまは何に煩わされることもなく、はればれと、永遠の調和のなかを逍遙しているのである」 と締めくられて終わるこのチャプターは、あたかもシューマンの人生とその音楽を慈しみ深く愛撫する一篇の詩のように私には思われるのである。 音楽の難しいことはよくわからないけれど、冒頭に書いたように「理由はよくわからないまま」心にまっすぐ響く音というものは確実にある。哀しみや暗さををたくさん内包したものが、後の世の人にうっとりとする悦びの刹那をもたらす。作曲家の「人となり」が、その人自身を離れた抽象的なものに変換され、時空を大きく飛び越えて21世紀の今、ここにいる誰かに届く。このような形の友情、友愛、敬愛、連帯感というものが、人間と人間との間に成り立ちうる、ということが、端的に感動的だ。 *どういうわけか、これがのちにブラームスによって出版された、と思い込んでいたが、事実は違うようである。ゴーストヴァリエーションの初版は1939年。ブラームス自身はシューマンの死後、連弾用のゴーストヴァリエーションを書き、これをシューマンの娘に献呈している。それと本歌とを私は記憶のどこかでごっちゃにしてしまっていたのかもしれない。謹んで訂正させていただきます。こちらは、ゴーストヴァリエーションの作曲や出版の経緯について詳しく触れられているヘンレ版の序文です。
by michikonagasaka
| 2014-04-13 00:50
| 身辺雑記
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