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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2014年 04月 27日
![]() 昨秋より、指先から肘にかけて継続的なしびれと重たい感じのあった右腕が、春の訪れと共に少しずつ調子を取り戻して来た。この間、鍼に通ったり、頸椎や肩を訓練したりほぐしたりする体操をしたり、右手を酷使しないように気をつけるなど、それなりに改善に努めてきたことが功を奏したのか、あるいは単なる日にち薬的な快癒だったのか、最終的なことはわからない。けれど、調子がよくなったことはともかく嬉しく、大層めでたい。 右手がこんな調子だから、最初のうちは無理してピアノの練習もしていたけれど、12月に入った頃から、右腕全体がどうにも重たくて辛くなってきたので、ここはひとつ、治癒を優先しようと思い、長期休憩に入ることにした。左手だけの曲を少し弾いたりもしていたけれど、譜面台に置きっぱなしになっていたいくつかの楽譜もいったんは書棚の楽譜コーナーに片付け、そしてピアノの蓋がしまったままの日が何日も続くような、そんな数ヶ月だった。 数日前、久しぶりに恐る恐る、「両手の曲」を弾いてみた。また「逆戻り」することが怖いから、本当に恐る恐る、こわごわと弾き始めてみた。数ヶ月ぶりに弾くわけだから、以前に覚えていたところもずいぶんと忘れてしまって、なかなかうまくいかない。でも30分くらい経つ頃には、脳の奥底にしまい込まれた記憶がゆるやかに戻ってくる感覚があった。波打ち際にぼんやりと脚を投げ出して腰掛けていると、穏やかな波が向こうのほうからやってきて、裸足の足をゆっくりと撫ぜてはまた引き返していく。寄せては返す波は、ほんの少しずつ、全体としては満ち潮になる方向で、その打ち寄せる距離を伸ばしていく。波の先端が指先に触れる程度だったのが、いつしか足首にも触れ始め、やがてそれはふくらはぎにまで到達していきそうな気配ーーそんな映像が浮かんでくるような、段階的な記憶の復活の体験。 それはまるで記憶は消滅していたのではなく、どこかにひっそりと隠れていて、それが少し、また少し、表面に上昇してくるかのようだった。 ショパンの曲の、前からよく弾けなかったところをしばらく練習した。前よりもっと弾けないことには違いないのだが、にもかかわらず、前よりかすかに「いい感じ」という矛盾があって、そのことが不思議でならない。練習をしなかった数ヶ月の間に、この曲と自分との関係が少し変わったような気がしたが、そんなことってあるんだろうか。睡眠中も脳の中ではいろいろなことが起こっている、というようなことをどこかで聞いたことがあった。ピアノの冬眠中にもまた、何らかの変化が脳の中、あるいは音を感じるセンサーのどこかで起き続けていた、ということなのだろうか。 それはともかく、こんなふうにダラダラと、どこへ向かうともなく、ずっとピアノを弾き続ける人に、たぶん私はなったのだと思う。ピアノを弾き続ける人に「なった」とここでいったが、以前はそういう人ではなかったことを自分でよく知っているからこそ、敢えてそのような表現をしたのである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪ 高度成長期の日本の中流家庭に生まれ育った者の多くがそうだったように、私もまた、子どもの頃にピアノのお稽古に通っていた。けれど、これまた同世代の多くの子どもがそうだったように、練習なんててんでしなくて、レッスンに行っても、先生のお宅のお庭で遊ぶことのほうがよほど楽しかった。そのお庭には、大きなビワの木があって、私は妹と一緒によくこの木に登った。子どもの足をひっかけるのにはちょうど都合のよい枝振りで、そうして足下のバランスを上手に取りながら、上へ上へと登り、手を伸ばして熟れたビワの実をとった。枝にまたがった姿勢で橙色のビワにかぶりつき、大きな種は地面にぺっと吐き出した。 「もっと遠くに」 「あそこの花をめがけて飛ばそう」 「今度はこっちの薮をめがけて飛ばそう」 ひるむ妹を「N子ちゃんも上っておいで」とたきつけた。 こわごわと枝にしがみついている妹に、「N子ちゃんも、これ食べてみなよ」と美味しそうなビワを後ろ手に手渡した。肉厚の葉っぱは、暑い盛りには心地よい日蔭をつくり、山猿娘たちはそこで涼んだ。 いつしかこのビワ取りと種飛ばしは、ピアノのレッスンの主役となった。アメリカのテレビドラマかなにかで見かけたツリーハウスなるものはここにはなかったけれど、私はまるでツリーハウスで大冒険をたくらむ異国の子どもになったような高揚感と共に、毎週、このビワの木によじ登った。そうして夢中になって遊んでいるうち、やがて私たち姉妹のレッスンの番がやってくる、なんだ、もう行かなきゃ、と少しがっかりして、するすると木から降り、最後はぴょんと地面に飛び降りる。表の玄関のほうへまわって、靴を脱ぐ。靴下は汗で少し湿っているから、木目の廊下にはぺたぺたとお行儀の悪い足跡がついたかもしれない。 「じゃあ、今日はミチコちゃんから」といわれるままに椅子に腰掛け、一週間、手提げ袋に入ったままだった楽譜を取り出し、何食わぬ顏で鍵盤に向かう。練習していないにもかかわらず、時に「はい、これは◯をあげましょう」といわれると、ああ、よかった、とこっそりほくそ笑み、ラッキーだった、と喜ぶ。大変図々しい生徒だった。 と、そんなわけだったから、無論、上達するはずもなく、小学校を卒業する頃には、もうピアノなんかや〜めた、ということになった。同世代の多くの子どもと一緒だった。 大人になってから、それも大人になってずいぶん長い時間がたってから、なんだかピアノをまた弾きたいな、という気分になって、そうして再びレッスンに通い始めた。とても難しい。けれど、今度は木登りをすることもなく、手提げ袋に楽譜を入れっぱなしで次回に臨むということももちろん一度もなく、時間をやりくりしては結構、まじめに練習した。都合、5年間ほど、お稽古に通っただろうか。この間、練習は「次のレッスンのためにするもの」から、次第に「ただするもの」へと変容した。レッスンがなくても、発表会がなくても、ただ、好きで練習する。それだけ。 この右手が調子のいい限りは両手で。また不調になったら片手で。鍵盤に指が触れる瞬間と鍵盤を押す瞬間との間に、ほんのわずかのすき間がある、という感覚を抱くことがこの頃、多い。そのすき間に、これから鳴る音の予感が凝縮されている。脳は一足先に、その音を期待し、そこに指がついていく。こんな感覚、ほんの一年ほど前にもまだなかったことだ。 眠っている間にも、脳の中には何かがプログラムされていく。練習していない間にも、何かが起こっている。そういうことを自らを人体実験するようにして知ったこと。それもまた、この数年間がもたらしたたくさんの悦びの中のひとつ、というふうに思う。 よかった、音楽が好きな人間に生まれて、いや、そのようになることができて。
by michikonagasaka
| 2014-04-27 01:42
| ピアノのお稽古
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