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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2014年 10月 03日
![]() いろんな人にいろんなものを貸してあげた。そのうちのあるものはちゃんと手元に戻ってきて、またあるものは、そのままどこかへ消えてしまった。「貸す」という行為には、どこか「永久貸し出し」のポテンシャルが秘められていて、それもまたなかなかいいじゃない、と、ずうっと思ってきたから、返ってこないものを惜しむという感情は、ほぼ皆無。戻るも戻らぬも、いずれもそう定まったご縁なのだ、というふうに、心から思う。 そんなふうにして「戻ってこなかった本」というのが、数えきれないほどあるのだろうが、最初から「戻らぬもご縁」という諦観があるせいか、その大半は記憶の中からとっくの昔に消失してしまった。なのに珍しく、はっきりと覚えている本が三冊ある。 はっきりと覚えているのは、それが何の本だったか、ということだけではない。その本を、誰に、どんな状況で、どんなことを思って貸して差しあげたか、ということこそを、私ははっきりと覚えているのだ。 その記憶の最古のものは20代の東京・世田谷区。年上の女友達のお宅に休日のお昼に招かれて、そのときにお花かなにかの手みやげと共に、私は一冊の本を携えていったのだった。強烈な個性の持ち主であるその人を、私は姉のように慕っていたし、自分にはない彼女の感じ方や表現力といったものに憧れ、尊敬の気持ちを抱いていた。案にたがわず、その日の食卓は、大皿に盛られたダイナミックなお料理や、ヨーロッパの香り高いチーズにワインなど、まだ日本しか知らなかった当時の私には、それはそれは素敵でお洒落なものに思われ、さすがだなあ、いつか私もこんなことがさらりとできるような大人になれるのかしら、などと、うっとり夢見心地にさせられるものだった。 その友人と、少し前に、ちょっと親密な雰囲気で交わした会話中、「人生に影響を与えた本」というような話題があり、そこで言及した本に彼女が興味を示してくれたことが、妹分の私にはたいそう嬉しかった。 「じゃあ、その本、今度、お貸ししますよ」 その約束を果たすために、その日に私はちょっと張り切った心持ちで、高校三年生のときに読んで、以来、大事にしてきたその本を持参したのだった。 その後、彼女はご主人の転勤で外国へ。私は私で、新しい生活をはじめるためにパリへと移住した。距離は離れてしまったけれど、でも彼女とはときどき手紙を書きあったり、電話をかけあったり、そして私が彼女のところへ訪ねて行ったり、彼女がこちらに訪ねてきてくれたり、というような仕方で、その後も何年も仲良くしてもらっていた。彼女の仕事での活躍ぶりを目にするたびに、私はとても誇らしく、やっぱりさすがだ、と、手放しで喜んでいたものだった。それがあるとき、どういうわけか彼女からの音信がぷつりと途絶えた。最初は何かの間違いだろうと思っていたが、次第にそれが間違いではなく、彼女の意志であることを理解した。どう考えても、思い当たる節がないのだが、人づてに、彼女は私に対して「怒っているらしい」ということを聞いた。誤解を解きたい衝動にかられもしたが、けれど私はその勇気を持たなかった。 「時代と私」というその本は、彼女が外国へ転居する荷物の中に紛れ込んでしまって、そのままになってしまったのだろうか。その後、日本に帰国したときには、まだ彼女の所持品の中に生き残っていたのだろうか。そしてその後、いつか処分されてしまったのだろうか。二人で笑いこけて、あちこちドライブした日々。彼女の放ったインパクトある言葉の数々。春の異国でつくってくれたちらし寿司。クーラーの効いた東京の事務所で、熱いお茶を入れてくれたざっくりと大ぶりのお茶碗のぬくもり。それらのことを私は全部、今でもちゃんと覚えている。忘れようにも忘れられないのだ。 * * * お料理好きが嵩じて、イタリアまで料理を習いに行ったかと思えば、ちょっとしたケータリングやお料理教室のまねごとみたいなことにも手を染めて、そんなに食いしん坊なくせに「キュウリが嫌い」などとのたまうかと思えば、「あそこの◯◯はまったくいただけなかった」「せっかく持ってきてくれたのはいいんだけど、あの茹で方はどうかと思った」など、手厳しい辛口批判でときに周りを緊張させるようなこともあったJちゃん。そのJちゃんに「道子さんの一押しの料理本は何?」と訊かれ、一瞬の迷いもなく「辰巳芳子さん!」と返答。数冊持っていた著作の中の一冊を「まあ、試しに読んでみて。好きだったらまた他のを貸してあげるから」と手渡したのは四年前の今頃だっただろうか。 辰巳芳子さんの何が好きかといえば、料理そのものというよりは、料理を語るその言葉、といったらいいだろうか。どのみち、レシピの類はほとんど用なしというか、料理本は、イメージや食への思いをいただくものであって、◯◯何グラムとかはどうでもいい、という性質(たち)なので、料理本を「参考にして」何かをつくるということは、ほぼ、しない。その意味でも、辰巳さんの著書は、空疎で中身の薄い常套句に流れがちな料理本の世界にあって、私にとっては群を抜く「おもしろい読み物」として君臨していた。人に自分の好みを押し付ける無礼はつつしみたいと思っているものの、ひょっとして、皮肉屋の食いしん坊、Jちゃんであれば、そんな私の好みを共有してくれる余地もあるかもしれない。そう直感して、その本を「つつしんで」お貸し出し申し上げたのだった。 彼女はその本を、はたして読むことがあったのだろうか。本を手渡したそのちょうど一年後、Jは癌で逝った。告知を受けてから一年半。その間、彼女は持ち前の気の強さで病と闘い、憑かれたように「あれもやっておきたい」「ここも行っておきたい」「あの人にも会っておきたい」と、限りのある時間にたいして貪欲だった。 暑い夏の盛りのお葬式。その後、共通の友人を介して手渡された、私宛ての走り書き「お別れの言葉」。ご家族からのご挨拶状、お母様からのお礼状、そして、別の友人を介し、「形見として受け取ってね」と手渡された生前のJの衣類数点。そのどれもが一連の「お別れの儀式」として機能し、ゆっくりと、彼女を「もう、ここにはいない人」にしていった。 そんなふうにして一ヶ月、半年、一年という時間がたったある日、唐突に思い出したのだ。ああ、そういえば、あの本は貸しっぱなしになっていたんだっけ、ということを。 もちろんあれから三年以上たってしまった今だって、ご家族に問い合わせればひょっとしてあの本はまだそこにあることを確認できるかもしれない。Jからの「もう一つの形見」として、大切に手元においておくこともできるかもしれない。けれど、それはそうしなくていいのだ、と思う。だからしない。そのまま放ってある。 * * * 三冊めの「永久貸し出し本」。貸した相手の人はまだ生きているし、絶交したというわけでもない。とはいえ、実は相手の人が、その本を読んだかどうかを私は知らない。かつてより、やや疎遠になってしまったその人の本棚に、もしかして今でもその本があるのかもしれないという「可能性」が、だから逆に、その人との「つながり」をかろうじて保っていることの証左であるような気がして、それが私は少し嬉しいのである。 それは、哲学書でもなければ、料理本でもない、一介の小説、いや、小説家が書いた日記のようなものである。小説家の夫が、別れた妻のことを書いたものである。そこには世間の夫婦のあり方とはずいぶんと趣を異にする変則的な夫婦、いや、カップルのあり方が綴られていて、私はなんだかこれ、ほのぼのと可愛らしくていいな、と感じた。心を揺さぶられるというほどのものでもなかったし、それを機に、なにかを考えるというほどのものでもなかった。かつて妻であった女性に対する不器用な愛と葛藤と慈しみを、お邪魔にならない程度に控えめに、けれど正直に真摯に綴ったこの本を、私は「好ましい」と感じた。そして、その友人に「これ、けっこう面白かったよ」といって、やはりお邪魔にならない程度に控えめに、というつもりでこれを手渡したことを覚えている。 その人とはもう随分、会っていない。元気にしているだろうか。お邪魔にならない程度の控えめな存在として、自分がその人の本棚の片隅にずっといられたとしたら、それもまた、よし。仮に余分なものとして処分されてしまったとしても、それもまた、よし。 永久貸し出しという、そのコンセプト自体が、そんなわけで私にはちょっとした救いでもあるのだ。
by michikonagasaka
| 2014-10-03 22:46
| 本
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