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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2015年 03月 17日
![]() 本日、夕刻より娘のチェロの発表会があり、市内の音楽学校に出かけてきた。こじんまりとした発表会で、最年少の娘を筆頭に、あとはおそらく全員、どこかのギムナジウムの生徒と思われる10代の生徒が室内楽やソロで順に演奏をしていく。そんな発表会も滞りなく進み、プログラムによると最後から2番目、Nという名のすらりとした長身の女の子の出番になった。 ああ、あの子、こんなに大人っぽくなって。 2〜3年前、そのNが、同じような発表会でショスタコ―ヴィッチのチェロ・コンチェルト(何番だったかは忘れました)を弾いたときの強烈な印象。当時、彼女はおそらく16歳くらいだったと思うが、それはそれは堂々とした見事な演奏で、私はすっかり感心してしまった。単なる「上手な子ども」というレベルをはるかに凌駕して、そのショスタコ―ヴィッチはずしりと重苦しいソヴィエト連邦下の空気感までをも感じさせるような、彼女個人の演奏+曲自体の持つ深い重量感を余すところなく表現していて、とにかく素晴らしかった。この子が他の「上手な若者」とは一線を画す例外的な「何者」かである、ということを私はその晩、確信し、そんな彼女の音楽に触れたことをとても幸せなこと、と感じた。まだ名のある誰かになる前の、無名のギムナジウム生徒の、その素晴らしい音楽に触れたことを。 あとで先生に聞いたところ、Nは毎週、一人でチェロを背負って電車に乗ってドイツからはるばるレッスンに通ってくるのだという。凄いもんだな、と、その点でも素人の私はすっかり感心して、以来、Nのひそかな応援者になったのである。 あの時のNが、今晩はサンサーンスのチェロコンチェルト・イ短調を弾く、とプログラムには出ている。ステージに登場したNは、相変わらずスラリと格好がよく、二年前よりさらに女っぽい雰囲気も増して、妖艶でさえあった。 大きく息を吸い、曲が始まった。わあ、さすがにすごい貫禄。堂々たる出だしですごく格好いい。 ところが、である。 4小節くらいいったところで、突然彼女は演奏を止めてしまった。固唾を呑む聴衆を前に、気を取り直してもう一度最初から、という気配を一瞬見せたものの、次の瞬間、すべての気力が空中分解して、彼女はチェロに頭をもたせかけ、そして首を左右にふって、できない、弾けない、無理、もうダメ、ということを身振りと表情で語った。 Nは幽霊のように呆然と立ち上がり、半泣きの顏で部屋から出ていった。すぐ後を先生が追い、私たち聴衆はそのまま5分、10分と部屋の中に取り残されたまま、全員が無言だった。 やがて先生が一人で部屋に戻ってきて、無言の私たちに向かって口を開いた。 「みなさん、少し説明をさせてください。Nは、ここしばらく、ステージで弾くことが出来なくなっていたのです。けれど今晩は意を決して、やってみる、といって臨んだのでした。けれど曲が始まるや否や、一種のパニックに襲われ、我を失ってしまいました。私たち音楽家なら誰しも、想像のつくことです。暗譜でなく楽譜を見てもう一度弾いてみる、と彼女はいっています。その彼女の勇気は素晴らしいものです。けれど、そのためにはあと数分の時間が必要です。もう少し、待っていてくださいますか」 もちろん私たちにはまったく異存はない。いくらでも待ちますってば。口には出さぬまでも、そこにいた全員が、そう思っていたことは明らかだった。 あと数分といったものの、なかなかNは決心がつかないようだった。やがて、先生はプログラムの次(最終)のトリオのメンバーに、「先に弾く?」と促し、その三人がそれはそれは美しく若々しいドビュッシーとメンデルスゾーンのピアノトリオを弾いたあと、Nが入室。譜面台に一応楽譜は置いたものの、それは脇に立てかけたまま、先ほどと同じように暗譜でサンサーンスを弾き始めた。 ものすごく上手だし、さらにはそこには一人の人間の葛藤や恐怖や羞恥の感情が全部詰まっていて、先ほどのエピソードをたとえ知らなかったとしても、ある種の気迫、切羽詰まった崖っぷちの潔さのようなものを聴く人は感じとったのではないか、と思わせるような導入部。やがて、難しそうなダブルコードがずっと続く箇所に到達するが、そこもまた、鬼気迫る迫力があって、鳥肌が立つようだ。すごいじゃん、Nちゃん。あなた、素晴らしいよ、と、私は、半ば祈るような気持ち、半ば祈ることすら忘れて曲に没頭しちゃうような、それほどの吸引力を持つサンサーンス。 ところが、難易度的にいえば、ほっと一息、というような箇所になって、突然、彼女の中の何かがぽつりと切れるかゆるむかする感じというのがあった。普段ならば、本当になんの問題もないようなその箇所で、彼女は我を失い、そしてそこから復帰することができなかった。先生がこっそりと「♯C」とささやいているのが聞こえたが、彼女には聞こえなかったのか、とにかく二回ほど、思い直して弾き直すのだが、もうそれは完全に腰砕けで、ふにゃふにゃで、そしてもう先が続かない。パニックがまた別のパニックを呼び、そうして一人の演奏者がよろよろと崩れ落ちていくさまが、まるでスローモーションの映像をみているかのように、一秒一秒という単位で、手にとるようにわかった。 その時の彼女の表情と、よろよろと崩れ落ちていくサンサーンスが、けれど私にはものすごく美しいものに思われたのだった。 二年前、あんなに上手だったN。コンクールで賞を取ることが当たり前だったN。神様から特別に贔屓された子どものように見えていたN。そのNの崩れる様、そして、ふらふらと立ち上がり、か細い声で Tut mir Leid(ごめんなさい)といって、会場から出ていく後ろ姿。ドアを後ろ手に閉めた瞬間に溢れ出る嗚咽。そのどれもが、あまりにも愛おしくて、私はNという若い女性を個人的には知らないけれど、自分の心はそのとき完全に、Nと共にあった。 これからNがどういうふうにこの蟻地獄から這い上がるか、いや果たして這い上がることができるかどうかを私は知らない。けれど、あのよろよろと崩れ落ちていくときに、その前の素晴らしい出だしも含めて、彼女が私という一人の聞き手に、大きな感動をもたらしたこと、それは確かなのである。 と、ここで改めて考える。音楽とはなんなんだ、ということを。 私は50の手習いで数年前からピアノのお稽古を始めた。日本の昭和生まれの都市部の子どもの一人として、なんとなくピアノのお稽古には通っていたけれど、それも小学校を卒業する頃には練習が面倒くさくなってやめてしまった。それ以来、久しぶりにお稽古に通うということなわけだから、その難しさといったら! Nは例外としても、今晩の発表会で演奏した10代の若者たちの、あの伸びやかで柔軟な吸収力、学習能力というものが、どれほどまぶしく羨ましく感じられたことだろう。子どものときにはまるで練習をしなかったが、大人の今は、子ども時代の何倍も、実はこれでも練習するときはするのである。けれど、本当に、何をやっても難しい。 このように歌いたい、という強いイメージはあることはあるのである。けれど、それをイメージに近い形で実践することは本当にほど遠く、なにもかもが難し過ぎて、楽しいという境地に至ることも本当をいうと、滅多にないのである。 とはいえ、ごく稀に、本当にごく稀に「ああ!」と思える瞬間が到来する。もちろんそれは何十時間という練習の果てに奇跡的に一瞬訪れるに過ぎないほどのささやかなものなのだが、そうだな、この瞬間のための何十時間ということで、まあいいんだろう、というふうにつくづく思う。たった一瞬。そして次の瞬間には消えていく、そういう一瞬のある音、ある和音、あるフレーズの出だし。 数年間、ピアノのお稽古をしてきたものの、相変わらず、難しいことはなにもわからないし、指はちっともまわらないし、自分の出す無様な音にはその都度、ぎょっとする。でもそこで気を取り直し、さあて、またしばらく練習してみようかな、と思う。5年くらい練習したら、この曲、ちょっとはいい感じに弾けるようになるかしら、などと思いながら。 上り坂の10代と大きく違うところ、それはまさにこうしたのんびりとした時間の感覚だろう。あと30年生きるか5年生きるかなんて誰にもわからない。けれど、あたかも時はエンドレスにあるかのように、すべてが長期計画。そして人並みに背負ってきた人間の葛藤や弱さや哀しさという「財産」。それが自分の奏でるどこか一音にでもちらりと出るようなことがもしあるならば、それが私の音楽というものだ。 そんな私がNの熱烈な応援者であることは今後も変わりなく、そしてどこかでなんとなく楽観している。大丈夫、Nはこの最初の闇をいつしかくぐり抜けて、次の段階に進むことができるだろう、と。そのときのNの音楽は、「途中で止まったサンサーンス」を決して忘れずにずっと内包し続けていった結果の音楽なのだ、と。
by michikonagasaka
| 2015-03-17 07:56
| ピアノのお稽古
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