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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2015年 04月 01日
![]() 長らく生きてきたけれど、手作りの八ツ橋というものを口にしたのは昨晩が初体験だった。 ご飯を食べにきた友人がお持たせしてくれたそれは、皮がちょっと厚めで中にはこし餡がたっぷり。表面にはきな粉。懐かしく芳しいあの香りに、シナモンではなく「ニッキ」という言葉がひょいと口をついて出た。 ポチと一押しで全国津々浦々の美味珍味が簡単に手に入る日本と違い、ヨーロッパの、それも保守的ということで名高い小国に住んでいると、たった一片の八ツ橋のおいしさ、重みは、これまた格別なのである。 友人が忙しい合間を縫って、さあ、今夜これを持っていこうと張り切って作ってくれた、その手間と思いが「ごちそう・その一」。紛うことのないのないアイデンティティに満ちた、あの味と香りの見事な再現、それも京都からこんなに遠く離れた地での再現。それが「ごちそう・その二」。そして、はて、最後に八ツ橋を食べたのはいつのことだったか、と、思い出すこともできないくらい長い時間を経て、けれどこの香りと舌触りと味に触れた瞬間に、一気に蘇る「八ツ橋つながりの思い出の数々」というものが、「ごちそう・その三」。 三つのごちそうが、たった一片の八ツ橋を、かくも特別に素晴らしい「大ごちそう」に仕立て上げてくれる。 学生時代に住んでいた京都で、週に一度、バイトの帰りに必ず通る道があった。名を口にするのも今や恥ずかしいほどに有名になってしまった疎水ベリのその小道には、当時、さほど人影もなく、そこを私は小型のバイクでぴゅーんと駆け抜け、気まぐれに、脇道のお寺に寄ったり、カフェで本を読んだり、ベイカリーでクロワッサンなどを買ったりしながら、無限とも思われた時間の海を心地よく浮遊していた。 その小道の一角。法然院のあたりに、その小さな八ツ橋屋さんがあった。町中や駅のみやげ物屋で見かけるあの全国に名を轟かせる有名ブランドSでもOでもNでもなく、それはたった一軒、そこに店を構えているきりの家族経営のささやかな八ツ橋屋さんだった。そしてそこで売られているのは、生ではなくて手焼きの堅い八ツ橋のみ。 鹿ヶ谷の方から春風を受けながら北上していくと、まもなく辺り一片がえも言われぬ芳香に満たされる。ニッキと米粉と砂糖が香ばしく焼け上がる、あの馥郁たる香りをなるべくたくさん胸一杯に吸い込みたいから、バイクの速度を落とし、歩く人と変わらぬスピードでとろとろと進む。左手前方に、店が見えてくる。 今日は置いてあるかな、どうかな・・・・・・。 店頭のガラスケースの上に、ときたま「こわれもの」がビニール袋に入って置かれている。正価よりもおそらくずっとお値打ちだったその「こわれもの」が出ていれば、私は迷いなくバイクを停めて一袋、買うのだった。一乗寺のアパートに帰り着く間ももどかしく、いや、バイクのエンジンをかける間ももどかしく、まずは袋から一つ、取り出して口に含み、それをシガーみたいに加えたまんま、再び春風に向かって走り出す。 地味で静かで、特に誰と共有するのでもない、それは若く美味しく幸福な時間だった。 ![]() そもそも八ツ橋は堅いものが原型であり、あの瓦型の姿形は八橋検校の筝の形を模したものだといわれる。検校は没後、黒谷の金戒光明寺にある常光院に葬られた。墓参りに訪れる検校ファンは後を絶たず、そのため、三年後の元禄二年(1689年)、黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、筝に似せた形の煎餅が販売されるようになった(その同じ場所に現在も聖護院八ツ橋本店がある)。その後、焼かない皮だけのもの(生八ツ橋)、そして中にアンを入れたもの(「聖」「おたべ」「夕子」など)、皮に抹茶などを混ぜたものなど、たくさんのヴァリエーションが誕生し、八ツ橋といえば、ここ数十年ほど、数多ある京菓子の中でもおそらくはもっともポピュラーなものの一つだろう。 京都で暮らした4年間のうち、最初の1〜2年は、私も帰省するたびに八ツ橋をお土産に持ち帰ったものだったが、いつしか「あまりにポピュラー過ぎる」そのイメージがなんだかつまらないものに思われ、そのうち、滅多に買わなくなってしまった。大人になってからもことあるごとに京都を訪れたけれど、八ツ橋をわざわざ買うようなことは、おそらくもう二度となかったのではないだろうか。 そうして八ツ橋は、「過去のもの」としてタンスにしまわれ鍵をかけられてしまった。あれほど若い私の胸を躍らせた疎水ベリのお徳用八ツ橋のことすら、ここ何年も思い出したことがなかった。 それがどうしたことだろう。昨晩、友人手作りの八ツ橋の可愛らしい姿を目にした途端、あらゆる記憶が一気に蘇り、鼻の先に感じた香り、舌の先に感じたふくよかな甘みに誘われ、はからずも涙ぐみそうにさえなったほどだった。 記憶が一気に蘇る、と書いたが、記憶の蘇るさまというのは実に不思議なもので、それは一つの記憶がまた一つの記憶をたぐりよせるようにして、鎖のように連なって次から次へと思い出されることもあれば、打ち上げ花火が一斉にあがるようにして、同時多発的に複数の断片が一気に思い出されることもある。断片と断片は、必ずしも連関しているとは限らず、あるいは意識下ではなんらかの通奏低音でつながっているのかもしれないけれど、一見バラバラのものがランダムに同時にポンと打上ってきたりするものなのである。 断片といえばもう一つ、パンの耳という情景もあった。こわれ八ツ橋とちょうど同じように、それは銀閣寺道の交差点近くのパン屋さんの軒先に、たぶんあれはアイスクリームの入っている大きな冷蔵容器だったと思うが、ともかく何かそうしたものが置かれていて、その上に、時折、長細いビニール袋に入った十数枚だかの食パンの耳が売られているのだった。売られているといっても、確かお値段は10円だか100円だか(10円と100円とじゃあずいぶん違うけれど 笑)、いずれにしてもずいぶんと安いものだった。その姿を認めると、やはり私は道ばたにバイクを停め、それを一袋、自分用に買ったものだった。いくらなんでもこれだけでは恥ずかしかろうと、要りもしない駄菓子やアンパンなどをついでに買ったような記憶もある。「ついでに」とはいっても、実は「駄菓子やアンパンこそが本命」で、パンの耳は単なる「ついで」に過ぎないかのような表情と姿勢を故意につくっていたに違いない。誰に対してということさえ曖昧な、つまらぬ見栄を張ったのである。 弁解がましいことをいうようだけれど、別に「節約のために」それを買ったわけではなかった。決してお金持ちではなかったが、たくさんバイトをしていたからことの外切り詰める必要はなかった。単に私は、食パンの耳というパーツを、こよなく愛していたに過ぎない。 こわれ八ツ橋を買うときは、媚薬とも紛うあの匂いに引き寄せられた上に、その無造作に袋に放り込まれた感じが「贈答品」のイメージからほど遠いという点が、たぶん大いに気に入ってそうしていたのだが、パンの耳は、こうする以外、入手する方法が思い当たらなかったから、喜び勇んでそうしていたのだった。ネコの額のキッチンで、パンの耳をオーブントースターで焦げ目がたっぷりつくほど焼き、それにただバターをつけるだけ。思わず口元がほころぶ美味しさ。一生、これが主食でも構わない、と(心の中で)豪語するほどに、香ばしく焼けたパンの耳とはまたなんて美味しいものなのだろう、と、それを食べるたびに思ったものだった。 食べ歩き好きの友人(その彼女は、後に美学!の研究者となり、今も都内の大学で教えている)と、大枚はたいて(そして、少しどぎまぎしながら)京懐石の店に行ってみたり、神戸のフレンチレストランや大人っぽいバーなどで豪遊したりする一方、こうして一人暮らしの部屋でパンの耳をかじり、こわれ八ツ橋をくわえながら風を切ってバイクで疾走する。そういう極端と極端が何の無理もなく同居していたのもまた、あの頃の幸せのあり方ではあった。 さて、昨晩の八ツ橋をつくってくれた友人は、昭和48年生まれ。兵庫淡路大震災の前日に、芦屋の自宅から留学先のボストンへ発ったために、地震には遭遇しなかったけれど、その後、家族友人の安否が知れず、不安に押しつぶされそうにして毎日、CNNにかぶりついて遠い故郷を思って暮らしていたそうだ。2年後に再び故郷の土を踏んだときは、そのあまりの変わり果てた姿に言葉を失ったという。その彼女が、縁あってスイスに住むようになって13年。聞けば、子どもの頃から音楽が大好きで、歌を習ったり、生田流のお琴のお稽古に通ったりしていたとか。 八ツ橋とは、そういえば、元来お琴を形どった焼き菓子であったのではありませんか! こんなふうにして、記憶と現実と人のストーリーが、一片のお菓子を通じて縁をつなげ、一枚の織物になる。 件の疎水ベリの八つ橋屋さんは、名を「大石銀泉堂」という、ということを、先ほど、少しばかりググって知った。そうして、どうやら二年ほど前から、店は扉を閉ざしたままであるということも。 ・・・・・・というところで、昨晩の残りの三つを、三つもろともいただいてしまいました。やっぱりとても美味しかった。ごちそうさま、おおきに。 Photo credit: BONGURI / Foter / CC BY-NC-ND
by michikonagasaka
| 2015-04-01 00:22
| 身辺雑記
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