序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2015年 04月 07日
ロンドン北部の住宅街、ハムステッドの裏道に小さな白い教会がひっそりと佇んでいる。セントメリーという名のカトリック教会なのだが、こんなに可愛らしい教会というのを、後にも先にも私は他に知らない。 昨日、復活祭の日曜に久しぶりに地元チューリッヒの教会の英語ミサに出かけ、賛美歌を歌いながら思い出していたのは、他ならぬ、このハムステッドの教会のことだった。ロンドン暮らしの二年目、ちょうど同じような春先の日曜日、この白い教会の復活祭ミサに参列した。ステンドグラス越しに差し込む柔らかな陽光を、閉じたまぶた越しに感じながら、まあ、ぼちぼちやっていこう、と、ようやくどこかふっきれる思いを抱くことができた日曜日。15年ほど前の、あの日。
ミサに参列と書いたけれど、幼児洗礼は受けたものの宗教心の大変薄い私は、小学校を卒業する頃以来、とんと教会とは縁の薄い暮らしを続けている。そんな中、例外的に復活祭の日曜だけは、どういうわけか「教会にでも行くかな、久しぶりに」という気になるのである。といっても、毎年というわけではない。数年に一度くらい、ものすごく気まぐれな思いつき。神様というものがいるのであれば、到底顔向けできない怠慢ぶりである。 チューリッヒの町中は、数週間前からウサギやタマゴをかたどったチョコレートであふれ返り、鮮やかな色彩のゆで卵や、イースター仕様のブーケや鉢植え、その他のデコレーションアイテムが賑やかにここかしこの店先を飾っていた。毎年恒例のこうした風物詩的な景色は、冬の寒さでこわばった口元をほころばせ、かじかんだ四肢を柔らかくほぐす。まだまだ寒さの続く日々だけれど、気持ち、薄着になって靴も軽いものに履き替え、さて、水仙の鉢でも買って行こうか、羊のローストでも焼こうか、という穏やかな高揚感をいやが上にももたらす。その上、今年の復活祭は、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りと日程がぴたりと重なった(グレゴリオ暦とユダヤ暦というカレンダーの違いのために、一週間か二週間ずれることが多い)。もうこうなったら、世界平和のためにどんな宗教だって構いやしない。春の訪れ、新たな生命の誕生、再生の喜びを祝すという大雑把な動機でけっこう、と気も大きくなり、その勢いで足を運んだ復活祭ミサだった。 それにしても、大人になってから復活祭のミサには、一体何回、足を運んだのだろうか。十指にも満たないのではないか。そんな「レアな経験」のうち、忘れ得ないものがいくつかあり、その一つが15年前、前掲のハムステッドの教会での復活祭ミサだったのだ。 その頃、私は、いろいろ不調続きだった。前年の秋口より体調が優れず、気持ちも塞ぐ月日が続いていた。ひどい不眠に悩まされ、食欲が落ち、眩暈や頭痛がたえなかった。お腹の調子も悪かった。原稿も書けなくなった。本も読めなくなった。元来が社交的なほうなのに、人と会うのが苦痛になり、家に引きこもる日々だった。窓際のソファにだらりとねそべって、灰色の空をぼんやりと見上げ、呆けた姿で日がな一日。いくつかかけもちしていた雑誌の連載の仕事が続けられなくなり、各媒体の担当編集者や編集長に懇願し、年度途中で下ろさせてもらった。そんな失態は初めてのことで、情けなくて恥ずかしくていたたまれなかった。そんな中、ある雑誌の編集長が送ってくださった「葛湯の詰め合わせ」の箱。仕事に穴を開けた私を責める替わりに、「ゆっくり休んでください。そしてまた元気になってくださいね」という手紙がそこには添えられていた。そのシンプルな優しさに涙がこぼれた。そうして冬が過ぎ、やがて春がやってきた。 窓の外の空は、春の色に変わっていた。小鳥の声も聞こえはじめた。青白い顔のまま、幼稚園生だった息子のピアノの発表会のために、久しぶりにジャケットを羽織り、お化粧もして出かけてみた朝のことを、今でも鮮明に覚えている。 そうだ、復活祭のミサにでも出かけてみようか。唐突に思い立った。これまで何度もその前を通りながら、中には一度も足を踏み入れたことのなかったあの可愛らしい教会に、今日、この復活祭の日曜に出かけてみよう。そう思い立ったのだった。 苦しい時の神頼み。お出かけのきっかけ作り。理由はどうでもよかった。四月の初め、うららかな春の日差しの中、家から10分ほどのところにあるその小さな教会に、こうして私は、相変わらず青白い顔のまま、一人でゆっくりと歩いて出かけたのだった。 Photo credit: https://www.flickr.com/photos/tomflem/3079300573/">TomFlemming / http://foter.com">Foter / http://creativecommons.org/licenses/by-nc/2.0/">CC BY-NC 実はこの教会は、第二次世界大戦中、ロンドンでレジスタンス活動をしていたド・ゴール将軍が通っていたことで知られている。将軍は近くの修道院(St. Dorothy's convent, 99 Frognal)に身を潜めており、いつも決まって11時のミサ、最前列の長椅子に、その長身で威厳のある姿が見られたという。そもそもこの教会、初代の司祭はフランス革命時にやはりフランスから逃れてきたジャン=ジャック・モレル神父。ドーヴァー海峡を超えて英国の海岸にたどり着いたものの、その後、数年間の避難生活でモレル神父の体はすっかり弱り切ってしまった。そんな折、健康によいだろうとすすめられたのが、ハムステッドの地。以来、84歳で亡くなるまで、ハムステッド教区で、主にフランスから逃れてきた人々のために司祭をつとめ、教徒の中には、やはり革命騒ぎから逃れてきたアングレーム公爵夫人(ルイ16世とマリー・アントワネットの子どもたちのうちの唯一の生存者)もいたという。 小さな教会に刻まれた歴史、ここで交錯した多くの人々の波乱に富んだ運命。そんなことに思いを馳せながら、司祭のお説教にぼんやり耳を傾け、主の祈りの箇所では、英語では唱えられないので、ぶつぶつ小声の日本語でこれを唱え、パイプオルガンのバイブレーションに自らの心身を共鳴させた小一時間。自分の体調の悪さが、突如、いかにも些細なことに思われた。「復活」というのは、とりもなおさず生命への讃歌であり、再生への希望である、ということが、まるで啓示のようにひらめいて、ああ、そうか、そういうことだったんだ、と腑に落ちた。ミサが終わり、出口のところで信者の一人一人と握手をして見送る司祭と、私自身が握手を交わす頃には、なにやら自分の中で、次の小さな一歩にようやく進めたという実感があった。忘れ得ぬ復活祭のミサであり、忘れ得ぬ賛美歌の響き、忘れ得ぬ春の光であった。 その二年後、今度はチューリッヒの教会で、はじめて復活祭のミサにあずかった。ちょうど一ヶ月前に、私はこの新しい土地でようやくできた大切な友人を、交通事故で失っていた。死の二日後、事故現場にほど近いフランス東部の町で行なわれたお葬式にかけつけ、動転した気持ちのまま、棺の中の彼女に対面した。その頭は事故のためにひどく破損したらしく、それを隠すためにぐるぐると布が巻き付けられていた。傍らで泣き崩れるご両親の依頼にこたえ、その冷たい顏に、私は、震える手で死化粧を施させていただいた。5ヶ月前に娘を出産したとき、真っ先に病院に見舞いにかけつけてくれたその友人と私とは、たった8ヶ月しか人生の時間を共有しなかったけれど、病み上がりの私が、こんなふうに新たな生命を宿すところまで回復したことと、その友との出会いとは、なにか同じラインの上にある出来事であるような気がしていた。「復活」というコンセプトを、重層的な仕方で受け止めた春。ミサの間、生前の友の明るい笑顔をずっと思い浮かべながら、祈るという行為が、血肉を伴ったリアルなものになった。 無宗教な人間だけれど、神秘的だったり厳かだったりする心の状態というものには、どこかで深い信を置いている。ハムステッドの白い教会で、チューリッヒの英語ミサで体験した心の状態は、まさにそうしたものだった。この次に再び復活祭のミサにあずかるのはいつになるだろうか。来年かもしれないし、数年先かもしれない。 冬の寒さが長く厳しい土地に住んでいると、春を待ち焦がれる気持ちが自ずと大仰なものになる。春が訪れた時の喜びも大仰なものになる。モクレンの蕾に目を細め、小川のせせらぎの音に敏感になり、マーケットに出揃う春の野菜にぐぐっと食指が動く。「復活」とは、そもそもこうした自然の再生の時が生んだ必然的なコンセプトだったような気がしてくる。宗教は、あとからそれにストーリーを与え、ファンタジーを添え、敬虔という味つけを加えたものであるような気がしてくる。 ことの真偽はわからないし、まあ、どちらでもいいのかな、と思う。すべての宗教の信者、そして無神論者たちに、スイスの小さな町から、(一日遅れで)Happy Easter & Happy Passover!!!!
by michikonagasaka
| 2015-04-07 06:38
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