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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2015年 07月 16日
![]() 集団的自衛権の行使容認を含む安保法案が16日午後の衆院本会議で可決され、衆院を通過した。そのどさくさに紛れるかのようにして、原子力規制委員会が伊方原発3号機の再稼働を認可。そのどさくさからあたかも目をそらさせるかのようなタイミングで国立競技場の計画見直しが発表された。 一連の流れを日本の外から眺めていて思うのは、いろいろな場面における「レベルの低さ」ということ。いずれも深刻な案件であるにもかかわらず、なにか対岸の茶番をみているような思いにとらわれる所以である。 折しもヨーロッパはギリシャ問題でもちきり。EU(特にドイツ)の課すお役所的で厳しい条件はどうかと思うし、そもそもギリシャに投資して大もうけした自国の銀行を国民の税金を使って救済することをプライオリティにしたつけが回ってきた感も否めない。だから私はここ数週間ほど、せっせとギリシャヨーグルトやフェタチーズを食べて、こっそりギリシャへ応援の「気」を送ったりしていたのだが(笑)、それにしてもかの国の内政における迷走ぶりと、対EUに向けた朝令暮改、場当たり的な議論など、「民主主義の生みの親」の老いさらばえた姿には、さすがにがっかりせずにはいられない。 そのギリシャの迷走ぶりが、日本の茶番とダブって見えるのである。「かつての一流国」などという表現は好きではないけれど、仮にある国々をそのような乱暴な表現でくくるとするならば、ギリシャも、そしてまた日本も、そこに入会する資格を持っているように思われてならない。 いまどきの世界で「一流国」として周りが納得するために欠かせない条件として、「経済力」や「軍事力」なんかよりももしかしてずっと肝要なのは、実は「人権」「環境」「人間の安全保障」といった分野におけるプレゼンスである。GDPはすごく高いのに国内の人権活動家を逮捕するような国は、たとえ国連の安全保障理事国であったとしても、「一流国」とは誰も思ってくれない。言論統制やマイノリティ差別が「公然と」幅を利かせている国を「一流国」とは誰も思ってくれない。国会が紛糾し、違憲の法律が楽々と通ってしまうような国もまた、「一流」とは思われにくいことだろう。 この安保法案に関して、あるいは特定秘密保護法のときもそうだったが、政権与党はその先にいったい何を実現しようとしているのか。法案を通過させることは、その先の「何か」を目的とした手段に他ならない。その先には、いったいどのようなグランドデザインがあるのか。目指している国家像とはなんなのか。・・・・・ということが、ちっとも見えてこない。安全保障に関する立法や、憲法解釈の修正変更は、いうまでもなく一国のお家の事情を超えて、世界地図に関わってくる出来事である。安保法案反対の市民運動(学生たちの団体や、学者の団体、母親の団体、物書きの団体、弁護士の団体などなど、デモに参加したり、声明を発表したりする団体がこんなにたくさん登場していることは、それはそれで素晴らしいことだと思うけれど)の抗議のトーンを見ていると、だが、世界地図の中でものを見ているものは非常に少ないことに気づく。 自衛隊に犠牲者が出ることに反対。 この法案はそもそも違憲である。 戦争反対。 次世代をになう我らの子どもたちを犠牲者としてはいけない。 それぞれもっともだとうなずく反面、(違憲の議論を除いた多くは)どちらかというと身近で内向きで、ときに感傷的なレベルにとどまっていることがやや残念ではある。 話はやや飛ぶが、数日前、各国の人権状況を観察報告するNGO「ヒューマンライツウォッチ」からJICAの理事長宛に送られた書簡をご存知だろうか。日本は長年にわたる世界最大級のドナー国でありながら、JICAは活動の中で人権に高い優先順位を与えておらず、相手国の人権上の懸念を理解するために必要なリソースも割いていない、そこを改善すべきである、というのがこの書簡の趣旨。 「人権に関する政府の巧みな言葉づかいと現実の運用とのあいだには激しい落差が長年存在してきました。」 「人権はJICA(あるいは外務省)内部で主要な関心事とされてはいません。人権外交が行われることはほとんどなく、特定の人権問題について懸念が表明されることはめったにありません。」 「JICA職員はきわめて熱心で優秀にもかかわらず、東京のJICA職員がJICAの事業に関連する人権問題のことを往々にして知らなかったことに私たちは大きな驚きはもちろん、ショックすら覚えました。ある国の全般的な人権状況と政治状況、また特定の事業に関連する人権侵害について、世界銀行やアジア開発銀行や二国間援助の実施国がそうであるように、職員の方々は基本的な知識を持つべきです。」 (以上、書簡からの引用) JICAに対するこの厳しい指摘は、けれど、日本という国が現在、世界において占めているポジション、あるいは世界で持たれているイメージと重なる部分がとても多い。世界最大のドナー国という形で貢献できる時代が過ぎ去った今、人権や環境、平和、反核といった分野で貢献していくことをこそ、国のグランドデザインとして描けばいいのに、とつくづく思う。 世界地図の中の安保法案と日本の行方 「自分たちの子どもが戦争の犠牲者になるのはいやだ」という感傷はもちろん私も理解できるけれど、そしてそういう草の根的な反対運動には、それはそれで大きな意味があると思うのだけれど、数でゴリ押ししてくる人たちに対しては、いくら感情に訴えかけても残念ながらあまり効果は期待できそうにない。国会での議論が「自衛隊から犠牲者が出るか否か」に集中しがちだったことについても、なんだか「自分たちのことだけ考えてる内向きな国」という印象を私などは抱いてしまう。 集団的自衛権を認めることは、現在の世界のジオポリティクスにおいて、国としてどのような意思表明を意味することなのか。「アメリカの同盟国ですよ」ということを声を大にして宣言することは、対ヨーロッパ、対アジアの隣国、対中近東諸国という文脈でどのようなポ自らのポジショニングをコンファームすることを意味するのか、そしてその結果、長期的短期的に、どのような影響の波及が予想されるのか。(頑固に「中立」を守り続けているスイスという老獪な小国に住んでいるせいか、よけいにこうした事柄に敏感になっているかもしれません。) 世界は今、どういう陣営配分になっているのか。かつてない難民が大量に流れ、国連ミレニアムは目標を達成できず、イスラム国の脅威が拡大し、ユーロ、そしてEUは、その矛盾が噴出。ドイツではつい二日前に90歳を超えるかつてのSS党員に有罪判決が下され、アメリカ軍が撤退したあとのイラクは、サダム・フセイン時代よりある意味ずっとひどいカオスになっている(それがイスラム国の温床になり、そこへの経済支援は、じゃあ世界のどこの国の誰がやってるのかという話にもなる)。アメリカではゲイの結婚が合法になり、各国のエネルギー政策は、フクシマ以降、大きな転換や変化を経験した。 日本の外では、毎日、いろいろなことが起こっている。そういう全体像を把握し、国際情勢リテラシーを高めないことには、政権与党の方々のお好きな「尊敬される国」になぞ、なれるわけがない。大学から人文社会系学科をなくそうなどと露ほどにも考える国では、「東大→JICA」的な優秀な官僚(ビュロクラートとテクノクラート)は育ち続けるかもしれないが、批判的・創造的な思考を持ち、世界の中の日本を俯瞰できる人材はますます乏しくなっていくことだろう。偉そうなことを言えた義理ではないし、愛国心とかそういうことは私の場合、非常に淡白だ。そして、戦争反対というスローガンそのものにもお腹の底の部分で大賛成(虫一匹殺せない人間ですし、争いごととか暴力とか大嫌いだから)なのだが、それはそれとして、あらゆる分野における日本の「世界オンチ」ぶりには、やはり失望せずにはいられない。今回の安保法案は参議院に送られ、そこで60日以上だらだら時間稼ぎすれば、やがて衆議院の三分の二以上の賛成という「数の力」で、成立してしまうのか。 民主主義という、この脆弱な(けれど、現存するものの中ではもっともマシな)ギリシャ生まれのシステムが、それでもなんとかポジティブに機能してもらいたいものだ、と切に願っています。 *冒頭の写真はギリシャのアゴラの門。Photo credit: Cornell University Library / Foter / No known copyright restrictions
by michikonagasaka
| 2015-07-16 17:05
| 考えずにはいられない
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