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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2015年 09月 07日
![]() 本日、チューリッヒでアニメ映画「ジュノー」の上映会があり、肌寒くて薄暗い朝だったけれど、元気を出して出かけてきた。 ドクター・ジュノー(1904〜1961)*というのは、スイス・ヌシャテル出身の医師で、57年という短い生涯において赤十字の活動に大きく貢献した人。そのジュノーが、やはり赤十字のミッションで1945年8月9日(広島原爆投下の3日後)、シベリア、満州経由で来日。広島と長崎の惨状を知り、占領軍に粘り強い嘆願をして15トンもの医薬品の提供にこぎつけ、自らも広島に赴き、熱心に被爆者たちの治療にあたった。その彼の銅像が広島の平和記念公園の庭園にあるということを、私自身は本日の映画を見るまで知らなかった。映画制作の発案から完成までの立役者、津谷静子さんも上映会にいらっしゃり、上映に先立ち、映画制作の背景についてお話しされた。映画の詳細はアニメのサイトでご覧いただくとして、いくつか備忘録的なメモを記しておきたい。 本筋とはかすかなつながりしかないのだが、アニメの主人公である二人の女子高生たちの日常として、学校における「いじめ」の情景がたびたび挿入されていた。知識としてはわかっているつもりでも、日本で子どもを育てた経験のない私には、日本の学校、ひいては日本社会における「いじめ」の現象、その独特に陰湿なスタイルと、それによって傷つく多くの子ども(と大人)たちの存在ということに思いを至らせずにはおられなかった。映画を一緒に観た娘と、この件についてあとで少し話をした。「人と違うこと」がなかなかポジティブに評価されにくい日本社会、日本の学校という現場で、いじめられている子を助けるという行為がどれだけ難しいことか、何か自分が「これだけは」と思うことについて「声を上げる」ことがどれだけためらわれるか。ちなみに娘の通う学校で、もし類似のいじめがあったなら、「あんたたち、そんなサイテーなことやめなよ」と立ち上がる子どもがきっといて、そうしてその子どもは級友たちから拍手喝采を受けることだろう、なぜなら、自分の考えを持ち、それを表明すること、そして人と違っていることはカッコいいこととみなされるから、というのが娘の見解だった。 私の住むスイス、および近隣ヨーロッパ諸国のメディア(+定期購読しているニューヨークタイムズも含め)では、このところ、難民問題が一面を飾らない日はない。シリア、アフガニスタンなど、紛争地からの大量難民が毎日、ヨーロッパに流れ込み、ヨーロッパ各国は、ダブリン合意(条約加盟国間では申請者が最初に「滞在」し難民申請をした国が、 その申立てについて責任を持って審査する、という取り決め)ではらちがあかないため、クオータ制を定めるなど、四苦八苦をしている。難民受け入れに反対するネオナチに対し、断固たる態度で臨むメルケル首相ひきいるドイツは、今回、難民たちの人気ナンバーワンの行き先であることもあるが、政府主導というよりは、むしろ国民一人一人の側からの、人種・宗教その他を一切問わず、人間をその尊厳というただ一点のみにてみつめよう、そうして困っている隣人に手を差し伸ばすのは当然でしょう、という暖かさと決意をみせてくれていて、隣国から彼らを眺めながら同じ人間としてほれぼれとする。(こちらは、ハンガリーから追い出されてやっとドイツにたどりついた難民たちを暖かく迎える人々の様子です。) 方や、東欧諸国は、ハンガリーやポーランドなど、国の要職にある人物が「イスラム教徒はご免こうむりたい」というようなことを白昼堂々と宣言するなど、西欧側に長らく暮らしてきた私から見ると、「なんと価値観的な隔たりがあることだろう。仮にそうした本心があるとしても、それをあっけらかんと言ってしまうという点において、なんとポリティカリーインコレクトで後進的、配慮のなさなのだろう、いまどき」という感想を抱かずにはいられない。 しかるに、考えてみればこうした難民を生む地域には、ほぼ必ず、欧米が「軍事介入してきた」という過去がある。シリアしかり、アフガニスタンしかり、イラクしかり。ドイツは集団的自衛権を持っている。そしてその集団的自衛権を用いて、アフガニスタンに軍隊を送った。イラク戦争のときは、大量破壊兵器など結局なかったのに、それを理由にアメリカをはじめとする連合軍が参戦(このときは、フランスもドイツも参加しなかったが、自衛隊は「後方支援」という形とはいえ、実際には米軍兵士の輸送など、人道支援という枠を明らかにはみ出る行為をしたことはよく知られている)。かき回したいだけかき回し、大義があやしくなり、防衛費がかさみ過ぎたらさっさと撤退。その後のカオスで国は荒廃、そしてそれがイスラム国が台頭するための温床を育む直接間接的な原因となったのは周知の事実だ。 難民問題は、ことヨーロッパだけの問題ではない。世界のすべての土地における紛争、内戦、戦争、テロといった争いや殺戮の、決して避けられない副産物としてそれはある。(ちなみに、昨年の日本の難民認定は11人。ドイツは今年だけで少なくとも30万人の申請を見積もっている。) 人間、いい加減、歴史から学んだら、と、心から思う。そして、難民問題と広島とドクター・ジュノーで頭がごちゃごちゃになった一市民として、やはり、安保法制は廃案にすべきだという「私の考え」を、あらためて表明しておきたい。その理由はすでにあちこちで書いたり口にしたりしているので、ここでは繰り返さないけれど、単純な算数として、防衛費を増やすかわりに、難民を少なくとも1000人単位で日本は受け入れるべきだと思う。イラク戦争に加担した国の責任としても、また、そういうことを超えて、単純に困っている隣人に手を差し伸べるという意味でも。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー *ドクター・ジュノーの日本滞在時の足跡について、映画のサイトから以下、引用。 「博士が耳にする情報は人から人に伝えられたものでしたが、その内容は現実のものとは思えない、耳を塞ぎたくなるものでした。 9月1日、外務省は初めて博士に広島の写真を見せます。そこには6000度の熱風に飲み込まれたこの世の地獄が写し出されていたのです。 次の日、広島へ派遣した調査員から電報が届きました。「恐るべき惨状ノノ街の90%壊滅ノノすべての病院が倒壊または修復不能な大損害を被る。仮設病院に収容された負傷者への器材、包帯、医薬品は完全な欠乏状態にありノノ連合軍上層部からの特命を求め直ちに街の中心部へ救援の落下傘を投下するよう要請されたしノノ緊急行動を要すノノ」。それは、10万を超える人が一瞬でこの世から消え去り、今なお10万を超える人々が十分な手当てを受けることができずに苦しんでいるというものでした。 博士は写真とこの電報を持ってGHQへ駆け込み、救援の交渉を行いました。交渉は難航しますが、5日後、マッカーサー元帥から回答が届きます。「米軍は直接救援活動には従事しない。しかし15トンの医薬品と医療資機材を提供する」。元帥の決断の背景にメ連合軍の恩人モであるジュノー博士への感謝の気持ちが溢れていたことは否定できません。9月8日の朝、15トンの医療品を積んだ6機の米軍機が厚木飛行場から飛び立ちました。博士は広島上空にさしかかったとき、眼下に広がる「象牙のように輝く白亜の砂漠」を目にします。 博士は被害調査にあたるとともに、自らも治療活動に携わりました。博士がもたらした15トンの医薬品のなかには日本にはまだ導入されていなかったペニシリンなどが含まれており、日本の医師たちはその効果に驚いたということです。博士がいなければ助からなかった命がいくつもあったのです。博士はまさに、広島の恩人というにふさわしい人物でした。」 **photo サイゴン陥落(1975年)のあと、大量のヴェトナム難民が海を越えた。manhhai / Foter / CC BY-NC
by michikonagasaka
| 2015-09-07 02:26
| 身辺雑記
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