序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2015年 10月 11日
どんよりと曇った土曜日、このまま家にこもっているのもどうかと思い、元気を出して町中の中華ショプに出かけた。この手の店で売られているいつまでたっても腐らない野菜には、それなりの仕掛けがあるに決まっているとはわかっているけれど、根菜の類を溺愛しているので、蓮根やゴボウ、山芋などが時々はどうしたって食べたくなる。毎日大量に食べるわけではないし、まあいいことにしよう、とかすかな心配を抑え付けて、今日も私は蓮根、オクラ、空心菜、ニラなどをカゴに入れ、それ以外のコーナーには見向きもせずに一気にレジへと向かった。 「こんにちは」でも「いらっしゃいませ」でもなく、ただただぶっきらぼうに客をさばいていくレジのご婦人は、案の定、私の番になっても愛想のひとつもないばかりか、蓮根を、オクラを、空心菜を、レジに値段を打ち込んだ先から、いかにもぞんざいにポンポンと投げ出していくのである。 あ、あ、あ、そんな乱暴に・・・・と、はやる心を理性で押えつけ、能面の顔を死守した状態で勘定を待ち、お金を払った。滑り止めのためか、そのご婦人は右手にピタリと張り付く黒いゴム手袋をしている。冷たいラテックスの指でお釣りをつかんだかと思うと、今度はそれを私の手の平にバサリと投げ捨てるように置き、レジ袋をひょいと一つ、ひっぱがしてこちらへ投げてよこした。 いつものことなので、今さら驚くほどのことではないのだが、このわずか十数秒くらいの間に、私は自分の心のどこかがざわつくのに気がつき、そのざわつきが重層構造になっていることにも気がついた。 異なる文化や生育環境を持つ人々によってこの世界は成り立っていて、それが多様性ということだ。人並みの教育を受け、まさに多様な世界と隣り合う仕方でここ四半世紀ほど暮らしてきた私は、多様性そのものについて、自明のこととしてこれを受け入れ、これに賛同し、そこからはみ出る出来事や心理というものには「それは違うんじゃないか」とずっと思い続けてきた。 けれど、こんなふうにして、食べ物をぞんざいに投げ出したり、お金を乱暴に投げつけたりする「行為」や、柔らかい笑顔や挨拶の言葉のない「状況」には、毎回、心のどこかがぽろりと反応し、心のどこかで小さなダメージを受けてしまう。この小さな傷を、そのまま無邪気に大手を振って受け止めたのであれば、その先にはきっと「差別の感情」というものが首をもたげて待っている。そのことを、やはり教育を受け、多様と同居してきた私はよく知っている。よく知っているからこそ、小さな傷は、そこで強制終了してディリートし、そして先に進んで行く。それが多様性の中に暮らす日常というものなのである。 自分に嘘をつくのでない限り、小さな傷そのものを最初から受けずに済む人間に変身することはできない。それが私自身の文化であり生育環境であり、そうしたものへの愛着だったり居心地のよさの感情だったりするからである。 違いや無知というものが、人間に備わる差別感情のもとにあるということを私は教育と経験によって学んできたけれど、教育の機会にあまり恵まれず、とても限られた狭い経験しか持たぬ人にまで、多くを求めることの難しさを日々痛感する。だからこそ、教育と見聞というものの価値をいっそう謳いたいのであるが、とはいえ、自分の中で決して消え去ることのない「愛着」の部分までをも否定することはとうていできそうにない。自分の慣れ親しんできた価値観や作法や道徳観といったものを否定することなく、なおかつ、多様性をくぐもりのない心で抱きしめることは、自分に正直になればなるほど、一筋縄でいかないことを思う所以である。ぶっちゃけていうのなら、自分のアイデンティティや習慣への愛着と、そこからずれるものに対する差別感情とは、実のところ、危うい均衡上にある紙一重の出来事、という実感があり、そのことをまたまたま思い出さされたために、中華ショップのレジのところで、私は表面上は能面を装ったまま、ひそかに動揺したのだった。 この夏、日本で二週間余り過ごしたが、ある朝、なにか尋常でない物音で目が覚めた。前の晩は遅くまで仲間たちとの楽しい宴が続き、床についたのは夜中の2時か3時頃だったから、到底寝足りていたとはいえないのだが、あまりのやかましさにやれやれ、と起き出した。カーテンを開け、さらに二重になったガラス窓を5センチほど開けてみると、その音が、今度ははっきりと聞き取れた。それはいわゆる右翼の人たちのデモだった。 六本木という場所柄、こうしたデモにはこれまでたびたび遭遇してきたが、その朝のものはこれまでとはどうも様子が違う。一人の人が何かを叫んでいるのではなく、複数の声が、てんでばらばらにスローガンを叫んでおり、それが延々と続く。てんでばらばらな不協和音の中に、時折甲高かったりボリュームが大きかったりする声の持ち主のものが際立って聞こえてくる。それはここで文字にすることがはばかられるような、耳を覆いたくなるような誹謗中傷の言葉たちであった。 二時間ほどして、用事があって外に出た私は、あのデモがまだ続いていることを今度は視覚的に理解した。外苑東通りを飯倉のほうに向けて、途切れることのない車の列が、のろのろと進む。それぞれの車には迷彩服や格闘着のようなものを着たリ、はちまきをしたりヘルメットをかぶったりした老若男女が乗り込み、手持ちのマイクで延々とスローガンを叫び続け、軍歌なども流れている。8月9日。ソ連対日参戦から70年後のこの日、ロシア大使館、中国大使館、韓国大使館などが立ち並ぶこの界隈で、一日がかりの大掛かりなデモが企画された由で、丸一日、途切れることなく「ヘイトスピーチ」の類が、界隈の空に、街に、鳴り響いていた。 そこで放たれる悪意に満ちた言葉の数々は、私に向けられたものではないにもかかわらず、私にはけっこうこたえるものであった。そうした言葉を放つ彼らの顏には、時に薄笑い、時に恍惚の表情があり、いずれにせよ、なにか一心不乱に突き進んでいくものの狂乱的なお祭り騒ぎの様相を呈していたことは間違いなかった。 およそ、人を糾弾したり、断罪したりするということは、レベルの低いヘイトから、高邁な理念に突き動かされた市民運動に至るまで、どこかこの狂乱的なお祭り騒ぎの気分へと人をいざなうものであることを思う。そして、その狂乱の部分に対する個人的なミニ・アレルギー反応があるために、私自身は人と一緒になって「闘う」というスタイルが、やはり不得意なのだな、ということも。 日頃、リベラルを標榜してはばからぬ私のような人間でも、糾弾とか断罪という心の動きには、どうも嬉々として乗っかっていきづらい。冒頭の中華ショップの逸話が証明するように、自分の中のグレイゾーンというものを、すべて「なかったこと」になどできない。自信をもって何かを、誰かを糾弾したり断罪したりするには、このグレイゾーンが邪魔をするからである。 基本的人権とか表現の自由が脅かされるのは絶対よくない。立憲主義がぶっちぎられるのもよくない。なぜならそれらは、私という個人が普通に享受している「よいこと」を、最終的には奪いさる方向にいくものだから。 早朝の犬の散歩で、木々の葉が一日一日と色を変えて行くことを実感する。爽やかな緑色と、深い紅葉との間のこの中間地点というものに心が動かされる。白でも黒でもない、その間のグレーゾーンで、なるべく人を傷づけることなく、人の痛みに敏感で、そして差別的な感情や憎しみや怒りの感情からは離れたところに居続けたいと思う。そういう部分を今風に言い換えるならば、人権や人間の尊厳の尊重ということにつながり、多様性への理解と讃歌ということになろうか。右とか左とかそういうイデオロギー的なものではなくって、隣の人、目の前の人、隣国の人、遠い他国の人、一人一人の「身になって」という感じで、グレーゾーンをのんびり歩いていこうと思う。 中華ショップの後、切らしていた食材を購入するために、市内の日本食品店に立ち寄った。レジのお兄さんは、おそらく留学かなにかでこの地に来ているのだろう。まだあまりヨーロッパ化されていない表情や仕草がなんとなく初々しかった。商品を一つ一つ丁寧に置き、冷たいものとそうでないものをきれいに分けて袋に入れてくださる。控えめな笑顔で「ありがとうございます」と軽く会釈し、レジ袋の手のところをくるくるっと一つにまとめて私が持ちやすいようにしてくださる。そう、これが私が愛着を抱く「習慣」であり「仕草」「態度」というものなのである。こういう優しく繊細な「国民性」(あえて、そういってしまいましょう)は、ああ、いいもんだな、と安らぐ。何年経っても、この部分は変わらない。同化とか順応ということと、変われないものとの狭間に日常が宙ぶらりんにぶら下がっている。
by michikonagasaka
| 2015-10-11 20:37
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