序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2015年 11月 21日
この度のパリでの事件に関し、深い哀しみやショックを受けたのは当然で、その後、フランスをはじめとする各国のメディアを追ってきましたが、これはその中で出会った記事の一つ。ベルギーの作家ヴァン・レイブルーク氏※が、フランスのオランド大統領に宛てた公開書簡がル・モンド紙に掲載されたものです(原文はオランダ語)。言葉の持つ重みということに対し、私は個人的に非常に敏感です。今回の騒ぎの後、オランド大統領の放った勇ましい言葉の数々には、その乱暴で思慮に欠けた側面に対し、大きな違和感を抱きました。事件の三日後、フランスはシリアのラッカに空爆を開始。戦略上の是非については、私にも本当のところはよくわかりません。けれど、戦争や殺戮という営みがエスカレートしていく中で、言葉の持つ暴力性、煽動力という要素は決して無視できないものであることを常々痛感してきました。そのあたりのことをわかりやすく解き明かしている書簡だと思いましたので、ここに訳出を試みました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ フランス大統領閣下 11月14日土曜の午後、あなたがスピーチの中でお使いになった用語の驚くべき軽率な選択に私は凍り付きました。これは「武装したテロリスト」による「戦争犯罪」だといわれた箇所です。大統領の言葉をそのまま引用します。 「昨日、パリとおよびンドニのサッカースアジアム近くで起きたことは戦争です。戦争に際し、我が国は相応の決断をしなければなりません。これは、フランスに対し、そして世界中で我々が擁護する価値観に対し、我々が依って立つところ、すなわちこの地球全体に向けて語る自由な国というものに対し、イスラム国という武装したテロリストによって仕掛けられた戦争行為なのです。国内にいる分子との共謀によって国外で計画され、組織され、準備され、いずれ我々の捜査によって暴かれることになる戦争行為です。これは絶対的な野蛮行為であります。」 最後の一文には私も同意しますが、それ以外に関しては、これがののしり言葉の反復であり、9・11の後にブッシュ大統領が米国議会で述べた演説、「自由への敵が、我が国に対して戦争行為をしかけました」という、あの演説とほぼそっくりなものであるということに思い至らずにはいられません。 《地域の不安定化》 この歴史的なスピーチの結果については、周知のところであります。ある行為について、それを「戦争である」と国家元首が定義したのであれば、相応の対応、つまり目には目をということになります。というわけで、ブッシュ大統領はまず、アフガニスタンに侵攻しました。アフガン政権はアルカイダに避難場所を提供していたことを鑑みれば、これはまだ受け入れる余地もありました。国連もこの時はお墨付きを与えました。しかるに次いで、今度は国連の承認を得ることもなく、大量破壊兵器を保持している疑いがあるとの理由のみでイラクへの狂気じみた侵攻に突き進みました。この疑いは後にまったく正当性のないものであることが判明したのみならず、さらにこの戦争によって地域のひどい不安定化がもたらされ、それは今日もまだ続いています。 2011年、アメリカ軍の撤退によって、イラクには統治権力の空洞化ということが起きました。その後まもなく、「アラブの春」の動きに連なる形で隣国に市民戦争が勃発したとき、アメリカ軍の侵攻がいかに、有害なものであったを我々はよく理解したのでありました。帰属基盤を失ってしまったイラクの北西部、そして政府軍と自由シリア軍の間で分断されてしまったシリアの東部に、第三の大きな勢力、イスラム国が台頭するに足る空白のスペースが生じてしまったのでした。 ブッシュ大統領の愚かなイラク侵攻がなければ、イスラム国もまたなかったことでしょう。2003年、数百万人がイラク戦争への抗議に立ち上がりました。私もまたその一人でした。世界規模の反対運動でした。我々には結果的に理がありましたが、それは当時、我々がこうした未来を予測し得たからではありません。そこまで見通すことは我々にもできなかったのです。しかし今日、我々は知っています。11月13日にパリで起きたことは、2001年にあなたの同僚であるブッシュ大統領が用いた戦争のレトリックというものの間接的な結果であるということを。 それなのに、あなたはなにをなさっているのでしょう。騒ぎから24時間もたたぬうちに、当時のブッシュ大統領と同じ用語を用い、おまけに「聖なる善意」をふりかざして反応するとは。これは大変に危険なことです。 大統領、あなたは落とし穴にはまってしまった。しかも、両の目を見開いた状態で。なぜならあなたは、ニコラ・サルコジ氏やマリーヌ・ルペン氏ら、禿鷹の熱い息があなたの首に襲いかかるのを感じたからです。あなたにはもうずいぶん長らく、弱腰という評判がついて回っています。それで落とし穴にはまってしまったのです。間もなくフランスでは選挙があります。12月6日と13日。地方選挙に過ぎないとはいえ、今回のテロ事件を受け、この選挙の最大の争点は間違いなくセキュリティ問題になるはずです。あなたは頭を垂れて落とし穴にはまってしまった。なぜなら、まさにテロリストたちがもっとも望んだことを一字一句、明言してしまったからです。つまりそれは「宣戦布告」ということでした。あなたは彼らテロリストからの聖戦への招待を情熱を持って受けてしまいました。しかし、この返答、あなたはそれを「毅然としたもの」というふうにお思いになりたかったのでしょうが、それは暴力の連鎖を加速させる怪物的な危険を犯したことに他ならないのです。分別のあることだとは思われません。 「テロリスト軍隊」という言葉をあなたはお使いになりました。まず、かくなるものは存在しておりません。これは言葉の自己矛盾です。「テロリスト軍隊」というとき、それは過食症の政体のようなもの。国家や団体は軍隊を持つことができますが、軍隊を訓練できない場合にはテロリズムという手段に頼ることが可能です。つまり、地政学的な野心を伴った構造的な軍事力ではなく、心理的な打撃を最大限発揮できるような局限的な行為に頼るという方法です。 にもかかわらず、あなたは「軍隊」という言葉をお使いになりました。ここははっきりしておかなければなりません。現時点で、今回の事件を起こした犯人が、シリアから舞い戻った兵士なのか、わざわざ送られてきたそれであるのかはわかっていません。テロ行為が、かの国で企まれたのか、あるいはパリ郊外やどこか町中の地区で企まれたものなのかも、わかっていません。いくつかの点で、これがシリアに端を発するグローバルな計画であることを示唆しているとはいえ(レバノンでの自爆攻撃、ロシアの飛行機への攻撃とのほぼ同時といえるタイミングなど)、イスラム国の声明が出るにはずいぶん時間がかかっている上、そこにはネット上で出回っていること以上の要素はふくまれていないことに注意を払うべきでしょう。あらかじめコーディネートされたものなのか、後付けのことに過ぎないのか。 《好戦的なレトリック》 我々が知り得る限り、これは、おそらくコントロールを免れた個人(その多くはシリアから舞い戻ったフランス国籍保持者)の仕業ということでしょう。武器や爆弾の扱い方を覚え、全体主義的、隠れ神学的なイデオロギーに洗脳され、軍事的活動に慣れ親しんだ個人であることでしょう。彼らは、間違いなく「怪物」になってしまった者たちでしょうが、けれど「軍隊」ではありません。 イスラム国の発表した声明は攻撃対象として「入念に選ばれた場所」ということを自画自賛します。あなたのお国の秘密警察は、彼らのプロフェッショナリズムを強調します。この点において、両者は同じ言葉遣いをしているのです。でも本当のところはどうなのでしょう。大統領、あなたが仏独の親善試合を観戦していたスタジアムにやってきた三人の男たちは、どちらかというと素人くさくはありませんでしたか。彼らは競技場内に入り、あなたをも標的にしたかった、その可能性は非常に高い。しかし、そのうちの一人、マクドナルドの近くで自爆しつつ「わずか一人の犠牲者」しか出せなかった男は、まったく大したことのないテロリストでした。あの競技場からは、その後8万人の観衆が出てきたことを思えば、自爆者三人に対して「わずか4人の犠牲者」しか出せないようなものは、まったくの役立たずです。コンサート会場で大量殺戮をもくろみつつも、非常口をブロックすることを思いつかなかった4人の共犯者たちもまた、戦略の天才というわけにはいかないでしょう。車上から飲食店のテラスに座っていた無辜で丸腰の市民に発砲した者は、戦術を身につけた軍人ではなく、ただの卑怯者、愚か者、自らの運命を似たり寄ったりの他の者たちになぞらえようとする、我を失った人間に過ぎません。 「テロリスト軍隊」というあなたの分析は説得力がありません。「戦争行為」というあなたの用いた用語は、非常に偏った誘導的なものでありました。この好戦的なレトリックが、なんの恥じらいもなくオランダのルッテ総理大臣やベルギーのヤンボン内務大臣によっても口にされたにしても。国を落ち着かせようとあなたは試みたのでしょうが、それは世界の安全を脅かすことになるのです。勇ましい用語を頼りにすることは、弱さを露呈することなのです。 戦闘的な言語以外にも、堅い決意を表現する方法はあります。ノルウェーでのテロの直後、シュトルテンベルグ首相は「さらなる民主主義、さらなる開放、さらなる参加」ということをいいました。あなたのスピーチは「自由」ということに触れています。共和国精神の残りの二つ、「平等」と「博愛」について言及することもできたでしょう。それこそが、あなたの戦争語レトリックよりも、我々が今、より必要とするものではないでしょうか。 ※David Van Reybrouck/ベルギーの作家、コラムニスト。「コンゴ、一つの歴史」で2012年メディチ賞を受賞、著書多数。 Photo credit: -Reji / Foter.com / CC BY-NC-ND
by michikonagasaka
| 2015-11-21 06:50
| 考えずにはいられない
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