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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2016年 04月 01日
![]() 私が住む家の周りにはシュレーヴァーガルテンと呼ばれる家庭菜園が右に左にたくさん連なっている。チューリッヒ市が所有する土地を市民が家賃を払って借り、土を耕し、野菜や果物を育て、小さな小屋などを建てて日曜ともなると家族や友人を集めてバーベキューに興じたりする。そんな習慣がここではごく一般的だ。犬の散歩で近所をうろつく毎日、彼らが丹誠込めて育てた野菜たちの生きのよさ、可愛らしい不格好さ、彩り豊かな四季折々の風景に私の口もとも思わずほころび、育て、収穫し、味わう喜びの一端に参加させてもらった気になっている。 喜んで土をいじる人にそうそう悪人はいないだろう、という大ざっぱな思い込みを裏付けるかのように、目が合えば挨拶の言葉を交わす程度のお付き合いの彼らは、総じて人の良さそうな、いかにも正直な庶民の風貌。そんな彼らとは、これまで一度たりとも「不愉快な思い」を抱くことなく、さわやかなお付き合いをさせてもらってきた。それが当たり前だと思っていた。 そんなある日、いつものように犬を連れてシュレーヴァーガルテンに挟まれた小道を歩いていると、左手前のあたりから、「ニーハオ、ニーハオ」と、明らかにはやし立てるトーンで叫んでいる男がいる。目の端でそっと確認すると、そこには20代と思われる男が二人、私のほうを向いて、しつこく「ニーハオ」と叫び続け、いつ、私が反応するかと固唾を呑んで待ち構えている様子。 わあ、なんて珍しい!!! スイスの、ことにチューリッヒの市内で暮らしている限り、この手の一昔前のスタイルの人種差別的言動には、まず出くわさない。おやおやおや、これはいったいどうしたことでしょう。 もう一度、顏をそちらに向けることなく、こっそりと目の端だけで様子をうかがったところ、彼らはご丁寧に指で両の目の端をつり上げて、彼らがイメージするところの「アジア人顔」を作りながら、相変わらず、ニーハオを連発し、私が一向に反応しないので、「ちっ」と舌打ちまでしているではないか。 彼らの風貌は、彼らの出自を物語っていた。彼らはほぼ間違いなく、バルカン半島のどこかから、旧ユーゴスラビアのどこかから、スイスへ移民してきた人たちだった。一世代目なのか、あるいはこちらで生まれた二世代目なのかは不明だが、顏のつくり、髪の感じ、体つき、そして仕草や洋服の感じ、言葉づかい、どれをとっても、その出身を裏切らないステレオタイプのものだった。 そちらを振り向いて、スイスドイツ語で憎まれ口の一つでもたたいてやろうかと思ったが、やめておいた。ぴゅうぴゅうと口笛をふいて喜んでいる彼らを背にして、ふと、思い出した、20数年前に訪れたギリシャの田舎道での出来事を。 右も左もよくわからぬ田舎道を歩いていた私と妹のあとを、地元の子どもたちが追いかけてくる。10メートルくらいの距離をおいて追いかけてくるのだが、こちらが振り返ると、さぁ〜っと逃げていく。「中国人」という意味のギリシャ語ではやしたて、例のキツネ目を両の指でつくりながら、しつこく追いかけてくるのである。 その頃、私はパリに住んでいたけれど、パリでこんな目に遭ったことはなかったから、少々驚き、そして、子どものすることとはいえ、やはりどことなく不愉快だった。子どもたちがようやく去っていったかと思ったら、今度は前方からギリシャ正教会の聖職者たちの軍団が歩いてきた。全身黒ずくめの僧服で、頭には黒い帽子をかぶり、長いあごひげを生やしていた。パリのマレ地区で時折見かけるユダヤ正教徒たちの黒ずくめとよく似ていたが、ギリシャのほうが、なぜかより「前時代」感がずっと濃厚という印象があった。時折通りかかる、いかにも田舎風の質素なカフェの店先では、男たちが昼間っから白いお酒、ウゾをあおりながらカードゲームに興じていた。女は一人もいない。カフェにも道にも、本当に一人もいないのである。 日が沈む頃、ようやく女たちの姿をちらほら見かけるようになった。彼女たちはみな、初老かそれに近い年齢で、そのうちの多くが真っ黒な服をきて、頭には黒いヴェールをかぶっていた。夫に死に別れて以降、残りの人生を、彼女たち、初老の未亡人はこうして黒い服に身を包み、喪に服し続けるのだということを聞いた。ここにもまた、非常に「前時代」的なものを感じて、ここがパリから飛行機で二時間ちょっとの場所ということがにわかには信じ難かった。 前世紀の終わり頃のギリシャの片田舎には、「解放された女性」も「人種や文化の多様性を普通と思う感覚」も「英語を話す人」も存在していなかった。街にはトヨタの古ぼけたミニトラック(ピックアップトラック)があふれていて、人々の様子は貧しく、粗野で、シャイで、西欧社会ふうの「民主主義的価値観」とはずいぶんほど遠いところに暮らしているように見受けられた。 * * * ![]() 今どきのチューリッヒの人たちの多くは、アジア人を見ても別になんとも思わない。そのアジア人が、完璧なスイスドイツ語を話したとしても、そんなもんか、と思うだけである。逆にそのアジア人があまりドイツ語が上手でなければ、丁寧にゆっくり標準ドイツ語(方言のスイスドイツ語ではなく)を話すか、あるいは英語を話して対応しようとするだろう。「ニーハオ」といってはやし立てるなどという失礼なことは決してしないのものなのである。 20年前のギリシャ。数日前のチューリッヒ。そこに共通するのは「後進性」ということである。私はやみくもに「進歩」や「進化」を信奉したり崇拝したりするものではないけれど、我ら愚かな人間たちも、ほんの少しばかりは歴史に学ぶということをして、ほんの少しばかり「まし」になる、いや、そう「なりうる」、ということにはかすかな希望を抱いている。希望の鍵は教育。そんなふうに思ってきた。 学校教育をはじめ、生まれ育つ環境の中でのさまざまな学びによって、人は元来抱きがちな「差異への恐怖」「差異への違和感」といったことを少しずつ、克服していく。たとえ、100パーセント克服できていないとしても、それがゴールということをなんとなく知っていたならば、沸き起こる差別感情を制御しようとしたり、少なくともそれを表には表さないように自制する、ということは学ぶ。 「そんなことしちゃいけませんよ」と親にいわれる経験、「多様性はいいことだ」と学校で吹き込まれる経験、そしてなによりも、いろいろな人々と身近に共生する日々の暮らしという生きた経験。 同じスイスという国の中に暮らしながら、移民の彼らは、もしかしたら、自分たちが受けてきた差別への恨みのはけ口を、「さらに下の階層の移民たち(つまり私 笑)」に向けて放ちたい衝動もあるかもしれないし、あるいは単に、スイス的な価値観を吹き込んでくれる親をはじめとする大人たちに接する機会が、普通のスイス人の子どもたちよりずっと少なかったのかもしれない。 後進性というと、なにやらそれ自体、差別語のようだけれど、テロの問題、難民や移民の同化における困難の問題等を考える際に、これは当然、あちこちでしつこく頭をもたげてくる、決して無視し得ない足かせであり、ハードルである。男女平等という概念がほぼ存在しない国々から、ヨーロッパの国に移民してきた人たちが社会の中で巻き起こすさまざまな軋轢の問題ひとつとっても、それは明らかである。 20年前のギリシャでは、私は、ニーハオとはやし立てられてムッとしたけれど、現在のスイスで同じことをされても、もはやムッとしたりはしない。うーむ、と考え込むだけである。なぜなら、彼らは単に「そういうことはしないものだ」ということを知らないに過ぎないし、容貌は異なっていても、同じ人間なのだ、ということもよく理解していないだけ、そのことを、今の私はよくわかっているからである。 同化とは、実に長い長い道のりである。そして、これははっきり言っておきたいのだが、ヨーロッパ、ことに西ヨーロッパの人々の大半は、昨年11月にテロのあったパリの人も、ついこの間、テロ事件の起きたブリュッセルの人も、そして難民であふれ返るドイツの人も、「嫌悪」という方向には向いていない。ショックや悲しみや無力感の中から再び思い直し、長い長い道のりを、またなんとか歩いていこうという意志をもっている。 つい最近も、海を越えて難民が到着するギリシャの海岸まで、トラックを自ら運転して物資を届けにいくご婦人(チューリッヒ市近郊の村の婦人会の方)からの依頼に応えるべく、私も家にあった寝袋をいくつかかき集めた。自宅に難民を受け入れているスイス人もとても多い(ちなみに人口わずか1万人ほどのその村では、40世帯がそういうことをしているそうである)。 人間同士の連帯が生きている土地に暮らしているのは、やはり幸せなことだし、希望のもてることでもある。ニーハオの彼らも、いつかアジアにもいろいろな国や言語や文化があることを知るかもしれない。ひょっとしたらそんなアジアのどこかからやってきた人と恋に落ちたりするかもしれない。それが自分と違う宗教の人である可能性も高い。そういう経験を積み重ねていくと、おそらく、次の世代の子どもたちは、もうニーハオをしなくなる。これもまた、一歩、前進する、ということなのだと思う。
by michikonagasaka
| 2016-04-01 07:03
| 考えずにはいられない
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