序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2016年 04月 23日
先日、在スイスの大学の後輩たち数名と会食する機会があった。何かの拍子で「京一会館」を持ち出したところ、誰一人その存在を知らない。 「なんですか、それ?」 (「なんですか、それ?」って、なんですか???? とこちらは愕然とする) まさか名称の記憶違いなどということがあるだろうか、と、近頃、めっきり弱くなった自分の頭のことが心配になり、慌てて調べてみたところ、この伝説の館は1988年に営業を停止、閉館となったことがわかった。 80年代前半当時、京都には祇園会館と京一会館という二軒のいわゆる「名画座」があり、平日の昼間に小津と溝口とか、ヌーヴェルヴァーグなどの二本立て、三本立てがかかっていた。私たちのような暇な学生とか、なにをやっているのかよくわからない自由業風情の大人が、外の陽光から逃れるようにしてぼんやりと暗闇に(多くは一人で)数時間座り続けている、映画を観ているのか昼寝をしているのかよくわからない・・・・そんな、呑気にして少し(いや、かなり)裏ぶれた場としてそれなりの需要もあり、京都の街の一角で、ごく普通に機能していたのだった。 京一会館は、叡電の一乗寺駅を降りてすぐのところ、定食屋や銭湯などがごちゃごちゃと並ぶ駅前商店街に面していた。私の下宿から歩いて三分くらいのところにあり、界隈の学生たちがここを「愛用」していたことを知識としてはむろん知っていたけれど、実は私自身は一度も足を踏み入れたことがない。名画と日活ロマンポルノの系統とがなんの不都合もなく共存していたその館は、うら若い女学生には、やはり敷居が高かったからである(笑)。なので、「名画」を見るためにはもっぱら祇園会館へ(あとは、学校近くの日仏会館とかゲーテインスティテュートなど)。「天井桟敷の人」々とか「ブリキの太鼓」など、当時の「教養ある人々」にとっての「必須映画」とみなされていたものを、半分は純粋な好奇心から、残りの半分は「見ておかないと恥ずかしい」というケチ臭い虚栄心から覗いたものであった。 祇園会館のほうは、現在もそのままの場所に存在しているようだが、映画上映は2012年をもって終了したとか。ならば、今、京都の人は、どこで「名画」を見ているのだろう。あまり一般受けしない、ハリウッド娯楽大作でないニッチなものを嗜好する人々は、どこに出かけているのだろう。 こんなことをふと考えたのは、先頃、チューリッヒで行なわれたGinmaku Festivalという日本映画祭で新しめの邦画を二本、そして、町中の小さな劇場でドイツ映画を一本、合計三本の「地味な映画」を観たところだったから。 動画界ではユーチューバーが活躍し、ストリームが跋扈し、今やDVDを買ったりレンタルする人口も激減していることと思われる。活字界でブロガーが活躍し、有象無象のウェブペイバーが跋扈し、雑誌や新聞や本を買う人口が激減しているのとまったく同じだ。そういう時代において、映画館の役割ってなんなのだろう、と、さすがに私も心配になってくる。生き残りの可能性、いや、生き残る意味そのものがあるのだろうか、そもそも。 縁あって、上記、Ginmaku Festivalのオープニングにお邪魔した際、その日に上映が予定されていたドキュメンタリー映画「牡蠣工場」の想田監督と雑談する機会があった。上の疑問を率直にお尋ねしたところ、「映画産業の両極化」ということをおっしゃった。「娯楽大作と、マイナーなニッチ系とにはっきり分かれていくでしょう。その意味でもチューリッヒにこのような映画館(映画祭が行なわれたKino Houdini)が新しくできているということは、非常に時代の最先端を行ってる、と感心しました」と。 確かに普段、私が通う映画館(Art House)は、もっぱら「マイナーなニッチ系」ばかりをかけている。本当に本当にマイナーな、たとえばイラン映画とかアフガニスタン映画といったもの、あるいは(ボリウッドでない)インド映画、そして日本映画もこの頃はよくかかるが、最も多いのは普通のヨーロッパ映画。北欧の国々からポルトガル、スペイン、ギリシャ、そしてチェコやハンガリーなどの映画で、当然ながら当たり外れもあるし、言葉がわからないので、字幕を追うのに大変忙しいわけだが、たいがいはがら空きの館内で、案外座り心地のよい椅子に深く身を沈めての二時間は、スマホもフェイスブックもワッツアップも入り込まない、いまどき、非常に贅沢な時間なのである。 上記、三本の地味な映画、と書いたものを、好きだった順にその題名をあげておこう。 Grüsse aus Fukushima (フクシマからこんにちは) 牡蠣工場 野火 感想、その他については、すでにあちこちに断片的に書き散らしているので、ここでは省略。 もうかれこれ20年以上前、フランスでexception culturelle(文化的例外)というコンセプト&政策があった。大きな資本力と、英語という世界共通語を武器に世界をどんどん制覇していくハリウッド映画に対し、フランス映画の文化的例外性を評価し、自由競争に「保護主義」というくさびを打ち込んでこれを守ろう、という思想がその背景にはあった。商業主義一辺倒だと、そこから抜け落ちるもの、忘れ去られるもの、そもそもひっかかりもしないもの、というのが無数に出てくるのは自明の理。そして、一般大衆というのは、安きに流れるもの、というのもまた、無理からぬことである。いわゆる「芸術性」が高ければ高いほど(と便宜上いっておくけれど、芸術に高低などを軽々しくつけるのがそもそもおこがましく浅ましい、という羞恥心も、もちろん私はもっている)、一般には受けないものであるし、共感を得るのも難しい。 チューリッヒのArt House やKino Houdinの系譜のミニシアターが、たとえ、公的補助等に頼るパラサイト的な存在しか許されないとしても、それでも消えないといい。そうでなければ、私のようなへそ曲がりは、本当にこの世から居場所がなくなってしまうのだから。
by michikonagasaka
| 2016-04-23 21:15
| 身辺雑記
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