序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2016年 07月 18日
2016年7月14日。「パリ祭」の夜、ニースで起きた事件については、いろんなことを言う人がいる。2015年1月のシャルリーエブド、同年11月のパリの同時多発テロについで、フランス国内で三回めの殺戮の騒ぎ。犠牲になった方々とその周りの方々の無念と悲しみを思うと、私自身も悲しみのどん底に陥る。そして、そんな自分の悲しみの奥底には、まさにこの「パリ祭」が象徴する、自由で平等で博愛に満ちた(はずの)世界が、それを流血の犠牲の上に勝ち取った自分たちの足元からぐらぐらと崩れていく実感に対する、どうにもやりきれない無力感や絶望の感情があることを、改めて思う。
ニースの出来事から三晩が明けた今朝、私の住む国スイスの新聞「Le Temps」紙に興味深い記事を見つけた。「ニースの東部、イスラムの地で」と題されたこのルポは、イスラムの国々からの移民人口が集中する地区へ記者が出向き、地元の人々に丹念に話を聞いて回ったものの記述である。今回の事件を起こした人物(モハメッド・ラウエジュ・ブーレル)もまた、この地区のテュラン通り62番地に住む男性だった。長いので全訳は大変だから、かいつまんだ抄訳をご紹介したい。 なぜ、彼はフランスのこの祭日の晩に、無辜な市民84名の命を奪ったのか。捜査が進むにつれ、次第に明らかになる彼のプロフィール。ごろつき、水タバコ愛用者、精神を病んだ男、暴力的な男・・・。ISISとの関わりが実際にあったのか、あったとすればどの程度あったのかについても、いずれ明らかになることだろう。(中略)いずれにしても、今、一つだけ確かなことがある。それは、この無名な地区において(そしてフランス中のたくさんの類似の地区において)、イスラム過激派の問題は、そこに住む全ての人々にとっての「中心的な問題」である、ということだ。 (・・・・という前置きに次いで、記者はこの地区の内部へと歩をすすめる。) 〈ヌレディヌとサミア〉 モハメッドが住んでいたアパートのすぐ裏、ベランダでタバコを吸っていたヌレディヌとサミアは、近所の目を気にしながら階下に降りてきた。 「この地区で、過激化は、すぐに目に付くさ」とサミア。「その先をちょっと行ってごらん。あごひげ生やして長い衣着てる奴らがいるよ。奴らのやり方ってのは、若い者に宗教の話をするのさ。特にブラブラふらついてる若いもんたちに。すぐわかるんだから。俺たちには二人、子供がいてね、1994年生まれの息子と、1997年生まれの娘だけど、彼らの友だちグループの中にさ、いるんだよ、シリアに行っちゃった子たちが。オマールについてのテレビ番組に、彼らも映ってたよ」 オマールというのは、このあたりで最も影響力のあったセネガル系フランス人の過激派リクルーター。昨年、シリアで死亡したが、「このあたりで過激派に行ってしまった若者が多かったのは、彼のせいだ」とヌレディヌが続ける。「私に言わせれば、国が悪いのさ。あの電気のブレスレットをつけさせただけで、それで彼を放し飼いにしてたんだから」サミアとヌルディヌはムスリムだ。「本当にこんなことはもうたくさんだ。だって、俺たち、まずはフランス人なんだよ。なのに、あいつらのせいで、変な目で見られるようになっちまって。過激派の奴らなんて俺たちと関係ないんだ。聞くところによると、奴ら、若いのに金を渡すんだってさ。シリアに行く旅費ってことで。1万ユーロだってよ。ここらの若いもんにとって、それがどんな大金かわかるか? 自由すぎるんだよ、国境はオープンだし、とんでもない奴らに国籍も滞在許可証も与えちまうんだ。危険人物リストなんて、あんなもん役に立ちやしない。記者さん、そのこと、記事に書いてくださいよ」 〈トニ(62歳)〉 「ここにずっと住んできた。すっかり、本当にすっかり変わっちまった。昔は、隣近所に砂糖ひとかけやら、いろいろ分けてもらいに行ったもんさ。もうそんな時代は終わっちまった」 「俺は人種差別者じゃないよ。それは保証するさ。だけどね、これ、普通じゃないでしょ。あっちにもこっちにもモスクだらけ。金曜の晩なんて、道端にズラーッと寝転がって祈祷が始まるんだ。ここじゃ町長の娘だってイスラム教徒と結婚したくらいだし」 そのトムがペタンクの集まりに出かけるというので、私も遅れてそっちに移動した。 「なあ記者さん、いったろ。ここにはいろんな出身の人たちが来てる。ここには人種差別なんてない、あるのはペタンクだけ」 そこへロジェがやってきた。あと二日で70歳だという。 「まさかニースでこんなことになっちまうなんて、ここの誰も思いもしなかったよ。俺らのコートダジュールがこんなことに。どうして止められないのか、わかんないね。警察だって、一人とっ捕まえたと思ったら、5分後にはそいつを逃してる始末」そこまで言って、ロジェは言葉を詰まらせ、涙を流した。たちまち大泣きになった。「ここの若いもんたちに、一体どんな未来があるっていうんだ。悪いね、記者さん、でも、こんなこと、あまりに重すぎるじゃないか」 〈イスラムの兄弟〉 日が暮れかかる頃、私はHLM(多くの移民人口が住む公団住宅)の方へ歩を進めた。高齢のフランス人の姿は消え、代わりにヒジャブを被った女性たちの姿が目立つ。モスクの前で5人の男たちが私たちを見ている。長いあごひげに、カミ(イスラム教徒の長い衣)をつけ、サンダルばき、頭に白い帽子を被った若い男たち。 「テロリストを探してるのかい?」 私たちは記者証を見せた。信用されたようだ。 「我々にとってISISは、あれはイスラム教徒などではない。彼らは我々のことを無神論者とでもいうんだろう、なぜなら我々はジハードなんてことはしないからだ。我々は預言者に近づこうと努力をしている。我々の聖戦は心の内にある、戦う相手は自分たち自身であり、誘惑である。ISISの奴らがここにきたら、我々は警察に通報する。奴らにはいってやる、兄弟、君は間違っている、アラーの神は何人をも殺すことを禁じているのだ、たとえ無神論者だろうが、動物だろうが、と」 ならば、なぜ、彼らはこの地区で若者をリクルートするのか、し得るのか。 「それはリクルートされる若者たちが、そもそもイスラムの事を何も知らないからだ。彼らはそういう若い者たちに蛇のように忍び寄るのだ。逆に僕たちのようなものには彼らは寄ってこない」 その若者たちは、自分たちのやってることがわからないのか? なぜ、彼らは親の世代とは真反対に、彼らの宗教を旗印にしようとするのか。 「それは我々の親世代の優先順位は、まず同化だったからだ。この土地に自分たちの生きて行く場所を築かなければならなかったから。だから宗教なんて二の次だったんだ。けれど、我々はこの土地に生まれた。だから自分たちのルーツに、預言者マホメッドに近づくことができるんだ」 彼らに別れを告げて帰途にあった私たちに、一人の女性が近づいてきた。「今、あなた方は誰と話していたかご存知? 彼らはね、この地区の番人なんですよ。イスラムの兄弟。彼らはああして、ここにISISのテロリストたちが入り込めないようにしているんです。彼らは本当に神を信じている。でもね、フランス人は、そこのところ、わからないんですよ」 その女性、アメルはヴェールを被っていなかった。フランスに暮らすモロッコ人で、フランスが大好きだ、といった。「娘がね、彼らイスラム兄弟の一人と結婚したのです。娘がシリアに行ってしまうのではないか、とものすごく怖かった。だから彼らのことをもっとよく知りたいと思ったのです。もちろん最初はすごく警戒していたし、そもそも彼らは女性とは話しませんし。でも、私とは話してくれた。彼らの外見は挑発的と思われる、なぜなら、ISISとそっくりな格好なんですから。でも本当はISISの方が、彼らの物真似をして、結果、真に信心深い彼らを人質に取ったようなものなのです。問題は、片や真にスピリチュアルな人たちがいて、もう一方に彼らのイメージを真似している奴ら、ISISに共鳴する奴らがいるということ」 ................ この記事は、安直な「まとめ」や分かりやすい「結論」を提示していない。記者(たち)が、道端で出会った人々の声を拾い、景色や空気を淡々と描写しているだけだから、これじゃ物足りない、と思う方も多いだろう。しかし、結論を出したり分析したりなど、そう簡単にできるものではない。長年、自分自身も諸外国に「移民」として暮らしてきて、同化の努力をする一方で、地縁血縁的な束縛からの自由をも享受してきた私は、世界のグローバル化と、そこから膿のように吐き出されてくるたくさんの矛盾や格差や不公正という側面に、ひどく敏感な人間になったと思う。近代的な人権思想、民主主義、男女平等、多様性の謳歌といったものの信奉者であり、またその恩恵にたっぷりあずかるものではあるが、片や、「伝統」「ローカリズム」そして、宗教の求心力、村落共同体的なところで保たれてきたバランスや、素朴な人々の親切といった事柄をバッサリ切り捨てるなどどうしてできようか。20代でパリに移住し、その翌年にはフランス革命200周年を祝う盛大なパリ祭があり、さらにその4ヶ月後にはベルリンの壁が崩壊して、なんだか世界はどんどん良い方向に行くように思われていた、あの無邪気な時代は、遠い昔の出来事になってしまった。
by michikonagasaka
| 2016-07-18 18:17
| 考えずにはいられない
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