序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2016年 09月 02日
→こちらは、そんな新学期を紹介する素敵な動画。1969年の新学期とあるので、私自身もまだ小学生になりたてほやほやの頃。自分にとっての新学期(日本なので四月)は、はて、どんなんだったかなあと懐かしいが、それにしてもフランスの子供たちやママたち、あの昭和の時代なわけだけど、なんておしゃれなのでしょう。そして思い出した、そうそう、これ、この感じに触れて、ああこれならば、と自分もまた、その20年後のパリで、子供がいる暮らしもいいかもしれない、と生まれて初めてそう思ったのだった。 折しも昨日は、その「子供がいる暮らし」ということに関する一つの興味深いインタビュー記事を見かけた。「出生率2.0を実現するフランスとの違いは制度だけじゃない「日本の社会は子供を持つことをポジティブに受け止めているか?」」という長い題名のこの記事では、ル・モンド紙の東京特派員をしているフィリップ・メスメール氏が、フランスと日本における出生率の差と、その背景にある「社会の違い」について、質問者に答える形で語っている。フランスの出生率が高いのは有名で、日本からも、いざ、その秘儀を学ぼう、と、政治家や役人がぞろぞろと実態調査にやってくることは、つとによく知られている(少なくとも私の周りでは)。その高い出生率の理由の一つ、子だくさんの移民人口の多さ(および、「家族」という価値観に高いポジションを与えている一部のカトリック・ブルジョワ人口)に、このインタビューでは触れられていないし、何だかフランス社会がいかにも素晴らしいもののように描かれているところは、いくら何でもそこまでよくもないが、と思うけれど、それはまあいいとして、確かに、フランスは、女性にとって「子供を産みたくなる国」であることは間違いない。そもそも、子供とか家庭といったコンセプトにほとんど興味がなかったこの私ですら、「子供欲しいな」と思ったくらいなのだから、それは絶対そうだと思う。それは何も、上で触れたように、新学期に子供を学校に送っていくママや子供たちがおしゃれだからという理由だけではない(それもあるが)。そのおしゃれのあり方、つまり(母子ともに)「幼児化しないおしゃれ」という「生き方」を可能にし、それを肯定&奨励する社会の有りようこそが、当時の私にはこよなく魅力的なものに思われたからなのであった。 さて、そんな風にして、いざ、パリで子供が生まれてみたら、頼みもしないし期待もしていなかった、いやそもそもそういうものがあるとも知らなかったのに、月々いくらだかの育児支援金が自動的に送られてきて、たいそう驚いた。上記記事でインタビュアーの方が体験したのとそっくり同じことを、私もまた、体験したのである。 当時私はたくさん仕事をしていたので、仕事復帰のためにはナニーを雇った。フルタイムで毎日、家に来てもらって、一日中、子供の面倒を見てもらうのである。そんなわけだったので、私はいわゆるママ友とか公園デビュー的なこととは一切無縁だった。逆に言えば、そうと知っていたからこそ、子供を産むという選択に踏み切ることができた。パリで平日の昼間に公園に行くならば、そこはほぼ、子連れナニーの大集合状態になっている。中にはナニー同士がもともと友達とか、のちに友達になった、というケースもあるが、そこには何らヒエラルキーも同調圧力もない。ナニーでなくて、母親、あるいは父親とかおじいちゃん、おばあちゃんがそこに混じったとしても、それぞれ好き勝手に振る舞えばいい。気楽なもんである。(同調圧力、といえば、少し話はそれるが、帰国中、土曜の昼に友人とベトナム料理を食べに行ったら、店の中央の長テーブルに、全員、ほぼ同じ格好の40代後半あたりとおぼしき女性の軍団が陣取っていた。紺色のスーツかワンピースに中ヒールの黒パンプス、というボーリングな服装だけでなく、なんだか顔とか髪型とか表情なんかもものすごく似ているし、時折、聞こえてくる笑い声なども、まるで台本どおりの人工的な声色。驚きのあまり、しばらく彼女たちから目を離すことができなかったくらいだったが、どうやらそれは、近所の名門私立K高校の保護者会のような集まりであったらしい。「働いてるお母さんに配慮して、近頃はそういうのは結構土曜日にあるから」と説明してくれた友人は、「あなただったら、この世界、絶対無理だよね」と笑った。「あ、絶対無理」と即答し、二人でビールのお代わりをしたのだった。) フランスをはじめ、ヨーロッパは夏休みがとても長い(フランスだとほぼ10週間)。その間、子供達は宿題もなく、部活もなく、塾もない。キャンプに行ったり、親と旅行したり、おじいちゃんおばあちゃんの家で過ごしたり、とにかくずーっと遊んだりぼんやりしたりして10週間過ごすのである。親もまた、数週間のヴァカンスは普通なので(10週間はさすがに難しいが 笑)、海で山で、あるいはどこかの田舎や外国で、ぼんやりとまったりと過ごす。そういう長い長い夏休みがあるからこそ、新学期の、あの独特の浮き立つような張り切ったフレッシュな雰囲気というものが醸成されるのだろう。(他方、夏休み中、パパとママが別れて、他のパートナーと暮らすようになり、新しいパッチワークファミリーが生まれる、というようなことも、まあよくある。) 新学期に先立つ数日、日本の子供なら夏休みの宿題の追い込みなどで大忙しのところ、フランスの子供たちは、学校から送られてくる「新学期に用意するものリスト」に従って、算数用のノート、図工用の画用紙、文房具、辞書などを揃えるのに忙しい。フランスの子供たちは、夏休み中はたっぷり遊ぶけれど、新学期が始まると、わりとたくさん勉強させられる。そういうメリハリがあるのも、私は個人的に気に入っている。ずっと遊びっぱなしもつまんないし、ダラダラずっと働いたり勉強したりは、多分もっとつまんないだろうから。 で、飛躍しますが、少子化対策として、まず、夏休みの宿題全面廃止とか、いかがでしょう。二ヶ月くらい勉強しなくったって、長い人生、少しも問題ないように思います。親も子も、年に二ヶ月くらいは遊んだらいいんじゃないでしょうか。それでも経済は回っていくし、リーダーも生まれるし、各分野で活躍する人材も出てくる、効率とか利便というようなところとは違うレベルの幸福みたいなものも生まれてくる(その副産物として、自己責任云々とかいう狭量で底意地の悪い価値観も多少は緩和される)、というふうに私は思うのですけど。 日本の友人たちが、「ヨーロッパに遊びに行けるようになるのは定年後かなあ」などと口にするたびに、日本時間の夜中の2時や3時に仕事のメールが来るたびに、私はとても驚いて、そんなにみんながたくさん働いているのに、もう20年以上、ずーっと経済停滞っていうのは、一体どういうことなのか、と不思議でならない。もうこんなもんやめてやれ〜という暴動が起こらないのはどういうわけなのか、と、不思議でならない。 ちなみに、偉そうに「夏休み宿題廃止論」を唱える私も、かつて、上の子供がまだ小学生だった頃、一切宿題というものがないこちらの夏休みには「そんなんでいいのだろうか」という心配がまだかすかに(「かすか」ですが)あった。それから人生経験を少しだけ積み、人間の学びや成長ということを様々な形で散見してきた結果、今はもう、完全に「宿題廃止」礼賛の側の人となっている。もともと、そういう自分自身も、宿題はとことんサボる子供だったから、素質だけはあったと思うけれど。 Bonne rentrée! (よい新学期を!)❤️
by michikonagasaka
| 2016-09-02 19:31
| 身辺雑記
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