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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2017年 01月 03日
![]() 昨年は、拙ブログをお読みくださり、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 さて、お正月。私のような異国住まいの人間にとって、これはもしかするともっとも望郷の思いが高まるシーズンかもしれません。コンビニなどというものがなかった子供時代、お正月の、少なくとも三が日はどこもかしこも静まり返っており、そんな中、新しいお箸でいただくお雑煮とお節料理は、ごく普通の家庭用のささやかなものであっても、祖母や母が暮れの三日間くらいをかけて一つ一つ手作りしたもの。子供の舌にはさして美味しくもなかった「ごまめ」「昆布巻き」「百合根」に「黒豆」も、それぞれに長寿や幸福などへの願いが込められたものなのだ、と教えられれば、食べないと早死にするのか、という焦りも生まれ、やんちゃな子供だった私も、おそらくは神妙な面持ちでいただいたものでした。 「お年賀」ということで、晴れ着を着て、人様の御宅にご挨拶に伺ったり、逆に、うちにいらっしゃるお客様をお迎えしたり、子供なりに、ある種の緊張と華やぎのないまぜになった気持ちを抱いたことを今でもよく覚えています。日本のお正月は、とてつもないけじめの時であり、リニューアルの時であり、何かこう、居住まいを正さねば、きちんとしなければ、ということを、幼い心でも十分に感じ取っていたように思います。 その「きちんとする」ということ。ご挨拶とかお行儀、といったこともそうですが、身ぎれいにする、というんでしょうか、それを私は、齢を重ねれば重ねるほど、気にするようになったかもしれません。シワもたるみもまったく(あ、それは大げさか、「ほとんど」の方が正確ですね、きっと)気になりませんが、真っ白な死装束がこう、爽やかにパシッと決まるようなおばあちゃんとして逝きたいという幼少期からの目標(笑)が、さすがにこの頃は多少の具体性を持って思い描けるようになってきた。そんな折に、息子(22歳)から写真(上)のようなクリスマスプレゼントがやってきました(それにしても彼は何を思って、こういうチョイスをしたのでしょうか)。元旦の朝、ゆったりと初湯に浸かってから、スクラブしてみたり、その他、あれこれ「お手入れ初め」に励んでみたところ、その効果のほどはまったく別として、やはり、それはお正月にふさわしい居住まいや背筋という、あの清々しい感覚をもたらしてくれたことは事実でした。 昨年は着物をちょくちょく着た一年でもありました。半衿や足袋は、やはり刺すような白さを放っていないと美しくありません。襟元がぐずぐずしていたり、背中心がずれていたりすると、やっぱりだらんと見えてしまう。いえ、見えてしまうだけでなく、着る人の気持ちもそうなってしまう。そういうことを身を持って実感した一年でもありました。 着物といえば、昨年は木村孝さんが他界されました。私は大昔、仕事を通じて数度、お会いしただけですが、友人知人の中には孝さんと親しくお付き合いしていた人が何人もいて、彼女たちの無数の証言から、私は孝さんの筋の通ったお人柄とエレガンスを長年、垣間見させていただいた気がしています。恐れ多くも「孝さんのように」などとは申せませんが、何を着ようが、何を飲み食いしようが、どこに住もうが、身ぎれいな感じというのは保っていきたいものだな、とは思っています。と同時に、だからと言って窮屈なのはいけない、人に自分の流儀を押し付けるようなこともいただけない、とも。心は限りなく自由に伸びやかに、けれど暮らしや身だしなみには少しばかりの丁寧と清潔と折り目を。 身ぎれいにはセラピー効果もありますね。だらだらし過ぎてしまうと、どうも気持ちがすさんでくるような気がします。身ぎれいといったって、本来ならば相当だらしなく怠け者の享楽主義者である(つまり逆立ちしたって本物の粋人になぞなれっこない)私にとって、どのみち、それは「ごっこ感覚」の域を出るものではありませんが、その「ごっこ」がまた、よいのです。なぜなら、結局、それは遊びですから。だから苦ではなく楽。でなければ続くもんじゃありません。 そんなことをほろ酔い気分でつらつらと思った元旦。世界を震撼させる出来事がたくさん起きた2016年、その締めくくりはトルコ、イスタンブールでのテロ事件でした。2017年、世界がこれ以上、悲しい場所にならないことを心から祈りつつ、小さなところでの「身ぎれい」を目標に定めてみた次第。 皆様のご多幸、ご健康をお祈りしています。また気長にお付き合いいただければ幸いです。
by michikonagasaka
| 2017-01-03 07:05
| 身辺雑記
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