序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2017年 05月 17日
パリの夜は楽しい。近所の普通のビストロで普通に美味しいご飯を食べ、普通のワインを飲み、旧友と夜中までおしゃべり。陽気なギャルソンとの他愛もない軽口。日の長くなった初夏のテラス。それ以上、何を望みましょうか。 その友人Sさんが翻訳を生業としている人だからか、あるいは私たちが共に、日本を離れて三十年近くにもなるために、日本語をどこか遠くから眺めることがデフォルトで、だからなおのこと、この言葉への愛着や郷愁の感情に自覚的なせいなのか、話は自然と「昨今の日本語」「昨今の本」「昨今の出版事情」というような方向に。 マグレドカナールをつつきながらSさんがポツリと言う。 「そういえば、この頃、名文ていう褒め言葉、ほぼ消滅してるよね」 情報が伝わればそれで十分。語彙や表現の吟味はもちろん、リズムや漢字仮名交じりのヴィジュアルまでをも含めた文章の美しさ、というところに、人はもはやほとんど価値を置かないし、だから作家の誰それを指して「ああ、名文家の彼ね」というような言い方、時には「美文調」というネガティブなニュアンスも含め、そうしたものが綺麗さっぱりどこかへ消えてしまった。一芸としての「名文」というジャンルの消滅といってもいいかと思う。 速さを競うネットニュースの類はいうまでもなく、もう少し「じっくり」書かれ、読まれる「はずだった」社説や時評、それに小説でさえ、もう名文なんかはどうでもいい、みたいなこの時流が、上質の言語としての日本語に恒常的に飢えている在外邦人(正確には邦人でなくても日本語を母語とする人なら誰でも良い)の私たちには、やはりいささか寂しい。 「だからかな、この頃、ちょっと古文を勉強し直してみようと思ってね」 「わあ、それ、私も同じこと考えてた。だって新古今和歌集とか眺めてても、意味わかんないか、全く逆の意味に捉えてたってことを注釈読んで理解して、なんだかがっかりするんだもんね」 「フランス語勉強した時よりは、もうちょっと楽に学べるもんだろうか、古文」 「反語とか助動詞っていうんだっけ、「かな」とか「けり」とか「なん」とか能動的には使いこなせないし、単語の意味も現代語と反対だったりずれてたりするものも多いし、難しいよね」 言文一致体以前、遠く平安時代はハードルが高いとしても、せめて江戸時代の書き言葉くらいは普通に理解できるようになりたいもんだ、とささやかな目標も立て、その勢いで(普段はあまり食べない)デザート(私はクレームブリュレ、彼女は yusuーーーフランス語ではユズのズはsなのか、とちょっと驚くーーーのアイスクリーム)まで注文してますます楽しくなってくる。 「スマホでスクロールしながら読まれるものは、本と違って戻って読み直すとか、全体を見渡すってことがないから、だから文体も自ずと違ってくるって聞いたことがある」とSさん。 なるほど、あのブログ文体というのでしょうか、全部箇条書き、みたいなものは、それをリベラルに「現代のポエジー」と言えなくもないのかもしれないけれど、ポエジーにしてはやはり一語一句の吟味の跡が感じられないから心に刺さらず、残りもしない。ファストファッションならぬ、ファストライティング。共通項は「使い捨て」。 乱暴に演奏された音楽や、ぞんざいに着られたキモノに「傷つく」のと同じように、いくらなんでもそれはないだろうという文章(私信なら構わないけれど、一応、仕事として流通しているもの)に触れると、やはり私は傷つく。怒るのではない。ただ傷つくのである。心と体の間のどこかがちくりと痛むのである。そして、乱暴に大雑把に書かれ、無意識の(だから空疎な)常套句乱発に彩られた文章にたくさん触れ続けていると、何かそれに侵食されていくような恐怖もある。逆に稀に「おお!」と感嘆するような丁寧でこなれた文章に出会うと飛び上がるほどの幸福感でうっとりとなって、その高揚感で胸のあたりがミシュラン人形のように膨らむ気がする。 今回のパリ滞在中(わずか一泊)、たまたまマクロン新大統領の就任式があり、動画でその様子に触れた。かつて自分もマクロン同様、若くして彗星のごとく政界に登場したファビウス憲法評議会長(今や長老といっていい部類)は、若い新大統領にかつての自分を重ねる感慨でもあったのだろうか、就任を祝う驚くほどにパーソナルな挨拶にはhomme du pays (国家元首)についてのシャトーブリアンの一節が引用されていた("Pour être l'homme de son pays, il faut être l'homme de son temps")。文学と政治が切っても切れない関係にある世にも珍しい国、フランスならではの風景。音もシンタクスも、ディスクールのレトリックも、フランス語、なんて美しい言葉なのだろうと、それが自分の母語でもないくせに、やはり幸福感で高揚する。 ぞんざい、といえば、だがこれ、実は全く他人事ではなく、先般上梓したエッセイ集「旅に出たナツメヤシ」には、(敬愛する名文家の先達からこっそり指摘されて)表記上の誤りが二つあることに早々と気づいてしまった。誤植や思い違いによる間違いはこれからも出てくることだろう。ああ恥ずかしい。万が一、重版になったら一番に直さなくては。
by michikonagasaka
| 2017-05-17 23:09
| 身辺雑記
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